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次世代に想いを紡ぐ、小さな町「浦幌町」の大きな挑戦。子供と共に学び続ける大人たちのストーリー。

みなさんは、北海道の〝浦幌〟という町を知っていますか?

北の大地ではいま、桜が見頃です。でも寒いので道産子は防寒対策を万全にして、ジンギスカンを楽しみながら桜を愛でるのが花見の定番なんですよ。

まだまだ寒い、十勝の南部にある浦幌町なのですがそれでも、町民に親しまれている〝うらほろ森林公園〟を訪れると、澄んだ空気の中に、春の息吹をきっと感じられることでしょう。ただ、ハマナスやエゾカンゾウといった美しい花が彩りを添えるのはまだ先の6月下旬から8月上旬。一年の中で、浦幌の夏は短いひとときかもしれません。

浦幌町の総面積は729平方キロメートルと、東京23区よりも広大で、その面積の7割ほどを山林が占めています。これからの季節は、肥沃な大地を覆っていた雪がとけ出すと、支流から浦幌川、浦幌十勝川へと合流し、水かさを増して太平洋へと流れ込んでいきます。

すでに、農家のみなさんは長い冬での準備期間を経て、畑を耕す日を今か今かと待ち構えています。最近では、自動運転の農機も増えているんですよ。

収穫の秋には、じゃがいもや小麦、豆類、砂糖の原料である甜菜など、町を支える農産物が実り、出荷のピークを迎えます。

また、七千頭近い乳牛、三千頭を超える黒毛和牛は商品化が進んでいますが、最近では野生の蝦夷鹿肉のブランド化に向けた動きも始まっています。

浦幌の農家のみなさんが手塩にかけて育てた絶品のとうものころしなどを食い荒らし、舌が肥えてしまった鹿による農作物の被害が深刻化しています。ですが、そんな鹿肉を狙って、スナイパー級の腕を持つハンターが対峙します。

そして、鮭やホッケが獲れる町は北海道内に多いのですが、本物の〝ししゃも〟は漁場が北海道でも限定的で、漁獲量が少なく全国的にスーパーに並ぶのはロシア産など、別の品種です。浦幌はこういった貴重な水産物まで、多種多様な食材の宝庫と言えるでしょう。カロリーベースの食料自給率は、およそ3000%なんですよ!

食材だけではありません。磨けば光る、価値を生み出す素材は豊富で、その商品化や流通、ブランディングが大きな課題なのです。

浦幌町も全国で進む過疎化や少子高齢化の波には抗えず、70年代に一万人以上いた町の人口は五千人を切ってしまい、牛の数の方が二倍以上になってしまいました。

ただ、過疎が進む他の町と同じ状況かというと、決してそういうわけではありません。次世代を見据えた、独自のまちづくりが全国各地の関係者から注目を集めているのです。

浦幌町では2006年頃から、子供を中心に据えた〝うらほろスタイル〟というまちづくりに官民が一体となって取り組んでいます。そして、「子供たちが夢と希望を抱ける町を目指して」をコンセプトに、蒔かれた種はしっかりと根付き、芽を出しはじめています。この取り組みのキーマンは、もともと十勝や浦幌には縁がなかった東京出身の近江正隆さんです。


大人も子供も一緒に学び、次の一歩を踏み出す〝うらほろスタイル〟。

テレビドラマ「北の国から」や主人公の吾郎(田中邦衛さん)に憧れて、北海道に夢を抱いてやってきた近江さん。漁師になりたくて、いろんな町の漁港を尋ねたそうですが、唯一受け入れてくれたのが浦幌厚内漁協の老漁師だったそうです。

漁師として独り立ちした後は、ECサイトも駆使して販路を開拓し、大きな成功を納めていた近江さんでしたが、船の転覆事故で九死に一生をえた経験をきっかけに漁師を引退すると、町の子供たちや町の未来のために、まちづくりに携わるようになっていきます。

「漁師時代は、目の前のことで精一杯で、まわりが見えていなかったんです。転覆事故で他の漁師に命を救われ、自分の生き方について考えるようになりました。自分のおごりに気づき、自分を拾ってくれた町に恩返しをしたいという思いが芽生え、自分が何をできるのかを考え、行動に移るようになりました」

