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全国ベスト8のサッカー部キャプテンは、なぜベンチャーで働く道を選んだのか

藤井さん

北海道出身。小学1年生でサッカーを始め、中学生までコンサドーレ札幌のユースチームに所属。静岡学園高等学校ではキャプテンを務め、全国ベスト8を経験。関西大学を卒業し、新卒で飲食事業を運営するベンチャー企業へ入社。その後ビールメーカー、SaaS企業を経て、2023年12月にRight Brothersへジョイン。娘を溺愛する1児のパパ。


ーどんな学生時代を過ごしてきたのでしょうか。

小さい頃は父の影響で野球をしていましたが、幼馴染がサッカーを始めたのをきっかけに、小学1年生の時に自分もサッカーチームに入ることにしました。すると、サッカーのほうが自分には合っていたのか、メキメキとうまくなっていきました。小学6年生の時には北海道内で2位になり、U-12の日本代表の候補合宿に呼ばれ、この時は周りに敵はいないと思っていました(笑)


ー なぜそこまで上達できたのでしょうか?

一番大きな理由は、小学5年生の時に上級生とたくさん試合をしたことです。小学生の時は1学年違うだけで体格差が大きく出るのですが、6年生を相手に試合の数をこなしたことが、チーム全体を強くした要因だと思います。

その後は、小学6年生の時にコンサドーレ札幌ジュニアユースに入ることになりました。途中、コーチから「メキシコでプレーしないか」と誘われましたが、現地の情勢に不安があったため断念し、中学はそのままコンサドーレ札幌U-15に入団することになりました。


ー 同級生と比べると、ひとつ飛び抜けた存在だったんじゃないでしょうか?

手前味噌ですが、エリートだったかもしれないですね。北海道内で5人だけしか選ばれない、日本代表の道が見えるナショナルトレセンのメンバーにもなったので、本当に順風満帆でした。

ところが中学3年生のときに、左肘を脱臼したことで大事な時期を4ヶ月ぐらい休むことになりました。怪我で少しピッチから離れていたものの、自分ではこのままU-18のユースに上がれると思いあぐらをかいていたのですが、現実はもっとシビアなものでした。

U-18のユースのコーチの評価は、一過性の怪我の影響などではなく、「体の小ささ」「フィジカルの弱さ」が懸念で、U-18の中でも下位のチームであれば自分を入団させるという判断でした。それまでは高い評価しか受けてこなかったので、その現実を素直に受け止めることができず、ユースチームへ行くことは辞め、高校サッカーでプレーすることを決めました。


ー 中学卒業後の進路について教えてほしいです。

ありがたいことに全国の高校からスカウトが来ていたのですが、コンサドーレ札幌U-15のコーチが、サッカーの強豪校である静岡学園出身で、そのコーチに勧められるがままに一度練習に参加することにしました。すると、そのままとんとん拍子に話が進み、練習参加後には全寮制の静岡学園への進学が決まりました。


ー 高校生活はどのように過ごされたのでしょうか?

週4で5時半から朝練をして、1年のうち360日はサッカーをやっているような日々だったと思います。部内にはレギュラーの所属するAチームと、2軍のようなBチームがあり、1年生の時は全然結果が出せず、Bチームに所属していました。ところが2年生になって少し経った頃、練習中にボールが足りなくなり、Aチームにボールを借りに行ったんです。そこで何の前触れもなく監督から「Aチームの練習に入れ」と言われ、公式戦の1週間前からAチームで練習をすることになりました。Aチームのメンバーとして公式戦に出場し、その後もレギュラーに選ばれ、その年は全国でベスト8になることができました。監督の声がかかったのは偶然だったかもしれませんが、サッカーに真剣に取り組んだ結果が出たことがすごく嬉しかったです。3年生になるとキャプテンを務めることになりました。


ー どんなキャプテンだったのでしょうか?

癖の強い選手が多かったので、「監督の要求をどれだけ選手個人に落とし込めるか」「雰囲気が悪い時にどのようにチームをまとめられるか」ということを意識しながら、こちらも強いリーダーシップを発揮しなければならなかった状況でした。なので、チーム内では怖がられていたと思います。


ー それだけサッカーに打ち込んでも、プロの道には進まなかったのでしょうか?

