自分は裏方でいい
話は学生時代にさかのぼる。受験に失敗し、埼玉大学に進学してツマラナイ学生生活をスタートさせた。もちろん、なろう系小説にでてくるような凄い出会いやありえない幸運、不運が起こるわけもない。
周囲の環境は変わらない、のであれば、自分が変わるしかない、そのためには自分の行動を変えるしかないと気づけたのは幸運だった。
アルバイトで家庭教師をはじめ、その縁で学習塾をアルバイト仲間と作る体験ができたり、行きつけのパブ(死語笑)のスタッフや常連の他大学生とと仲良くなり、そのお店を借り切って企業の協賛営業をして商品をかき集めて400人規模のパーティを開催することをする経験ができた。
いまではあたりまえの学生時代の経験かもしれない。だけど、当時は新しかった。新しいことを見つけて、どうやったかできるのか、の知恵を出し合い、とりまとめて形にしていく裏方としての自分の役割に気がついたのはそのころだった。
プロデューサーとしての自分、が産声をあげた。
絵や音楽の才能、自分の発想や企画でなにかを産み出せる突き抜ける才能がなかったからこそ、自分の力ではなく、ひとの才能を見抜いて、並走して磨いていくスキルが身についたのではないかと感じている。
新卒で入社した富士通では社内では予算がつかない先端的な研究開発のシーズをみつけて、国に提案して研究予算をもらってくる研究開発のプロデューサーをやり、その後、出版では人材や学びの分野で新しい商品やサービスの企画プロデュースや編集者という形でクリエイターのプロデュースをやった。
IT出版社ではIT先進国アメリカのサービスを日本に紹介、普及させる業務を担当したが、これもプロデュース稼業だし、クリークアンドリバー社ではYahooショッピングという大きなサービスの立て直しをするプロデュースをやらせてもらった。
常に主役は自分ではない誰かで、そのひとたちの能力を最大限に発揮する商品や事業のヒントを提供し、形にしてきた。これからも新しい出会いと事業作り、商品作りの匂いには敏感でありたい。