近江さんは、子供たちや学校の先生へのヒアリングなどをもとに、農林漁業者の訪問や販売体験など、型にはまらない独自のカリキュラムを開発し、徐々に成果を上げていきます。このノウハウを生かして、首都圏の中高生に対しても、〝農山漁村ホームステイ〟を提案し、都市と十勝を結ぶ取り組みも実践され、定着し始めています。

「私自身が一番感じていることですが、子供たちの地域への愛着を育み、子供達が考えた企画をカタチにしていくことで、大人たちも学びを得るんですよね。見過ごしがちだった地域の魅力に気づき、協力し合うことで新たな取り組みが生まれていく。うらほろスタイルは、スタートから10年経って、大きな手応えを感じています」

困難に向き合い、楽しみながら、このまちの未来を創りたい

森健太さんは、地域おこし協力隊員として、元々は縁もゆかりもないまま、三重県から浦幌にやってきました。随分と遠い場所ですが、来る前はどういうイメージだったのでしょうか。

「そうですね、故郷とは異なる第一次産業を中心とした町という印象でしたね。ただ、その中でも、〝うらほろスタイル〟の取り組みに共感するものがあり、自分も参加して、一緒にまちの未来をつくりたいと思うようになりました」

森さんは、約一年間の市場調査を経て、昨年、若干23歳で、地域商社〝ちおかい〟を創業しました。アイヌの言葉で、「わたしたち」を意味するそうです。町の花・ハマナスを原料に、洗顔せっけん、乳液、化粧水、美容液、ハンドクリームなどの商品を開発。いま、その発売開始に向け、大忙しで準備を進めています。

実は、この商品も〝うらほろスタイル〟の取り組みに参加していた地元の中学生のアイデアからスタートした事業だといいます。さらに、商品開発には、地域のお母さんたちも加わっています。

浦幌を訪れると、地域おこし協力隊員を中心に、フレッシュなメンバーが活躍していることに驚かされました。みな生き生きとした笑顔なので、町も明るい印象に映るのです。

「僕は大学新卒で、浦幌の地域おこし協力隊員になりました。仕事に取り組む姿勢ですとか、時間の効率的な使い方とか、基本的なことも全て一からで、随分苦労しました。でも、町内で相談に乗ってくれるひと、手を差し伸べてくれる人たちのおかげでやりがいを持って仕事をできています」

一度も訪れたことのなかった町で仕事をすることに対して、不安はなかったのでしょうか。

「広さはありますが、人口は五千人に満たない小さな町です。スーパーやコンビニ、飲食店と、どこに行っても、顔見知りだらけなんです。地元のおじいちゃんおばあちゃんが優しく声をかけてくれたり、飲みの席に誘ってくれたりすることもあります。それに、同世代の仲間もたくさんいますし、切磋琢磨しながら、充実した日々を送っていますね」

昨年、近江さんを中心にした町の有志チームは、東京の民間企業に呼びかけ、新しい取り組みをスタートさせました。〝うらほろスタイル〟に賛同した16人のメンバーが東京から〝浦幌ワークキャンプ〟に参加。それぞれの経験やアイデアを元に、今年頭に、事業案を町長に向けてプレゼンを行い、その事業を具体化する取り組みがすでに始まっています。現在、募集中の地域おこし協力隊員は、その事業を担い、一緒に育てていってくれる方です。

森さんにどんな人物が浦幌の地域おこし協力隊員としてどんな人に適性があるかを聞くと、じっと考え込んだ後、「困難を楽しめるというポイントではないでしょうか」と腕を組んで前かがみになりました。浦幌だけではありませんよね。全国どこでも同じで、〝地域おこし〟という課題は、簡単に解決できるものではないのでしょう。

「知らない土地に根を張ろうとするところから、簡単にはいかないと思います。この分野で働くということは、様々な困難と向き合わなければなりません。その時に、楽な道とか、逃げる道を探そうと考えるのではなく、自らその困難へと立ち向かえる人が向いているのではないかと思います」


文:八木圭一(十勝出身の新米ミステリー作家)
写真:清野和之(ノースプロダクション)

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