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Yoshio Yamada
株式会社おもいでの代表です。 早稲田大学政治経済学部を卒業後、日本たばこ産業株式会社(JT)を経て、現在に至ります。私の人となりを大学時代からご紹介できればと思います。 〜大学時代 (旅・海外)〜 「アウェー感を体験するために海外旅行に。自分で旅行過程を決め、行動し、楽しむことが一人旅の魅力であり現在の時仕事の原点の1つになる」 〜幼稚園時代〜 通っていた幼稚園にサッカークラブがなかったため、遠い幼稚園のサッカークラブに通う。誰も口を聞いてくれない。パスもくれない中、味方からボールを奪ってゴールをするw 以降 高校時代までバリバリの体育会系でバスケットにのめり込んでいたため、大学ではサークルや部活動はせず、自由に過ごそうと思ってました。主に教育系のアルバイトをしながら、そこで貯めたお金で夏休みや春休みの2ヶ月間は海外放浪をするというルーティーンで大学生活をしておりましたw これまで訪問した国はヨーロッパ各国、アジアに約2ヶ月(中国[チベット自治区]〜タイまで)、インドに約2ヶ月滞在。人生初の骨折と入院を経験(笑)。中米(キューバ、メキシコ)。南米〜アメリカ(ペルー〜アルゼンチン。そしてNYへ)と。今思うと贅沢な時間でした。またJTを辞めた際に、中東を1ヶ月間(UAE〜ヨルダン・イスラエル〜エジプト)と旅をしました。 これらの旅行はツアーではなく、往復の航空券を買うのみで、スケジュールや行きたい場所などは自分で決めて行きました。自分一人でどこに行くか、行かないかを決めることはとても自由で楽しいことです。時にはだまされることや失敗もありますが、そのことすらも楽しめるマインドが今自分に備わったのは、旅による部分もあったと思います。(もちろんもともとの性格的な部分もあるとは思いますが)もう一度大学生になれたら、、、とたまに思うこともありますが、おそらく同じような過ごし方をするものと思います(笑) 〜JT時代〜 「製造現場に配属されたことで得た現場体験が仕事の基本姿勢に」 JTでは製造部に配属され、物流業務、経理業務に製造工場の現場にて携わりました。そこで以下のことを学びました。 「本当のコミュニケーション」と「現場主義とは」 パソコンを叩いていても、いくらクレバーなことを言っても、全く評価されませんし、人も全く動いてくれません。実際にどのような結果を出したか?どう行動したか?それが工場や従業員全体のためになっているのか?というどれもが高いレベルで達成できることが要求されます。そしてとても重要なことはそれを継続して続けるということです。一過性のものでなく、継続性のあることでないと社会人として認められないことを痛感いたしました。 そういった積み重ね、実績がある人の言葉のみ伝わり、行動に伝播するものだと痛感しました。「話上手。わかりやすいコミュニケーション」ではなく、「信頼の積み重ね」が重要であると感じました。 このような現場を経験してきた数でしか身につけることはできない姿勢が身につくと強いと思いました。執拗に努力し続ける愚直さのようなものが身についたのは製造工場で、私にとって貴重な経験です。 そして、私が今の会社で実践していることはまさにこのこと。子供に伝えるためには教育者が汗をかかなければ伝わらないのです。小手先の話術やプレゼンテーション以上に「真剣に、一生懸命子供のことを想っている行動や姿勢」で現場経験を多くさせることで時間はかかりますが身についていきます。子供達は話がうまい人を好みますが、それは一時的なもので、子供たちはよく先生を見ております。調子の良い講師はすぐに見破られ、すぐに信頼は失墜しますw 受験までの長期的な時間の中では「真剣な姿勢」「誠実な態度」「その積み重ね」がその人に備わっているかどうかが重要です。子供たちは大人以上に誰が教えてくれているか?ということを重視します。 〜起業〜 「子供の学力の再生・スタートアップをてがける教育機関」 JTで鍛えられた現場主義を塾でも実践しております。