1
/
5

after traveling for a whole year

2年目の休学をしており、今年の9月まで約1年間のオーストラリアへのワーキングホリデーと少しヨーロッパ滞在をしていました。

 この旅では、英語の習得と、1年間未知の場所で自分の力だけで生き抜くことに挑戦しました。そして今では日常的な英会話であれば困らないレベルになりました。そして、自分は思い立っと時に自分で決断して即行動してやり遂げることができるという自信を得ました。
 

 旅をへて学んだこともあります。私たちバックパッカーは何か「新しい景色」を常に探し求め世界を飛び回ります。その中で多くのバックパッカーの人生が様々な場所と時間で交わり合います。私たちはその機会を心から喜びあい、お互いのストーリを交換しながら、また素晴らしい物語を作っていこうと応援し合います。私はその時間がとても大好きです。そしてその瞬間に私は生きていると気づいたのです。私は誰かの幸せな時間を作る手伝いをすること、挑戦の背中を押すことが好きなのだと知りました。
 

 私も私の新しい景色を求めて自分の旅を進めていく中で、多くの楽しい時間や感動する時間、困難な時間を乗り越えてきました。自分がそうやってレベルアップしていくことやそのストーリーを共有し誰かに勇気を与えることができることも帰国してから気づきました。
 

 帰国してから合いたかった友人達と会いました。その多くはすでに社会人として働いています。しかし、幸せそうではありませんでした。何か足りないものを見にまとっているようで、その寂しさを埋めてくれる何かを僕に求めているような風にも感じられました。僕は期待されているのかもしれないと勝手に思ってしまいました。

 僕は将来日本以外の地でも生活や仕事をしたいし地峡に生まれたのだから地球にあるものは全て見て死にたいと昔から思っていたので、大学を突然休学して異国の地に飛び立つことは思ったより難しいことではありませんでした。しかし、友人達と会っていく中で彼らの時間が少し過去で止まっていることに気づきました。「あの時〇〇していればよかった。いつか〇〇したいんだけど今はできない。」と皆口を揃えて言います。僕も変わらないはずなのにとそう思いました。やりたい事も理想のためにやるべき事もわかっているのはお互いそんなに変わらないんじゃないかと思っていました。でも、あと一歩踏み出す勇気がないのかもしれないと思うようになりました。私もいざオーストラリアへの渡航を決断する瞬間まではその小さな勇気を振り絞りきれずにいたのを覚えています。そんなに、私自身もパッパッと決められたわけではありませんでした。だからこそみんなは今そのフェーズなんだと思いました。私は運良く決断して挑戦に踏み切ることができましたが。決断を渋っていると今やるべきことがどんどんと先のことになりついには人生の中で達成されないなんていう恐ろしいことになってしまうのではないかと私の方が焦ってしまうような感覚がしました。かといって彼らに具体的な解決策を提示することも出来ませんでした。

 私がいい気になって旅が良かったという話をしても彼らの背中を押し切ることはできないなら、どうやってそんな悩みを持って日々生活している人達が幸せに生きようと決断し爽やかに挑戦できるような環境を作ってあげられるだろうと考えているこの頃です。