確かにサッカーが生活の中心だったのですが、高校3年生の時は過度な練習で怪我も多く、プロになることは諦めていました。

高校卒業後は、たまたま誘ってもらった関西大学に進学してサッカー部に入ったものの、そこでも怪我が続き、練習に身が入らずにいました。やりたいことを見出せずにふらふらしてしまい、その状態のまま3年生になって、就活が始まりました。

ー 就活では、どのような業界に興味を持っていましたか?

強豪校の体育会出身ということもあってか、おかげさまでいくつもの大手企業から声をかけてもらいましたが、中でも商社に魅力を感じていました。当時はかっこよく見えたんですよね。

ただ、何社かから内定をもらったタイミングでベンチャー企業にも興味を持ち始めると、大手と違って社長と直接面接をする機会が多いことに驚きました。そして会社のトップから話を聞いているうちに、一緒に働きたいという気持ちが芽生え始め、飲食事業を運営する会社に入社を決めました。

ー その会社では、どのような業務を担当していたのでしょうか。

運営する飲食店が1週間に1店舗ずつ増えていくような状況で、とにかく人が足りなかったこともあり、入社後はまず店舗の店長として働き始めました。売り上げを追っていくことは好きで、結果も出せていたので、やりがいを感じていました。また、すごく優秀なメンバーばかりだったので、学ぶことが多い環境でした。その会社には7年ほど勤めたのですが、サッカーをやっていた時の先輩に誘われて、外資系のビールメーカーに転職することになりました。


ー 2社目では何の業務をされたのでしょうか?

世界一のビールメーカーの、日本法人の立ち上げフェーズにおける、酒屋や小売店への営業活動を行っていました。社員同士の仲も良かったので仕事は楽しかったのですが、ルート営業、かつ商材がシンプルなために、あまり考えなくても売ることができました。そのため、なかなか自己成長を実感できずにいた時、過去に仕事でお世話になった人から「モバイルオーダーの事業を始める社長と会ってほしい」と連絡を受けました。

ー そこから転職を?

実際に会って話を聞いてみると、一緒に働いたら面白そうだと感じて転職することにしました。上場企業の子会社だったのですが、従業員数が5人しかおらず、営業は自分だけだったので、新規開拓や代理店営業、カスタマーサクセスなど、売り上げを伸ばすために必要なことをなんでもやっていました。

ところが、小さな規模からスタートした会社をみんなで育てていく楽しさや喜びを実感しつつも、親会社との間で人材の配置転換が行われることとなり、転職を意識し始めました。

ー 実際何から始められたのでしょうか?

それまでの転職はリファラル(紹介)採用のみでしたが、初めて転職サイトに登録してみたところ、1番にメールを送ってくださったのがRight Brothersの大澤さんでした。大澤さんとの面談後に代表の高野さんとも話すことになり、気づいたらRight Brothersの社員合宿になぜか参加していました(笑)

高野さんの人柄や、自分のこれまでの経験が活かせて、なおかつこれからどんどん大きくなるフェーズに携われるのは面白そうだなと思い、自分が担当していた業務が整理できたタイミングでRight Brothersへジョインすることになりました。合宿からRight Brothersの入社まで1年ほどの期間があったと思いますが、その間も高野さんは待ってくれていたんです。


ー 合宿から約1年も経っていたんですね(笑)2023年12月にジョインされて、今はどんな業務をされていますか?

M&A業界に特化した人材エージェントをしています。最近は大澤さんと共に全国各地を飛び回って、M&A業界への転職を希望する方々との交流イベントも運営しています。高野さんが入社を1年待ってくれていたので、その分の期待には応えたいんですよね。また、高いハードルを越えていくことが好きなので、社内では切り込み隊長のような存在でいたいと思っています。


ー まだ入社して間もない藤井さんですが、Right Brothersにはどのような人が合いそうだと思いますか?

何でも自分事として捉えられる人でしょうか。色んな人のアイデアや意見が事業に反映されているので、「自分が会社を盛り上げるんだ」という思いがある人には合っていると思います。また、常に環境やルールなども変化していっているので、その状況を楽しめる人も合うと思います!


ー 本日は貴重なお話しありがとうございました!

ありがとうございました!

ー この記事を読んでRight Brothersで一緒に働きたいと思ってくださった方は、ぜひご応募お待ちしております!

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