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多様性に溢れ、持続可能な支社経営を実現させたら、またライフプランナーという生き方をしたい【営業所長 渡部 恒之】

「製造業の事業承継を支えること、それは中部経済圏から日本の主幹産業を支えることにもなると捉えています。そんな面白いマーケットが広がっているエリアが名古屋なんです。」

名古屋愛を感じるトークを展開するのは、名古屋第八営業所長 渡部 恒之(わたべ ひさゆき)だ。

メガバンクに新卒入社後、花形部署に配属された渡部。

そんな渡部がプルデンシャル生命に転職を決意したきっかけは何だったのか。

転職を決意した過去

多様性と事業継承の実現に向けて邁進する今

叶えたい未来

プルデンシャル生命への転職で「生き方が変わった」と語る、渡部のストーリーを紹介します。

―――自己紹介をお願いします。

名古屋大学卒業後メガバンクに新卒入社し、2019年1月にプルデンシャル生命に転職しました。3年4カ月ほどライフプランナーを経験した後、2022年4月に営業所長に就任しました。


―――前職について教えてください。

前職では年商100~2,000億円規模の法人営業を担う部署に在籍していました。

知識欲求が満たされる環境があり、海外企業とのやり取りもあったので大学の時に専攻していた語学のスキルも活かすことができました。

実務を通して、製造業を中心とした様々なビジネスモデルや海外に展開しているグローバル企業の動きなども学ぶことができ、素直に「面白い」と感じながら仕事に取り組んでいました。

―――楽しく仕事に取り組まれていたのですね。一方で転職のきっかけになるような出来事や想いがあったのでしょうか。

仕事自体はすごく面白いと感じ、充実もしていました。

しかし一方で、釈然としない気持ちも抱えていました。

私が配属された部署には、同じ大学のアメリカンフットボール部の先輩が在籍されていました。当時私はその方の後任として引き継ぎを受けていました。

その先輩は誰からも好かれる人柄で、同じ部署のメンバーだけではなく取引先の担当者からも惜しまれながら異動されました。

その時、せっかくお客さまとご縁を紡いだにもかかわらず、2・3年で担当が変わってしまい、本質的な事業支援や経営改善のお手伝いができない状況に大きな疑問を感じていたんです。

同時に、花形部署ではあるものの誰でもできるような代替可能な仕事を担う自分に、成長が止まってしまうような危機感も感じました。

さらに社会人1年目の時、父の会社が倒産しました。

少しでも父の経営の役に立とうと銀行に入社したにもかかわらず、決算書を読めるようになったのも、融資の判断できるようになったのも何の意味も成さず、家族である父の助けになることもできませんでした。

「何のために金融系の仕事に就いたんだっけ。」と、手を差し伸べられなかった無力感を強く感じましたね。

―――仕事そのものにやりがいや面白さを感じていた一方で、納得できない感情も抱いていたのですね。そのような中でプルデンシャル生命に転職することになった最初のきっかけは何だったのでしょうか。


大きなきっかけになったのは、銀行時代の同期がプルデンシャル生命に転職したことでした。ちょうどその時『かばんはハンカチの上に置きなさい(川田修著)』というプルデンシャル生命のエグゼクティブ・ライフプランナーが執筆した本を読んでいたこともあり、非常に興味を持ったことを覚えています。

翌日に銀行時代の同期をスカウトした営業所長(現支社長)からお電話を頂き、直接話を聞いた後、とんとん拍子に転職にまで至りました。

プルデンシャル生命であれば、担当のお客さまを一生涯サポートできる。個人のお客さまはもちろんのこと、法人保険や、中小企業の事業再生にもきちんと関わりたいという想いも叶えられると感じました。

―――プルデンシャル生命に興味惹かれていたとは言え、メガバンクの花形ルートからの転職に迷いはなかったのでしょうか。

正直、ありましたね(笑)

しかしプルデンシャル生命に転職した銀行時代の同期から保険の提案を受けた時、プルデンシャル生命に入社してたった数ヶ月だったにもかかわらず、ビジネスパーソンとして大きく成長した彼に嫉妬心を抱きました。

