みんなで作る“記憶の地図”——商店街の思い出をアーカイブする
「メモリプレイ」は、同じ場所に重なる個人の記憶を、地図上に可視化する参加型メディアです。
来場者は、商店街の地図を見ながら、自分の思い出を文字や絵で書き込みます。書き込まれた記憶はスクリーン上に蓄積され、展示期間を通して一つの「記憶の地図」が形成されていきます。
今回、商店街にある地域の人がよく立ち寄るギャラリーで10日間という比較的長い期間の展示でだったため、その展示期間で地域の人に思い出を書いてもらったり、地域外から来た人から感想を書いてもらうことで、商店街に対する街の人の思い出に気づくことができることを目的として制作しました。
見えなかった商店街の記憶に出会う
制作に先立って、龍ケ崎市の人々、特に高齢の方々にお話を伺う機会がありました。
初めて龍ケ崎商店街を見たとき、私は正直に言えば、ただの寂れた商店街のように感じていました。しかし、地域の方々と話す中で、その見方は大きく変わりました。ぱっと見ではシャッター街に見える商店街も、地域の人にとっては誇りのある場所であり、たくさんの思い出が詰まった場所でした。
「あの店によく行った」「昔はここがすごく賑わっていた」「この通りでよく友達と会った」。一度話し始めると止まらないほど、商店街には一人ひとりの記憶が重なっていました。
一方で、そうした思い出は、語れる人がいなくなれば残らず、地域を知らない人にとっては見えないまま失われてしまいます。街の記憶は、行政資料や歴史年表だけで残るものではありません。個人の記憶や思い出という、人間味のある温かみのある情報を、ここれまでとは違う形で残せないかと考えました。
そこで、個人の思い出を地図上に重ねていくことで、地域の記憶を共有・蓄積できる体験を設計しました。商店街をもともと知らない人にも、そこが地域の人にとって誇りのある場所であり、たくさんの思い出がある場所だと気づいてもらうことを目指しました。
ただ記録するのではなく、参加したくなる形にする
この作品で意識したのは、アーカイブを「記録作業」にしないことです。
来場者が書き込みたい場所を探し、思い出を絵や文字で描き、貼る位置を調整し、最後に他の人の記憶を見る。この一連の流れによって、記録する行為そのものが体験になるようにしました。
地図を媒介にすることで、自分の記憶と他者の記憶が同じ場所で重なります。そこから、「この場所を知っている」「自分はこう覚えている」といった会話や発見が生まれることを目指しました。
展示で見えた、参加型体験の手応え
展示では、来場者の方々に実際に商店街の思い出や好きな場所を書き込んでもらいました。
特に反応が大きかったのは、手書きで自由に書き込む体験です。子どもたちは、地図上に自分の好きなものや思い出を描くことを楽しんでくれました。うまく描けたときには、飛び回って喜んでくれる子もいるほど、記録する行為そのものが遊びとして成立していることを実感しました。
また、大人の来場者からは、「ここは昔はアンコ屋さんでね」とか「昔は商店街は歩行者天国にしてお祭りやってたよ」といった商店街や地域の思い出について自然に会話が生まれました。地図を見ながら記憶を書き込むことで、個人の思い出が他の人と共有され、展示空間の中に少しずつ「記憶の地図」ができていく様子が印象的でした。
展示後には、市民団体の方から「他の場所でも実施できないか」という声もいただきました。特定の商店街だけでなく、地域の記憶を集め、共有する仕組みとして、他の場所にも展開できる可能性を感じました。
地域課題に対する、体験デザインとしてのアプローチ
地域課題というと、大きな制度や仕組みの話になりがちです。
しかし私は、体験デザインの立場から、個人の記憶や会話を起点に地域との関わりを作り直すことができるのではないかと考えました。
メモリプレイは、街の衰退や記憶の消失という課題に対して、展示・参加・共有・蓄積という形でアプローチした作品です。今回、商店街にある地域の人がよく立ち寄るギャラリーで10日間という比較的長い期間の展示でだったため、その展示期間で地域の人に思い出を書いてもらったり、地域外から来た人から感想を書いてもらうことで、商店街に対する街の人の思い出に気づくことができることを目的としました。
この制作で伝えたいこと
私は、課題を見つけたときに、いきなり機能やプロダクトを考えるのではなく、人がどう参加し、何を感じ、どんな行動が生まれるかを考えるようにしています。
メモリプレイでは、地域課題を「記憶を共有する体験」に変換しました。
今後も、社会や地域の中にある課題を、人が自然に関われる体験へ翻訳し、実装までつなげられる人になりたいです。