きのもと商会に入社する前に大企業で勤めていた期間が長いという、メンバーの中では珍しい経歴の持ち主である小田原さん。
現在唯一の広島メンバーで、フルリモート在宅勤務で働いています。距離があるというのもあり普段なかなか聞くことのない小田原さんご自身のお話について、今回はリモートで伺いました。
小田原 侑矢
プランニング事業部/西日本エリアマネージャー/プランナー
広島市在住、1988年生まれ。 高専卒業後、半導体製造装置メーカーに入社。 ロジスティック部門で、プログラミング、ロボットを活用した工程設計をメインに13年間勤めましたが、「やりがい」を見い出せず退職を決意。 以前から興味のあったインテリア業界の中で、プランナーが入口から出口までお客様と一つのモノを作り上げていく仕事の進め方が、自身の追い求めていた「やりがい」のある仕事像とマッチし、きのもと商会に入社。 お客様の要望に対し最適な機能を提案するだけでなく、自身のこれまでの経験をプラスした提案もフランクにできる、そんな身近で頼りがいのあるパートナーと思っていただけるように頑張ります。
「仕事は与えられるものではなく探すもの」。評価を求めて奮闘した13年間
-きのもと商会に入社する前の経歴を教えてください!
きのもと商会のメンバーは村山さんをはじめ、高専(高等専門学校)の卒業生が多いですよね。僕もそのうちの一人です。
高専はバイクとかパソコンとか、そういうものに熱中している、比較的おとなしいタイプの人が多い環境でした。そんななかで僕はとりわけ好きなものも熱中しているものもなければ、ヤンキーに憧れてピンクのメッシュ入れて(笑)自分が尖っていたせいで周りの人とうまくやっていけませんでしたね。勉強ばっかりしていた、自分的には闇の時代です……。
とはいえ、友達が少ないのは捉えようによっては勉強や就活に集中できる環境だったし、専門的な教育を受けられる高専を卒業しているというのは就活で有利に働きました。
自分が楽しかったかどうかは置いておいて(笑)自分の子どもには行かせたいとは思いますね。
就活の軸としては「地元」を何よりも一番に考えていました。地元が広島市よりもちょっと呉寄りの東広島市なんですけど、中学校までの友達とのつながりがめちゃくちゃ強くて、就職で広島を離れる選択肢はなかったです。
そして、就活の末、半導体製造装置メーカーに入社します。在籍中にだんだん大きくなっていったけど入社当時は知名度はあまり高くなく、待遇だけを見て決めたというのが正直なところです。就活情報雑誌みたいなのに載っていた情報で、ボーナスの羽振りの良さがずば抜けていて! 「こんな会社が地元にあるんか!」と思って入社を決めました。
入社できたところまではよかったものの、志望動機が待遇だけだったので業種や勤務内容には正直あんまり興味がなく、なかなかモチベーションは上がりませんでした。生産管理や出荷業務などを行うロジスティック部門への配属で勤務地が工場だったんですけど、当時はパリッとスーツを着て都会のかっこいいオフィスビルに出社して、バリバリ働いている人に憧れがあったので(笑)工場勤務っていうのも気乗りがしない一因としてありましたね。
毎日出勤する工場ではみんな納期に追われながら仕事をしているので、「まだ来んの!?(来ないの!?)」というような怒号が飛び交っているのが日常茶飯事。マネージャー候補として入社した僕はそういった光景を横目にデスクワークがメインの日々でした。業務内容としては生産管理で、物流チームで出荷業務や納期調整などを行なっていました。
-小田原さんのキビキビとした仕事のスタイル、生産管理の経験があると言われると納得です。現在のフルリモート在宅勤務は自律的な小田原さんだからこそ成り立っているところもあると思うのですが、自律性や自主性が求められる職場だったのでしょうか?