私は経営者でもありますが、開校6年目になった今でも指導現場で子供に教えて続けております。今後塾も大きくなり、私を抜いてくれる社員が出てきてくれることを望みますが、もう少し先になりそうですw 「なぜ経営者になったか?」 そもそも私も経営者になりたいから起業したのではありません。自分が好きな場所でいつまでも働き続けられる環境を作りたかったから起業しました。私はお子様に指導をしている時間こそが充実でき、やりがいを感じます。その大切な場所を自分にいつまでも確保できる環境を創りだそうとしたことが根本にあります。もちろんそれを私だけでなく、社員に対しても実現させたいと思っております。
6年間 新規校舎を開校しなかった理由
Tomoyuki Yakahi
ココロ・ミル講師の屋嘉比智之と申します。 幼少期から現在のエピソードを通じ自己紹介をさせていただきます。よろしくお願い致します。 〜おせっかい少年〜 始まりは幼稚園の授業参観。 友達のお弁当箱が開かない。 「まかせて!」 友達のお弁当箱をこじ開ける。 お弁当箱は宙に舞いました。 弟と共に始めた野球。 自分の練習そっちのけ。 弟のスパルタ特訓に明け暮れていました。 中高陸上部。 部長を務め後輩指導に精を出す。 やたら暑苦しかったはずです。 人におせっかいを焼くことが何よりも好きな少年でした。 〜mixiと僕と山田塾長〜 部活と勉強に全力の高校生活、早稲田大学に無事合格。 が、そこで一気に立ちくらみ。目標もなくダラダラと過ごしていました。 焦燥気味の19歳の夏、mixi(当時のSNS)に何やら通知が届きました。 ???「家庭教師をやりませんか?」 僕「?!?!!」 差出人の名は山田佳央 (現ココロ・ミル塾長) 家庭教師のゲリラスカウトだったのです。 んー…んー…んー… おもしろそうだからやってみようっと。 「好奇心は人生を切り開く」 この時の経験から得た教訓です。もしあの時メッセージを無視していたら。一歩踏み出す勇気がなかったら。今の自分はきっといなかったはずです。 山田塾長との奇妙な出会いから早いもので10年。何度も何度も助けられてきました。感謝しかありません。 どのタイミングで、どのような方法で自分に大きな影響を与えてくれる人に出会うかわからないものだとも感じました。 〜ココロ・ミルの講師として〜 ありがたいことに楽しくやりがいを感じながら働かせていただいております。 教えることが昔から本当に好きなんです。自分の持つ知識を、経験を伝えることで喜んでもらえる。自信をつけてもらえる。そしてお金をいただける。こんなに楽しいことはないんじゃないかと思っていました。 でも先日観た映画で胸を打たれる言葉が出てきました。 "人生は他者だ" グッときました。 僕の楽しい仕事、俺の活躍できる場、ワタクシのやりたい仕事、、、 何においても"自分"を中心に考え行動することから抜け出せていなかったのです。 けれども、自分が楽しいと感じるから楽しいのではなく、他の人がいてくれるから楽しいと感じられるのかもしれないと思ったんです。 家族がいて、友達がいて、同僚がいて、会社があって、そして子供達が僕の人生に関わってくれているからこんなにも人生が豊かになっているのだと。 教えるということを通じて、子供達から多くのことを教えられているのだと。 子供達のペースに合わせるのではなく、巻き込みながら引っ張っていくことが求められます。時に厳しさも求められます。当然自分のスタイルも必要です。 ですが、その中心にいるのは自分自身ではなく、子供達だということを忘れてはいけないのだと感じています。 子供達のココロをいかに想像しながら言葉を伝えられるのか。ここに講師としての力量も表れるのだと思います。 またこの仕事のやりがいなのだとも思います。 これからも子供達におせっかいを焼き続けていけたらと思います。 教えることに対し、熱くなれる人とココロ・ミルという塾を作っていければ幸せです。
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