こんにちは、クラビズの本郷です。
この度、新企画【クラビズの原点:代表・秋葉の軌跡】がスタートしました。
このシリーズでは、当社を率いる代表・秋葉のこれまでのキャリアと、その中で培われてきた価値観を深掘りしていきます。
第1回となる今回のテーマは、秋葉がクラビズの社長になるまでの歩みです。
今でこそ誰よりもこの街の未来を考え、仕事に打ち込む秋葉ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
そんな秋葉が、なぜ倉敷に戻り、家業を継ぐことになったのか。そして、これまでの経験は今の仕事にどうつながっているのか。
その原点を聞きました。
1. 「人と同じは嫌だった」学生時代
――秋葉さんの学生時代について教えてください。
一言で言うと、「はみ出し者」でしたね(笑)。
市内の進学校に通っていたんですけど、勉強はほとんどせず、仲間とバンドばかりやっていました。
2年生からは、理系科目の授業を受けないクラスに進んだんです。今はもうないと思うんですけど、ストレートに言えば「みんなの邪魔をしないで」というようなコースで(笑)。
そこにずっといましたね。
――今のお仕事に向き合う姿からすると、少し意外です。大学はどうやって選ばれたんですか?
父からは昔から「東京の大学に行け」と言われていたんです。
高校受験を頑張って進学校に入ったのも、それが理由でした。
ただ、コツコツ勉強するタイプではなくて。映画や音楽が好きだった自分としては、東京の大学の中でもある私立大学の芸術学部なら行きたいと思ったんですよね。
そこから受験勉強を始めました。
――そのまま進学されたんですか?
いや、実は行きたかったところには落ちてしまって(笑)。
なぜかセンター試験の成績が良くて、先生からは近くの国公立を勧められたりもしたんですけど、結局、試験日程が早かったある私立大学を受けて、そこに進学しました。
でも大学に入っても、お酒ばかり飲んで授業にはあまり行かず、音楽に明け暮れていましたね。
バンドでデモテープを作ったりもしていました。
当時、自分たちでジャケットを作りたくて、グラフィックの専門学校にも数か月通いました。少ない貯金をはたいて当時は高価だったMacを買い、ジャケットやWebサイトを作っていました。
――今もクラビズにはデザインに関わる事業がありますが、その頃から興味があったんですね。
そうですね。
今振り返ると、真ん中にあるものは昔からあまり変わっていないと思います。
スティーブ・ジョブズの「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」という言葉が自分にすごく刺さったんですよね。
その時は意味がないと思っていたことが、あとになって今の自分につながっている。
デザインについても、そういうところは今もあると思います。
自分は、人の感情を揺さぶるものが好きなんですよね。
――そういうものに興味を持つようになったきっかけはあったんですか?
本だけは昔から好きだったんです。
中学生になると、難しい本を読んでいるのがかっこいいと思って(笑)。
勉強はしないのに、本だけは読むんですよね。内容はよく分かっていないのに、哲学書のような難しい本を読んでいました。
その中で、たまたま『ゲバラ日記』を読んだんです。
そこで自分の人生が揺さぶられたというか。
権力に抗う人たちって、かっこいいなと思っていたんですよね。
自分の信念のために動いている人たちに、心を揺さぶられてきた。
今思えば、そういう生き方に憧れていたのかもしれません。
みんなと同じことをするのはは嫌いだったし、服も人と同じものは着たくなかった。
人と違うことがしたい。
その感覚は、昔からあったんだと思います。
2. 自分の力のなさを痛感した、新卒時代
――大学卒業後は、どんなキャリアを歩まれたんですか?
新卒では大手人材会社に入りました。
ただ、ここは自分の中では一番の暗黒時代ですね。
まったく、うまくいかなかった。
自分の中に過剰な自信があったんですよね。
学生の頃は、なんだかんだリーダー的な存在になることも多かったし、「自分ならできる」と思っていた。
でも社会に出てみたら、圧倒的に自分の力が足りないことを痛感しました。
しかも、うまくいかなかったときにどう対処すればいいのか、その方法も知らなかった。
結局、2年弱で辞めてしまいました。
――かなり大きな挫折だったんですね。
そうですね。
自分の力のなさを知ったという意味では、大きかったと思います。
その後は、紹介を受けて上場直前のベンチャー企業に入り、求人広告の営業などに携わっていました。
入社のタイミングも良く、一メンバーながら上場を経験できました。当時はインターネット回線の販促がものすごい勢いで拡大していた時代で、仲間とセールスプロモーションの事業を立ち上げたりもしましたね。
――この頃から「起業したい」という気持ちはあったんですか?