そうですね、仕事の仕方としては「仕事は与えられるものではなく探すもの」。とにかく自主性が求められるかつ、上司も「成果さえ出していればいい」っていう感じの人でわりと放任だったので、自分でやるしかない環境でした。モチベーションが上がらない中で自律的に働くっていうのは難しく感じることもありましたが、結果としては約13年勤めましたね。在籍中に会社は大きくなったし自分の立場も変わっていって、最終的には3つの拠点を見るマネージャーとなりました。
振り返ってみると自分でも「よう続いたな」と思うけど、結婚を挟んだのが大きかったと思います。家族ができたら「がんばらないと」っていう気持ちになって、もうそこからは無双状態です。なんでもできる! って感じでした。
結婚する少し前に成果報酬制が導入されたんです。最初のうちは「会社の中で成果報酬を狙うより外で副業をしたほうが稼げる」と思っていてあまり積極的ではなかったんですけど、実際に副業をやってみたらこれがなかなかうまくいかなかったんですよね。
結婚してからは会社の成果報酬の方に集中するようになって、その時はもう無双状態だし(笑)どんどん成果をあげていけるようになりました。
-13年という長期間1社に勤めていたというのはきのもと商会では珍しい経歴ですね。成果報酬制というのはどんな制度だったんですか?
これは前職の特徴的なところだと思うんですけど「業務改善」を推進している会社だったんです。そして、「社内通貨」と「段級位」があって、毎週と言っていいほどの頻度で業務改善のプレゼン大会が開催されていました。そのプレゼン大会で勝つと社内通貨がもらえたり段級位が上がったりします。基本は個人戦ですがたまに全社イベントみたいな感じで部署ごとの交流戦もあり、これも評価が良ければ社内通貨がもらえます。
段級位は10級から始まって、僕は7段までいきました。7段で2000人くらいいる工場の中で4〜5番目くらいで、なかなかがんばっていたと思います。在籍中に見た中では30段が最高でしたね、まさしく段違い。レジェンドでした。
3ヶ月ごとの評価に応じて年4回ボーナスが出るのですが、社内通貨と段級位も評価の対象になっているので、それらを稼いでいるとボーナスが基本給を超えてくるなんていうのもありました。30段の人は取締役よりも給料もらってたんじゃないかなっていうくらい(笑)
積極的に取り組んでいる人が少なかったのもあって、真剣にやると勝てるので勝ちまくってました。
具体的にどんな業務改善を提案していたかというと、半導体製造装置は海外への輸出が多く、毎日膨大な量の請求書や送り状を発行しなければなりません。それもオペレーターしか触れないような運送会社ごとの機関システムに入って入力しなきゃいけないことも多く、結構煩雑で時間のかかる作業なのですが、それを毎日ひとつひとつ手入力していたんですよね。そこで、それを朝出社したら自動で全部出来上がっているようなシステムを組んだんです。そうしたら年間1000万円くらいの効果が出たのを評価してもらえました。
そんなこんなで約13年間勤めて、成果報酬制で評価され、もう働かなくてもいい状況になったので退職しました。
ようやく手に入れた、憧れの悠々自適な暮らしを通じて見えたもの
-小田原さんから感じる余裕はきっとそういった経験から来ているんですね……! 退職後はどのように過ごしていたのですか?
ずっと「仕事をしない生活」に憧れていて、早く引退したいと思っていました。フリーランスとかでもなく本当に働かない暮らしですね。
前職のときは毎朝5時起きとか6時起きとかで早かったので、まずはゆっくり起きて、広島のローカルテレビに「ひろしま満点ママ!!」っていう番組があるんですけど、それを見て、ジムに行って、ランチ食べてみたいな、そういうゆったりとした生活に憧れていました。初めの頃は憧れの暮らしをやってみていたんですけど、いざやってみるとそういう生活には1ヶ月で飽きてしまいました。
その後は飲み歩くようになったけど、家族もいるのでそう長くは続かず。単純に夜に出歩くよりも昼に活動したほうが自分の健康にもいいし、と思って旅行をするようになりました。振り返ってみると自分でもなんでだろうって感じなんですけど(笑)家族は連れて行かず、一人旅をしていましたね。たまに1週間くらい家を空けて国内外をゆったり楽しんでいました。当時、子育てをしながら快く送り出してくれた妻には感謝しています。
