ペースメーカ
大学3年次、体育会ラグビー部の練習について行けなくなった。
短い距離は部内の誰よりも速く走れるのだが、長距離になると全くついて行けない。
「どんだけ根性ないんや」「持久力ないといっても程があるで」と自分を卑下した。
そんなとき、たまたま泌尿器科に1週間ほど入院することになった。(別に悪さをしたわけではない…と思う…。)
そこで朝、看護師さんが脈を測りにきて、30拍/分という超徐脈であることがわかった。(自分では水泳、ラグビーと9年もスポーツしてるんだからそんなもんなんじゃないの?と思っていた。)
院長が「ブロックの可能性があるから」と循環器科を紹介してくれた。
循環器科に一年ほど通っただろうか、「症状が悪化してきている」とのこと。
「日赤病院を紹介するから早めに受診するように」と言われた。
翌週の月曜日1990年1月29日、紹介状を持って日赤病院の循環器科を受診。
平常時心電図・負荷心電図・レントゲン撮影その他いくつかの検査を受けた。
日赤病院の循環器科部長は、検査結果を見るや、やにわに受話器を取り上げ、
「あぁ、病棟?ベッド空いてる?空いてなくても空けさせて。今から一人上がるから」
???
「じゃぁ、これから、このまま病棟へ上がって入院してください。」
じゃ、じゃぁ、じゃねーよ!
「いや、入院するなら、一旦帰って準備とか…」
「そゆのは、おうちの方にしてもらって。このまま病棟へ上がりましょう。手続きとかもそのときに」
えっ?えぇぇぇぇえッ!いやいやいやいや、急にそんなこと言われても…。
看護師さん二人に付き添われて(逃走しないように)38病棟へ。
「しばらくここで休んでてくださいね♡」とベッドをあてがわれる。
マジか…。ってか、ドラクエIV予約してるんだから、それまでにはかえれるんだろうな!
と、このとき気は動転していたが、今考えると、脳天気なヤツではある。というか、何も深刻に考えていなかった。深刻さのかけらもなかった。
心電図モニターをつけられ、病室からでないようにと看護師から言われたが、取り合えず母親に連絡を取りたいからと病棟の公衆電話へ行く許可をもらい公衆電話から母の職場に電話をした。(当時携帯電話は普及していない)
夕方、循環器科の担当医師がやってきた。背が高く優しそうな九州男児だった。
「房室ブロック」の可能性があること。房室ブロックの説明は翌日詳しくしてくださること。年齢が若い場合、治る可能性もあること。それを確かめるために鼠蹊部の太い血管から管(カテーテル)を心臓まで通して検査をすること。検査は予約が埋まっているため翌週2月6日になることなど説明してくれた。
年男の誕生日を検査室で過ごすのかよ!まだまだ脳天気である。