起業したいとは思っていましたけど、かなり漠然としていましたね。
その後、3年くらいはひたすら享楽的な生活をしていました。
本当に筋が通っていなかった。
その日暮らしというか。
音楽をやっていた頃を引きずっていたのかもしれません。
ロックスターみたいに、「どうせ人間、いつか死ぬんだろ」みたいな感覚で。
将来どうしたいとか、そういうことは全然考えていなかったと思います。
3. 人生を変えた、2つのターニングポイント
――そんな時期から、考え方が変わるきっかけはあったんですか?
一番のターニングポイントは、子どもが生まれた時ですね。
それまでは、自分の人生は自分のものだと思っていた。
でも、この子のためなら命も投げ出せると思ったんですよね。
初めて、自分以外の誰かのために生きるという感覚が芽生えたんだと思います。
――地元の倉敷に帰ってきたのはどのタイミングだったのですか?
東京で働いている頃から、いつかは地元に戻るんじゃないかとは思っていました。
そんな中で、父が病気になったんです。
それで母から「会社をたたもうかと思っている」と言われました。
小さい頃から、実家と会社はつながっていたんですよね。
だから、自分が育った場所でもある会社がなくなるのは、なんだか嫌だなと思った。
それに、正直、自分は東京でビジネスをする柄ではないなとも感じていました。
だから、倉敷に戻ることにしました。
――奥さんを連れてのUターンだったんですよね。
そうですね。
妻を連れて帰ってきました。
妻にとって倉敷は縁もゆかりもない土地でしたから、東京を離れることへのためらいは、彼女の方が強かったと思います。
だから、当時の自分には東京を羨ましがる余裕もなかったですね。
自分だけでなく、家族の生活を守るために、とにかく必死でした。
当時の会社は、父と母と、そしてパートの方が2人。
それだけの小さな会社でした。
新聞折り込みの集合チラシ事業をしていたのですが、最初は自分が手足を動かして利益をつくらないと、自分の給料も取れないような状況でした。
だから、必死に働きました。
4. 綺麗なキャリアじゃなくていい。何度でも打席に立て
――その後、社長に就任されたんですよね。
社長になったのは、倉敷に戻ってから4年後くらいですね。
ただ、社長になっても自分が動き回って会社の利益をつくり続ける日々は変わらず、実質的に変わったのは肩書きだけ、という状態でした。
大変でしたが、周りで働く人たちには、とにかく熱量があったんですよね。
東京にいたときも、みんなでついつい時間を忘れるくらい夢中で仕事をして。
大変だったけど、みんなでやるのは心地よかった。
今振り返っても、ああいう経験はしておいて良かったと思います。
――最後に、これまでの経験を踏まえて、キャリアに悩む学生や若手に伝えたいことを教えてください。
自分はエリートではないです。
良い企業に入って、そこでキャリアを築いていくのは大事なことだと思います。
でも、ほとんどの人は、そういう綺麗なキャリアを歩むわけではないと思うんですよね。
だから、綺麗なキャリアをつくることだけを考えなくてもいい。
それよりも、どれだけ失敗できるか。
良いも悪いも含めて、自分の直感をどれだけ試せるか。
そういうことの方が大事なんじゃないかなと思います。
自分自身も、いろいろやってきた結果として、能力が身についたと思っています。
何度も打席に立って、やってみて、失敗して。
その積み重ねだったんじゃないかな。
若いうちに、歯を食いしばってやりきる経験をしておいて良かったと思います。
だから、今の自分がやりたいのは、そういう熱源をつくることなのかもしれない。
昔の自分みたいに、何かに夢中になれる人がいて、「大変だけど面白い」と思える。
「この環境にいるとワクワクするな」と思える。
そんな場所を、これからもつくっていきたいと思っています。
編集後記
今回、秋葉社長のこれまでを聞いてみて、印象的だったのは、最初から今のような経営者だったわけではないということでした。
バンドに熱中していた学生時代。
社会に出て、自分の力のなさを思い知らされた時期。
「どうせ死ぬんだろ」と投げやりになっていた時期。
そして、家庭の事情をきっかけに、地元・倉敷へ戻るという選択。
一見すると今につながっているとは思えない経験も、振り返ってみれば、確かに今の自分をかたちづくっている。
秋葉社長が話していた「Connecting the dots」という言葉は、まさにこれまでのキャリアそのものなのかもしれません。
クラビズでは、決められた道をただ進むのではなく、自分で考え、挑戦し、時には失敗しながら前に進んでいける仲間を募集しています。
「何かに夢中になりたい」
「自分の可能性を試してみたい」
「大変でも、面白いことがしたい」
そんな方は、ぜひ一度お話ししましょう。