パクテラ・テクノロジー・ジャパン採用担当です。パクテラグループは、グローバルで4万人を超えるエキスパートの集団として、ビジネス/ITコンサルティング、ソリューション、アウトソーシングサービスを、数多くのクライアントに提供しています。
今回から2回にわたって、その日本法人パクテラ・テクノロジー・ジャパンの新代表に就任した社長・小早川泰彦(こばやかわ・やすひこ)のインタビューをお届けします。
前半では、学生時代のグローバル体験からパクテラとの出会い、そして社長に就任するまでの歩みを聞きました。ぜひ最後までお読みください!
学生時代の国際交流がグローバル感覚のベースとなった! ―― どのような幼少期、学生時代を過ごされたのでしょうか? 島根県出雲の出身で、小学校の頃は剣道に打ち込み、中学・高校は軟式テニス部で部長を務めていました。京都大学工学部への進学に伴い、地元を離れて関西へ。大学時代は民族舞踊研究会というサークルで4年間、活動していました。
主にスコットランドやハンガリー、ポーランドなどのいわゆるフォークロアダンスに親しむサークルでしたが、海外から舞踊団を招くなど、かなり本格的に活動していました。海外の人々とのコミュニケーションはとても面白く、ここでのグローバルな体験が今に繋がっていると感じています。
―― 新卒からパクテラ参画に至るまでどのようなお仕事をされてきたのか、キャリアを教えてください 1989年、新卒で阪急電鉄に入社しました。当時、阪急は大規模な都市開発やエンターテインメント事業などを展開しており、様々な領域で経験が積めると考えたからです。
最初の1年間は、社員寮に入り、駅務や車掌などの鉄道事業や様々なグループ企業での研修を行った後に鉄道本部という部署に配属され、駅舎の再構築や橋梁の架替事業、立体交差事業などを担い、省庁やゼネコンとの交渉から設計、管理までを手掛けました。
しかし、当時は「グローバル」や「IT」が社会的に大きなキーワードとなってきた時期でもあり、自分自身の興味との方向性の違いを感じて転職を決意。1993年、第二新卒としてアクセンチュアに入りました。
アクセンチュアでは、シカゴで行われた研修がとても面白かったですね。2週間ほど、アメリカ、ヨーロッパ、南米などから来たメンバーとともにグローバルワンチームとなって、設計などのミッションに挑むのですが、様々なバックグラウンドを持つ人々との共同作業はとても楽しく、ここでもグローバルな視点が養われたと思います。その後は金融をメインに、通信、製造など様々な業界のプロジェクトに従事。コンサルティングや開発工程などの下流工程まで“End to end”で担当しました。
そんな中、より上流にフォーカスしたいという思いが芽生え、アクセンチュアから先に転職した同僚に誘われて、2005年、SIer大手・日本ユニシスへ。ビジネスイノベーションオフィス(BIO)というコンサルティング部門の統括パートナーに就任しました。BIOでは戦略などの上流分野に特化し、業種や業界を横断してコンサルティングサービスを提供する部署で、幅広い業界のクライアントのイノベーションをリードしました。
唯一無二のビジョンに共鳴してパクテラへ。新サービスを生み出し、“変革”を推進! ―― では、パクテラに入社された経緯を教えてください 実は、パクテラとはアクセンチュア時代から接点がありました。当時、私はGE(ゼネラル・エレクトリック)を担当していたのですが、IT戦略立案コンサルティングの後に、全社システムの再構築を提案しました。その折、GEのグローバルパートナーだったパクテラと協業することになり、約1年のプロジェクトを共に推進し成功させました。それを機に、前任のパクテラ社長・李勁松(Li Jinsong)とも親しくなり、「うちに来ないか」と度々、誘われたものの、当時、パクテラは中国のオフショア企業というイメージが強く、上流工程に携わりたかった私は日本ユニシスへの転職を選びました。