また「このまま今の会社に居続けたら、自分はこの先もずっと成長できないかもしれない」という焦りも感じましたね。

確かに、転職せずそれなりに仕事をこなせば安定した収入・地位が得られたと思います。

ただ当時は、「生き残っていくビジネスパーソンってどんな人なのだろう」という興味のほうが勝りましたね。世の中に正しくファーストインプレッションの評価を得られていない保険業界の営業パーソンとして成果を出せれば、どの業界でも戦っていけるだろうなという思いもありました。

―――『成長』という言葉がキーワードになった転職エピソードですね。では、入社後ライフプランナーのままキャリアを歩む選択肢もある中でなぜ営業所長の道を選んだのでしょうか。

ライフプランナーという仕事が好きすぎるぐらいの人ほど、営業所長を務めるべきだと感じています。

というのも、営業所長は、候補者の方々に「ライフプランナーという生き方」を提供する仕事であると考えているからです。私自身、3年4か月という短い期間で、ライフプランナーとして大切な生命保険をお預かりしたお客さまが沢山いらっしゃいます。多くの出会いと、それぞれの出会いから生じる新たなご縁、一人ひとりのお客さまとの深い関係は、プルデンシャル生命に入社していなければ経験できなかったと思います。自分自身が感じたその面白さややりがいを伝えていきたいですね。

それに、若い人が営業所長という仕事に挑戦することで、自分の想いやお客さまを引き継ぐライフプランナーを多数育成でき、「保険金を100%お届けする」ための、持続可能な状態を目指しやすくなるのではないかと思うんです。

他にも「できなかったことができるようになる」という瞬間に立ち会える機会が得られる点もプルデンシャル生命の営業所長だからこその魅力だと思います。スポーツに取り組んでいた時、同じような感覚を後輩に抱いたことはありましたが、仕事を通してそのような感情を抱くのは営業所長になってからでした。

また営業所長になってから、嬉しいと感じることや悩むことなど自分の感情が左右される起因の多くがメンバーに付随していると感じます。人のことで自分の感情が動く経験なんて、他ではそうそう得られるものではないですよね。

27・28歳という若さで、そんな他では得られないような経験ができる今の環境は、本当に貴重だと感じています。

―――プルデンシャル生命の営業所長ならではの魅力ですね。では、渡部さんが採用の場において候補者の方に必ず伝えていることはありますか。

私自身プルデンシャル生命への転職は、ただ単に「職を変えた」のではなく「生き方を変えた」と感じています。

そのため候補者の方には必ず、「プルデンシャル生命のライフプランナーになるということは、生き方を変えるということだ」と伝えています。

きっと多くの方が自分なりの望む生き方を持っていると思います。しかし自分の想いに蓋をし、自分の想い描く理想の生き方を選択できないと思い込んでしまっている方も多いのではないでしょうか。

ライフプランナーであれば、限られた時間の中で高い生産性を求めることができ、自分の望む生き方も選べるようになります。

一方でフルコミの難しさもきちんと伝えることにしています。気合と根性だけで生きていける報酬体系ではありません。お客さまからの評価とマーケティングという視点が大切なので、しっかりと考えて行動しなければならないと伝えています。

―――続いて、育成において意識していることはありますか。

お客さまのライフプランに合わせて保険を提案することと同じように、“育成もオーダーメイド”なんです。

私がライフプランナー時代に当たり前に取り組んでいたことでも、他のライフプランナーにとって難しいと感じられてしまうことがあります。それはライフプランナーが「間違った行動をしているから」「努力が足りないから」ではなく、“タイプが違うとからだ”と考えるようになりました。

誰しもがそれぞれの“型”のようなものを持っています。そのため皆が必ずはまるような正解はありません。

自分とライフプランナー1人ひとりの違いを理解し、「ライフプランナーたちが自分の展開したいマーケットで自信満々にお客さまに寄り添ったご提案ができる」そんなフィールド・環境を提供できるよう意識していますね。

