AIのモデルが進化がすさまじく、「自分の意図を汲む」能力が高まっているように感じている。
今までは「A、B、C」と情報を渡していたのがいきなり「C」を渡しても過去の文脈から探してきて補完してくれる。相談役にぴったり! …と思いつつも、現場のベテランエンジニアと会話をしていると知識というより「経験の重み」というものを目の当たりにする。
AIはすさまじく生産性を上げる。たとえば軽いデモ画面くらいなら、1時間程度で作れてしまう。プラスしてサーバーをつなげても、それほど時間はかからない。プロトタイプをたくさん作り、どれが「あたる」かを選べる時代。
というが、本当だろうか?
私はそう思わない。
AIは生産性を上げる。自分の頭の中にあるものを形にしてくれる。システムも、音楽も、絵も、文章も。だけど「価値」は上がらない。
どんな商品も、この文章だって、流暢で読みやすい文章はいくらでも「生成」できる。
だけどこの文章の「価値」は私にしか作れないし、私の中からしか生み出せない。
価値は人の中にしかない。
価値はナラティブの中に埋もれている。
価値を生むのにコストが必要だった。
教育。余暇。時間。
AIがそのほとんどをサポートしてくれる。
じゃあ何をする?
という時代だと思う。
私はアカデミアの世界にいるころ、「世界で自分だけが知っている知識」に、とても昂揚した。その情熱だけで取り組んでいた。就職して工場で働いた。そして、必死に働く人たちをみて「知識を詰め込むだけじゃ、役に立たないんだ」ということを、実感した。
立ってライン作業をしている人がいる。立っているのは大変だ。だから椅子を準備したい。
例えば、そんなことを思った。
だけど椅子を使える場所と使えない場所がある。
椅子が壊れたら、その部品はどうやって追跡する? 誰が追いかけ、検証して、保証する?
…そんなリスクを考えると、とてもできなかった。
できなかった、というのは言い訳だ。「コストに見合う情熱を、自分の中に探せなかった」のほうが正しい。コスパというのは便利な言葉だ。いつもコストを上げているのは自分の気持ちだというのに。
そして私はその中で、「学ぶことでテコの原理のように、生産性が上がる方法を身に着けたい」と考えた。その軸は、手を変え品を変え、ずーっと自分の職業人生を追いかけてくる。
楽をしたい、というと少しずるく聞こえる。
誰かを助けたい、というとかっこよすぎる。
そんなに魔法のようなものではなくていい。ただ汗をかいて働いてた人の汗を、ほんの少しだけ減らしたい。そのために自分の得意な分野で学び、実践している最中だ。
AIは工程を改善する。だけど価値はあげない。
AIは椅子にならない。人の変わりにものを作ることはできる。
だけどそのさきには、「大量生産と安売り競争」になる未来しか見えない。どこかで誰かが「価値」を差し込まない限り。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
興味をお持ちになったり、「何ができるんだ?」というお気持ちになった方へ。
私はナラティブを差し込むことができます。それが人が椅子にすわる理由です。人の大事な価値の一つです。
今はエンジニアです。昔は生産管理。その前はアカデミア。異なる領域から、ナラティブを伝えます。