ところが2007年、パクテラグループのトップであるCEOと会うことになり、その会話の中で、パクテラが掲げるビジョンやそのリーダーシップに大いに興味をかきたてられました。グローバルな視点で、カスタマーファーストのコアバリューと共に付加価値サービスを様々な業種の顧客に提供するグローバル企業の戦略、さらにはオープンなディスカッションができるカルチャーなど、とにかくビジネススケールの大きさに惹かれ、2008年1月、代表取締役として入社。 そして、このほど李が退任するにあたり、社長に就任しました。
―― パクテラ入社後は、どのような仕事を手がけられたのでしょうか? 入社した2008年当時、日本国内におけるパクテラの業務の大半はSIベンダーのアンダー案件で、いわゆるオフショアモデルが多い状況でした。豊富なリソースを活かしたオフショア開発は今ももちろん弊社の大きな強みですが、それだけではさらなる成長は見込めません。私のミッションはその体制を変革し、新規サービスを生み出すことでした。
サービスを作るには“人”が重要ですから、様々な人材を集め、組織も整えていきました。そうして、組込み系システム開発やBPOサービスなどの新規事業をスタート。その結果、顧客ポートフォリオは大きく変わり、売上高も2008年当時に比べてこの約15年で5倍超の規模に成長しました。
また、入社時、社員のほとんどは中国籍でしたが、途中から新卒採用も開始し、日本人が過半数を超える構成となりました。また、欧米籍やアジア籍の方など、社員の国籍も14国籍となり、チーム自体も、また提供サービスもグローバルに進化を遂げました。
さらに、2015年にはコンサルティングサービスの必要性を感じ、もうひとつの日本法人、パクテラ・コンサルティング・ジャパン(PCJ)を設立。以来、PCJと連携しながらパクテラの日本向けビジネスを拡大してきました。パクテラに入って今年で16年目ですが、振り返ってみるとずっとフロントに立って奮闘してきた感じですね。
同じゴールを見据え、多様な仲間たちとワンチームで突き進む! ―― 代表取締役としてパクテラのマネジメントを担う上で、大切にされてきたことはありますか? 2年前、パクテラではコアバリューを策定しました。そのキーワードのひとつが、“Passion to Win”です。仕事を成し遂げるには、やはり情熱を持つことが大事です。ただ命じられた仕事をこなすだけでは面白くありません。メンバー全員が情熱を持っているのが強い会社だと思います。
それから、“ダイバーシティ”ですね。パクテラでは現在、新卒採用も行っていますが、まだ圧倒的に中途採用入社が多い状況です。特にパクテラの場合、国籍も違えば、事業会社、IT企業、コンサルティングファームなど出身業界も異なります。だからこそ、互いのバックグラウンドや考え方をリスペクトし合うことが大切だと考えています。
仮にIT業界が初めてのキャリアの方であったとしても、顧客との付き合い方やチームマネジメント、誠実性など、お互いの良さを見つけて尊敬し合い、その上で同じゴールを見据えて手を携えていかなければ会社はバラバラになってしまい、人材も定着しません。コアバリューでは、これを“Trust and Respect”という言葉で表現しています。
もうひとつは、“プロフェッショナル”ですね。コアバリューには“Be Professional”と記していますが、「この分野なら自分は誰よりも知識がある」というような道を究めたプロフェッショナルを育てていくことが重要だと思っています。そういう人材が集まり、互いにリスペクトすることによって、“1+1”が2以上となり、個の力が大きな集団パワーに発展していくと考えています。
小早川・新代表のこれまでの経歴と、パクテラの歴史やバリューにも触れたストーリーはいかがでしたでしょうか。後編ではパクテラ・テクノロジー・ジャパンの現在の主力事業や今後の展望、転職者へのメッセージなどをお届けします。 後編 も、ぜひお楽しみに!パクテラに興味を持ってくださった方、一度お話してみませんか?以下、ぜひお気軽にご応募ください!