ポケモンから学んだ体験の核
私がここまで体験設計に拘るようになったのは
私の幼少期時代での「ゲームの出会い」が大きく関係しています。
その体験設計の原点のひとつに、”ポケモン金銀”があります。
ポケモンのゲームシリーズは基本的に、1つの地方を旅し、
チャンピオンロードを越え、
四天王とチャンピオンを倒すことで物語が完結します。
これは現在に至るまで、シリーズ共通の構造です。
しかし、ポケモン金銀では、冒険の舞台となるジョウト地方をクリアした後、
「きみは いま!カントーちほう への だいいっぽを ふみだした!」
というメッセージと共に、
物語は“終わり”から“新しい始まり”へと変わりました。
それは単に「金銀の中でカントー地方に行けた」というコンテンツの多さに価値が生まれたのでなく、
むしろ、当時ネットの技術も発達していない、学校や近所の友達とやる。
通信ケーブルの時代、情報も機能も限られたゲームボーイカラーの時代、
不便さによる余白が存在していた時代に
そのハードのデータ量の制約を考慮すれば、
当然一つの地方を旅すれば終わりだろう。と皆がどこかで思い込んでいたこと。
その大きなユーザーへの【サプライズ】をそれを一切告知もなく、
ユーザーへ届けようと決めた、
その【プロダクトの価値を最大にするための要素】がいくつも絡み合ったからこそ生み出された価値であり、その制約された状況は不自由さではなく、むしろ世界観を原液のままで伝えるための布石と姿を変えました。
仮に最初から「カントーにも行ける」と告知されていたら、あの体験は単なる追加要素という枠組みを抜けられなかったのかもしれません。
ここで重要だったのは、一切の告知もなく、エンドロール後に提示された、ことでした。
シロガネ山の頂に一人佇んでいたレッドも同じく、
ただ強いキャラクターだから印象に残ったのではなく、
ポケモン初代をプレイしたことのあるプレイヤーがプレイヤー自身で意味づけを行える設定であったからこそ、かつての自分で対峙しているのかのような、震える【体験】が生み出されたのだと考えています。
そこで私が学んだのは、要素の強さではなく、同じ物量同じ濃度の要素であっても
「どの場所で、どの瞬間に、どう出会わせるか」によってユーザーの感じる価値は大きく左右されるということでした。
この構造は、プロダクトの体験設計にも通じるものだと感じています。
そして今、私はプロダクト視点での
要件設計から技術選定、開発、運用判断まで一貫して行っていますが、
その中で常に問い続けているのは、
「この要素は、どのタイミングで出会うことでユーザーにとって最高の体験になるのか?」ということです。
体験の意味は、
設計によって変わり、その意味はユーザーが決めると考えています。
だからこそ私は、
ユーザーにとって最高の体験を届けるため、
それが「どんな出会いなのか」を考え続けています。
それが、私が体験設計に拘る理由です。