Discover companies you will love
Share this post via...
Takanori Hasebe
ITソリューションの営業をやっています。 昨年まで東京のweb系企業で7年働き、Uターンで東北に戻ってきました。 東京の会社にも負けないような仕事ができるのが、ワイヤードビーンズの魅力です。東北で勝負したいエンジニアのみなさん、一緒に東北でおもしろい仕事をしましょう!
Hiroshi Miwa
グローバル企業のeコマース開発では、Salesforce Commerce Cloudの国内ローンチでは国内トップクラス。(アジアAPACではNo3) 今後はこの東北、仙台の地からAPACでのNo1を本気で狙います。 職人の復興を目指したもの作り事業では、現代的なデザインにすることで新たなマーケットを開拓。2016年には国際的に権威の高い『ジャーマンデザイン賞』を受賞しています。 今後は職人の地域をより全国へ広げ展開していきます。 私たちワイヤードビーンズへ、この東北仙台へ、 UIJターンをお待ちしています。
スマンスキー順子
カリフォルニアのシリコンバレーから太平洋を飛び越えてU-ターン。渡米前、日本ではお堅い国家公務員でした。お役所の名前は「検察庁」。最初の仕事は主に要人秘書、のち刑事捜査関係業務。そろそろ将来を考える頃、初めての海外旅行で行ったNYで、自分がいかに井の中の蛙だったのかを思い知りました。セントラルパークで出会ったせっかく友達になれそうな人とも、メトロポリタン美術館で迷子になった私に親切にしてくれた人ともちゃんと英語でコミュニケーションが取れない歯がゆさ。NY旅行から1年後に公務員退職(正式には「退官」っていうのかな?)なけなしの貯金と退職金をはたいて米国に留学。シリコンバレーで大学に通い英語とGEを勉強。いい年をして学生に戻った留学生時代、英語がちゃんと話せずに悔しい思いもしたけれど、それは楽しくて。貯金も退職金も底をつきかけた留学2年目を迎える頃の春、アメリカ人男性と結婚。米国永住権を得てからは、日系商社、半導体製造メーカー、IT関係会社、ベンチャーキャピタリスト等で経理・総務・人事・内部統制・貿易業務・アメリカ人社長の秘書的業務等、ビジネス全般の分野で経験をしてきました。ほぼ英語90%日本語10%というビジネス環境で、20年あまり、カリフォルニア・シリコンバレーで働いてきました。 2011年3月10日の夜は仕事帰りに友達と待ち合わせ、いつものBarで飲んでたんです。。。ジン・ギムレットを皮切りに、数杯。「ねぇ、ハッピーアワーのうちに酔っちゃおうよ!」「じゃ、今度はライムをかじってテキーラ、ストレートでいっちゃう?」なんて、ふざけていい感じに酔いが回ってきた頃、そのニュース動画は突然飛び込んできました。見慣れた故郷の上空を飛ぶCNNのヘリコプター。そのバタバタという音が邪魔をして中継の音声ははっきりとは聞こえない。切羽詰まったレポーターの声。”Oh my God・・・コールタールのような真っ黒い液体が、仙台平野を飲み込んでいく。ミニカーのように見えるトラックも乗用車も、家も、転がりながら、炎に包まれ燃えながら流されていく光景は今でもはっきりと目に焼き付いて離れない・・・酔いなど一気に冷め、Barの喧騒が遠のいて、足がガクガク震え、座っていたBar Stoolから滑り落ちそうになる。。顔なじみのバーテンダーのDavidも、私の尋常じゃない様子に気づいたらしく「Hey, Junko, Are you OK?」みたいなことを言われたような気がする。とにかく早く家族に連絡しなきゃと、手にしたiPhoneでさえ指が震えて操作不能になってしまったあの夜。やっと押した実家の電話番号も、両親の携帯も、まったく通じなかった・・・。過呼吸になり、息が苦しくなった。 2011年3月11日の東日本大震災。 以来、心が一気に故郷の仙台に向き始めました。 