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NIXE創業秘話!残業ゼロの開発会社を作った経緯とは?【社員の声vol.1】

株式会社NIXE 代表取締役 土井康裕
自動車整備士やトラックドライバーの経験を経て、独学でプログラミングを勉強しました。
その後携帯電話のゲームを開発する会社に入社し、そこから数社に渡りキャリアを積んで、ニクスを作ることになります。
身体を動かすことが好きで、休日は季節ごとにスノーボードやダイビングに行ったり、サーキットでバイクを走らせたりしています。


エンジニアとしての第一歩

携帯電話のWEBサイトシステムを作ってみたいという思いをずっと持っていました。私の学生時代はガラパゴス携帯、通称「ガラケー」が主流でした。インターネット接続サービスが普及し始め、着メロや占い、ミニゲームなど様々なサイトが作られていた頃です。

ですが当時はそういった道に進む術が分からず、自動車整備士の専門学校を卒業し、そのまま整備士になったのがキャリアのスタートです。そこから何度か仕事を変えて、トラック運転手をやっていた時期もありました。様々な職業で経験を積むうちに、かねてより興味のあったIT関係に向き合うことになります。

まずは独学でプログラミングの勉強をしました。ある程度の知識を身に着けたところで、未経験者の私を採用してくださった会社があります。25歳のこのタイミングが、エンジニアとしての第一歩でした。


ニクスを作った経緯

最初の会社で磨いたスキルは、今に至るまでしっかりと活かされています。技術力はもちろんのこと、企画力や交渉力なども必要とされる、当時にしては稀有な現場でした。ここでプログラマーとして数年働き、その後独立してフリーになりました。

ところが、開発も営業も一人でやるには当然ながら人手が足りません。そんな中IT関係の営業を手掛ける人物と出会い、共に会社を立ち上げることになりました。これが株式会社NIXEの始まりです。

営業と開発を明確に役割分担することで、クライアントとの関係を構築しながら仕事を進めることが可能になったのは非常に大きいです。また、立ち上げ当初は私しか開発エンジニアがいませんでしたが、前職時代の仲間が徐々に集まり少しずつ企業としての基盤が整っていきました。

今の体制になったきっかけ

基本的に私がやってきたシステムエンジニアの仕事のみを受注していたところに、アニメーション制作に造詣の深いスタッフが入社しました。プログラマーだけでなくクリエイターが加わったことは、その後のニクスにとって大きな転機となります。

それまで受けていなかった制作の事業を新たに立ち上げ、アニメーション制作とゲーム開発のどちらにも強い体制を築くことができました。その結果ゲーム関連の業績が伸び、さらに多くのクリエイターが入社することにも繋がりました。
こうして開発と制作の二本柱で事業を展開していったことで、営業先が増えて売上げが上がり、社員の数も増えていきました。

しかし同時に、この業界ならではの悩みにも直面します。エンジニア業界は残業が多いイメージがありますが、残念ながら実状もその通りです。

そこでニクスでは、「残業ゼロ」の実行を決断しました。もちろんクライアントの要望に応えることは最重要項目ですから、層の厚いマネジメント陣がしっかりとバックアップ体制を取り、スケジュールや工数を調整します。エンジニアが制作のみに集中できるよう、現場での余分な負担を極力減らすことで、効率よくクオリティーを担保できる仕組みです。

これから目指すこと

ニクスは2023年「ゆめをかなえる」をスローガンに据えました。


私たちが技術向上につとめ、誠実にサービスを提供し、社員そしてクライアント様をはじめとしたゆめをかなえていくエコサイクルを実現していくことをニクスはめざしていきます

ここ数年ありがたいことに離職率がかなり低く、現在では40人強のスタッフが働いています。ここから100人規模の会社になるよう、さらなる事業拡充とスタッフの育成を行っていく所存です。

さらに企業として、エンジニアとして、そして人間として、様々なことに対する「強さ」を追求していきたいと思っています。また、社員一人ひとりをしっかりと守れる会社に成長していきます。

多くのIT産業は都心部を中心に回っています。特に東北においては、地元で働きながら技術を追求できる環境があまり整っていないのが現状です。
仙台にいながら都心部からの案件に携わり、最先端の技術とそのスキル向上に集中できる環境を提供したいと考えています。

ニクスではこれからも、エンジニアファーストを掲げながら会社を成長させていきます。

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