そうこうして2年くらい働かずに過ごし、それも悠々自適ないい暮らしだったんですが、あるときからFXトレードにハマって風向きが変わってきました。
一人旅をしていたとき、リゾートホテルに泊まることもあったんですけど、その宿泊料金の倍くらいの金額をリゾートの海辺でスマホ1台で稼げることもあるんですよ。それがもう快感で……。勝っているうちはいいんです。でもあるときから負けるようになって。そのときの焦燥感といったらなくて、家にいるときはずっとスマホ片手にFXにかじりついていました。
家族から「あの時には戻りたくない」って言われたことがあって、自覚はあんまりありませんが、そこまで言われるってことは相当やばかったんだと思います。
「これはいけん」と思って、社会とのつながりや常に新しい刺激がある環境を求めて就活を始めました。
-再就職にはそんな背景があったのですね。まだ東京メンバーも少なく、広島拠点も立ち上がっていない状況で求人に応募が来たのは印象的でした。
きのもと商会はWantedlyで見つけたんだったと思います。もともとインテリアには興味があって、前職の在職中に買ったタワマンは「おしゃれな家に住む」っていうのをテーマに、新築で買ったのにわざわざクロス全部剥がして貼り直して(笑)
遊びに来てくれた人に「すごい」って言われるのが気持ち良かった。インテリアを仕事にしてみたいと思ったのはこの頃からです。
そんな時に空間デザイン、広島拠点メンバー募集をの求人を見つけて、村山さんとカジュアル面談をしました。賢い、頼れそう、優しそうな人っていうのが第一印象です。初めて話したのは2年くらい前ですが、当時と今の印象はあんまり変わってないかもしれません。
入社してからはすごく気遣ってくれる人だなあって。東京メンバーと違って頻繁に会うわけじゃないし、広島で一人だから余計気遣ってもらっているのかな? 手厚くフォローしてもらっているのは強く感じています。前職のときは上司に気遣われたっていう経験はなかったし、親も結構ドライな感じだったので人生で初めて頼り甲斐のある人ができた感覚で嬉しいです。
村山さんは初めて話した時から右肩上がりに好きになっていっています(笑)
-広島でのフルリモート在宅勤務、実際どうですか? 自走する力をつけるコツがあれば教えてください!
広島でのフルリモートは、ガツガツ働きたいわけではないけど常に新しい刺激が欲しい自分にとっては程よい距離感とも言えます。まだ他にメンバーがいないというのもあって自分のペースでやっていますね。
コアタイムがないスーパーフレックスで、成果さえ出していれば勤務時間や場所を問わない、仕事の手段も問わないというのも自分的には働きやすさにつながっています。
在宅勤務については、多分元々集中力はある方で、自宅でも朝から晩まで食事も忘れて仕事をしてしまうタイプではあります。でも正直ずっと集中しているわけではないですよ。きのもと商会の働き方として、「成果さえ出していればいい」というのがあるので適度に肩の力を抜いてやっています!
自走する力は前職での経験が大きく影響していると思います。「仕事は与えられるものではなく探すもの」で、「自分の力で成果を出す」っていうのをずっとやってきていたので。当時の上司は面倒見がいいタイプかと言われるとそうではなかったのかもしれませんが、自走する力をつけるっていう意味ではいい上司と出会ったんじゃないかと思います。
あとは結婚や子どもが生まれるっていうタイミングで意識が変わるとか、いろいろなことが重なって自然とできるようになった感覚です。元々の性格もあるかもしれないけど、そういう環境に身を置いてトレーニングをすればある程度はできるようになるんじゃないかな。
-広島にもきのもと商会の拠点をつくる計画がありますが……。
自分が広島拠点を立ち上げていくまでの自信は正直まだないです。でも、広島にチームがあってそのチームでプロジェクトを推進するっていうのには憧れがあります。
プランニング事業部の東京メンバーは若い人も多いですが、僕はいわゆるZ世代くらいの子と接したことがないので、それくらいの年齢の人との距離感のはかり方が分かっていないかもしれません。新卒や若手を採用するとなったら自分が緊張しそう(笑)兄さんヅラしたいタイプなので怖がられないかとかパワハラって言われないか少し心配っていうのもあります。
もちろん未経験者でも歓迎です。ただ営業の経験がある人だとうれしいかな。あとは一緒に酒を飲める人!(笑)苦楽を共にして熱い話ができる人だとうれしいです。