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Yoji Hiraki
子供の頃、絶対に働きたくない会社、それが丸信でした。 土日も関係なく仕事に行く父。たまに会う従業員さんはヤンキーばかり。 高校生の頃、正月に家に遊びに来たヤンキーの親玉みたいな社員さんにヘッドロックされたのが衝撃で、畑違いの理系(物理学科)に進学し親には跡継ぎとしては諦めてもらおうと思っていました。 高校時代は勉強嫌いで現役ではどこにも受からず、浪人を経ての進学でしたが、厳しい大学で華やかな大学時代とは無縁の勉強とアルバイトに明け暮れる日々でした。難関の国立大学の大学院を志すも受験に失敗。理系を諦めます。 大学4年の9月からの就職活動で出遅れましたが、なんとか外資系の生保に入社。 税理士・公認会計士事務所を代理店にして中小企業に節税型の保険を販売する仕事でした。一年で同期入社30名が10名くらいに減るような厳しい会社でしたが、(当時平均勤続年数2年)上司、先輩、お客様に恵まれ、足掛け4年勤めました。ここで営業の基礎と会計の知識を学びました。包装資材や印刷とは無縁でしたので、もう少し家業に関係ありそうな職への転職を模索し、大手コンビニ本部から内定をもらった時に父からの 「丸信も問題山積だから、いっそ帰ってきたらどうか」 との話があり、転職は辞退し、久留米に戻りました。27歳でした。(当時は売上32億、従業員数180名くらいだったかな) そこからは一途に営業を頑張りました。営業は決して得意ではありません。それでも逃げ場はないと思い、タウンページを片手に片っ端から飛び込み営業。下手なりに身を削って努力しました。社員さんの私を見る目も厳しかった、、 1社1社とお客様が増えていき、3年もしたら注文を捌けないほどお仕事を頂きました。10年くらい充実した時期を過ごしました。 37歳で経営を学ぶ為に社会人向けの大学院へ入り直しました。かなり進んだ大学院で当時からWEB受講できる仕組みでした。東大、京大出身、大企業の幹部、海外法人のトップ、医師、税理士、ファンドマネージャーなどの超優秀な同級生の中でコンプレックスに苛まれながら、なんとか喰らい付いて2年で学位を得ました。まるで 頭の中のOSが最新のもに入れ替わる体験 でした。この2年は今も経営者のベースとなっています。 趣味は特にありませんが、ランニングやウォーキングを続けています。 45歳の頃にはフルマラソンを3時間56分で完走し、念願のサブ4ランナーとなりました。 100キロウォークのイベント(夜通し歩くやつです)にも社員の有志の皆さんと5回くらい参加しており「どM」と呼ばれています。
田中 敏彦
福岡県久留米市に本社を構える包装資材・シール/パッケージ印刷加工をやってる株式会社丸信の広報兼採用担当者です。 新聞記者、TVCM新聞広告制作、通販マーケティングなどを経験し2019年に広報専任として入社。地元の、しかも自宅から10分の会社で念願の広報専任になれるとは自分の中でちょっとした奇跡。パブリシティやSNS、社内報など自社の広報活動はもちろん、取引先のパブリシティ支援やオウンドメディア運営まで、幅広く情報発信しています。ひとり広報を卒業し、この度、3人体制になり、さらに採用兼務となりました。 一般社団法人PRプロフェッショナル協会公認PRプロデューサー
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