シリコンバレーでの生活は充実していました。アップルがコロンとしたカラフルなPCを発表した時からからiPhoneXまでずっとアップルの近所に住んでいた。時々Steve・JobsをPalo Altoのお寿司屋さんで見かけたし(いつもハマチばっかり頼むって、すし職人さんが言ってました)、友達がやってるMountain Viewの居酒屋にはザッカーバーグが来てました。ストーム・トゥルーパーの顔みたいなTeslaや、おもちゃみたいに見えるGoogleの自動運転車が走り、”GAFA”なんていう言葉がない時からずっとそこにいて、結婚して、仕事も順調で、幸せだったし、楽しかった。だけど・・・。 英語のスラングで「YOLO」というのがあります。You Only Live Once...。「人生は一度きり」という意味です。やりたいことをやらないまま後悔するのはいやです。YOLOだから、あの時安定した国家公務員を捨てて太平洋を渡った。そして二十数年後の今、また太平洋を渡って故郷へUターン。だってやっぱりYOLOだから。。。夫の「やりたいことがあるならやったほうがいいよ、協力するから・・・」という声に背中を押され、2018年11月、仙台のベンチャー企業ワイヤードビーンズにご縁をいただき現職です。現在アメリカに家と夫を残し仙台で一人暮らし。太平洋を跨いだ遠距離結婚生活は3か月目に入りました。 朝、マンションを出て、オフィスまで歩きます。白い息を吐きつつ雪のちらつく仙台の冬空を見上げては、雲一つないカリフォルニアの真っ青な空を思い出してちょっとホームシックになることもあるけれど、今までの日米両国での自分の仕事の経験が地元の仙台で生かせれば、それも復興に役立つことになると考えて日々、奮闘中です。いずれはアメリカと仙台の二拠点生活を目指しています。 仙台とハワイと、あとは住み慣れたサンフランシスコ南湾かな? (それって三拠点か 笑)
Shinya Oba
- ダンサー🇸🇳→ ウェブ系SE👻→ アニメ好き - Salesforce Commerce Cloudをメインに扱う株式会社ワイヤードビーンズでSEやってます - 目指せフルスタック ↓ 以下詳細 1986年生まれ。 中学時代にウェブサイト作成の楽しみを覚える。 高校時代にストリートダンスに出会い、2008年にダンス留学でアフリカセネガルへ行く。帰国後はダンサーとしてCMやPVの振り付けを行う。 2009年にダンススクールの運営を行う有限会社トリプルに入社。ダンスインストラクターの傍ら自社のウェブサイトを管理。ウェブへの興味が再燃し、トリプルを退社後、GMOリサーチ株式会社に入社。実査部門でアンケート画面の構築を担当。 やはりウェブサイトを作りたいという気持ちから、フリーランスとなり、個人で活躍する方のウェブサイトを中心に管理機能付きのウェブアプリを開発。 その後、大規模なウェブサイト構築の上流工程に関わりたいと思い、株式会社ミツエーリンクスにテクニカルディレクターとして入社。 取引先の社内向けのウェブアプリケーションの開発、サーバ構築を中心に、小規模から大規模までの様々なウェブシステムの構築プロジェクトに携わる。 ステップアップしたいと考え、株式会社ノースサンドに入社。通信系の企業にてAWSを利用しDMP構築案件や業務自動化案件に参画、週のうち1日は社内システムの開発に携わる。 2018年7月にノースサンドを退社し仙台に移住。 その年の10月にSalesforce Commerce Cloudをメインに扱う株式会社ワイヤードビーンズにシステムエンジニアとして入社。 入社理由は、ものつくりの事業部が面白そうだと思った点と、新しいサービスを利用しやすい環境だったりR&Dとかできそうだった点が入社の決め手。 現在に至る
Company info
Founded on 10/2009
55 members
仙台市青葉区五橋1-5-3 アーバンネット五橋ビル