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We are changing the worldと感じる瞬間

この学校で働いていると"We are changing the world"と大げさではなく、感じる瞬間があります。

私が体験したその瞬間のひとつは、新学期のオリエンテーション中、全校集会をしていた時でした。

私たちの学校では、全校集会は大人ではなく、生徒たちが、すべて取り仕切るのですが

生徒たちの企画のひとつだった“walk of privilege“を体験した時のお話です。

”walk of privilege”とは、全員横一列に並び目をつぶるところから始まります。

その並んだ状態で、色々な質問が出されるので

答えが「はい」の人は1歩前に進み、答えが「いいえ」の人はそのまま動かない、というものです。

「両親と一緒に生活する家庭で育った」「明日の食料をちゃんと確保できるか悩んだことはない」

「自分の意見を主張できる環境で育った」「命の危険を感じたことはない」....という内容の質問が

幾つも出されるのですが、いわゆる”privilege (特権)“がある恵まれた環境で育った人は

どんどん前に進んでいく仕組みです。

最後の質問が終わると、「目を開けて、周りを見渡して下さい」と指示があり、周りを見ると

自分より前にいる人、自分と同じ横のラインにいる人、自分より後ろにいる人、見事に散らばります。

生徒も教職員も思い思いの表情をしながら周りを見渡していました。

次は、8名くらいのグループに分かれて「今の体験を通して何を感じたか」ということを共有しました。

ある生徒が、こんな思いを打ち明けてくれました。

「両親のおかげで僕は何不自由なく、かなり恵まれた環境で育って来た。それはちゃんと自覚しているし

両親には心から感謝している。でもこの学校に来て、さまざまな生活環境や壮絶な人生を歩んで来た

生徒たちに出会い、自分が恵まれた環境で育ったことに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

なぜ僕は恵まれた家庭に生まれたのか?僕はそんな環境にいる価値がある人間なのか?

と自問自答することがある。そんな僕だからこそ、できることは一体何なのか?と毎日、考えている」

別の生徒は、こんな思いを共有してくれました。

「去年、入学した時もこの“walk of privilege“を体験しました。私は非常に限られた環境で育ったので

目を開けて全体を見渡した時、去年も一番後ろ、今年も一番後ろでした。

去年の私は、そんな「後ろ」に立っている自分が恥ずかしくて、悔しくて

この”walk of privilege“の体験が嫌でした。

でもこの学校で1年間学び、成長したことで、今日は「後ろ」に立っている自分が

ものすごく誇らしかった。

恵まれない環境だったからこそ、学ぶ意欲が誰よりもあったし、自分の可能性を広げることに

貪欲でいられた。恵まれているか、恵まれていないかは関係ない。

どう感じるか、どう行動するかは他の誰でもない、自分自身が決めることだ

と、この学校に来て分かったから」

もうね、こういう瞬間なんです。この学校の一員でいられて本当に幸せだな、と思うのは。

私が日々、仕事を頑張れるのは「生徒たちのため」と胸を張って言えます。

最後に、司会者を務める生徒がこう締めくくりました。

「ここにいる皆さん一人ひとりが、さまざまな環境で育って来ました。

何不自由なく育った人、限られた環境で育った人。そこでは「格差」というものがあったかもしれない。

「平等」では、決してなかったかもしれない。でも、バラバラの人生を歩んでいたみんなが今、

UWC ISAK Japanという、1つの学校に集まりました。ここでは、みんなに与えられた

自由や可能性は平等です。共に最高の成長の場にしていきましょう!」

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