―――ありがとうございます。営業所長になりちょうど1年たったタイミングですが、今後プルデンシャル生命でやりたいこと・実現したいことはありますか。

『多様性の追求』と『事業承継の成功』です。

事業承継については中小企業や製造業の事業承継のお手伝いはもちろん、「プルデンシャル生命社内における事業承継」の双方を意識しています。

多様性が求められる時代に移り変わる中で、今までのライフプランナー像とは違う新しい人材を積極的に採用していきたいです。

「多様性といえばプルデンシャル生命だよね」と言われるぐらいの変化を名古屋から発信・体現していきたいですね。

また社内の事業承継においては、引き継ぎのご契約を大切にご担当させていただく、ロールモデルとなれるような支社を創っていきたいです。

1987年に日本で現地法人を開始したプルデンシャル生命は、近い将来、多くのエグゼクティブ・ライフプランナーが定年を迎えます。その中で私たちは本腰を入れて社内における事業承継に取り組まなくてはならないフェーズへと差し掛かっていると感じます。

特に名古屋は、多くの大先輩からの担当引き継ぎが生じていくエリアの1つでもあります。

ライフプランナーの中には、引き継いだお客さまから、ご契約の見直しや、上手く新たなご紹介をいただくことができず、訪問先が無くなって辞めてしまう方も少なくありません。しかし、若いライフプランナーに担当のバトンを渡すことは、定年退職を迎えるライフプランナーのお客さまへの想いも引き継ぐという点においても大切なことです。きちんと向き合えば、若いライフプランナーがライフプランナーという働き方を続けられる一助になるはずだと思っています。

そのため育成面においても、相続分野に関する知識やシニア層のアプローチ手法なども入社初期から養えるよう、育成フローを整えていく必要があると考えています。

多様性と事業承継を両立させながら、ゆくゆくは支社長も目指していきたいですね。

10年ぐらいかけて完成形だと思える支社を創り上げ、極端な話、私がいつ死んでしまっても、自分が採用した方たちで上手く成り立つような、持続可能な支社経営を実現させたいです。

そして40歳ぐらいでまたライフプランナーに戻る。その時には友達に逢うような気持ちでお客さまのライフプランの保全業務に取り組めたら、そんな幸せなことはないですよね。

―――多様性と事業継承は、きっとお客さまにとっても必要なことですね。では、プライベートで叶えたいことや取り組みたいことはありますか。

現在、ボランティアとして出身である名古屋大学アメリカンフットボール部のゼネラルマネージャーを務めています。

未来が広く拓けている学生の彼らに対して、もっとも大切な「人間として」の成長ができるよう、たくさんの時間を投下していきたいですね。

「渡部さんみたいな人間になれるんだったら」「そんな生き方ができるなら」と、いつかライフプランナーという仕事に興味を持ってもらえたら、そんな嬉しいことはないなと思います。

また10月に第一子が産まれる予定です。

子どもにも自分の姿を見て、「父のような生き方をしたい」と言ってもらえる生き方を体現していきたいですね。

―――素敵な想いをありがとうございます。最後にキャリア選択に迷っている方に一言お願いいたします。

私は、仕事が人生の全てではないと思っています。

家族や自分の人生のイベントを最優先にしたいと考えています。

自営業だった父とは、一緒に過ごす時間をなかなかとることができず、強い寂しさを感じていました。なので、家族を犠牲にして仕事だけを頑張る、というのは全く信条に合いません。

一方で、仕事をしないと生きていけない、とも思います。

仕事を「お金を稼ぐためだけの手段」にするのか、「生きる意義を感じる手段」にするのか、これは人間だからこそ選べる権利の一つではないでしょうか。

もし「社会に役立つ仕事がしたい」「誰かに求められる人間になりたい」という自己実現に興味や関心があり、意義を感じられる仕事を望むのであれば、ライフプランナーは絶対に裏切らない生き方だと思います。

もしそのような方がいらっしゃれば、いつでもチーム渡部に来ていただきたいですね。


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