「話すよりも、聞くほうが好きなんです」。
少しだけ緊張した面持ちで、彼はそう答えた。インタビュー前に共有した質問リストには、話すことを忘れないようにとメモ書きが添えられている。ああ、きっと丁寧な人なんだろう。初対面ながら、そんなことを思った。
学生時代からメディアに興味を持ち、流れるように入ったというウェブの世界。複数のメディア経験を経て、現在はフリーランスの編集者・ライターとしてinquireに携わる彼が、いまの仕事を通じて叶えたい夢とはなんだろう?
その源泉ともいえる大学生時代の体験に遡って、話を聞いてみた。
<PROFILE>
庄司 智昭(しょうじ ともあき)
ライター/編集者。大学時代に、被災地にメディアを立ち上げるプロジェクト「大槌みらい新聞」、ハフポスト日本版でインターンを経験。卒業後は、アイティメディア株式会社と株式会社am.で編集記者を担当する。2017年12月からは株式会社inquireとシビレ株式会社に所属。関心のある領域は、ローカルとテクノロジー。夢は、情報発信を通して“挑戦する人”を後押しすること。
Twitter:https://twitter.com/thompson2580
Facebook:https://www.facebook.com/yamukun?ref=br_rs
メディアをつくることは、“人と繋がる手段”だと実感した学生時代
——今日は、よろしくお願いします。私と世間話を楽しむような気持ちで、答えてもらえればと思います。まず始めにinquireでは、どのようなお仕事をされているのでしょうか。
庄司 智昭(以下、庄司)クライアント案件の執筆と編集を担当しています。具体的には、会員制シェアードワークプレイス「co-ba shibuya」に入居している方のインタビュー取材や、企業オウンドメディアの編集などですね。
——庄司さんは、学生時代に被災地でメディアを立ち上げるプロジェクトに関わっていたんですよね。もともと、メディアに興味があったのでしょうか。
庄司 そうですね。「新聞」や「テレビ」などメディアそのものが好きで、将来はメディア系の職に就きたいと思っていました。ただ僕はそこまで社交的ではなかったので、普通の企業でインターンをするだけでは、ほかの就活生には勝てない。
それなら他の人があまり挑戦をしないことに取り組んでみようと思っていたときに見つけたのが、東日本大震災の被害を受けた地でメディアを立ち上げるプロジェクトでした。説明会に行って、すぐに応募しましたね。自分が秋田県の出身だったこともあり、何かしたいという気持ちが余計に強かったです。
——色々な思いが重なって、被災地に行くことを決めたと。現地では、具体的にどのようなことをされていたのでしょう?
庄司 新聞を作ることはもちろん、自分たちで情報を発信する喜びを味わってもらうために、被災地の高齢者のかたにデジタルカメラを渡して、それぞれの宝物を撮ってほしいと呼びかけをしていました。その写真を集めて、東京や横浜で写真展を開催するときの責任者として、日々奮闘していましたね。
——素敵な取り組みですね。苦しいときだからこそ、自分にとっての宝物が浮き彫りになる。プロジェクトの参加者だけでなく、被災地のかたとも一体になってメディアを作っていたんですね。
庄司 そうです。現地の方と交流する機会はたくさんありました。床屋のおばあちゃんの家に通って一緒にDVDを観たり、体操が趣味のおじいちゃんのところに行って一緒にご飯を食べることもあって。
けれど、僕はどうも自分の考えていることを言語化するのが得意じゃなかった。会話につまるたび相手に気を遣わせてしまうのが申し訳なくて、聞き役に徹することにしたんです。相手の言葉にちゃんと耳を傾けるように心掛けました。
すると被災地の方から、「話を聞いてくれてありがとう」と感謝されることがあって。そこで、自分は人の話を聞くことが好きだと気づきましたね。
——「話すよりも、聞くほうが好き」だと仰ってましたもんね。メディアの立ち上げに伴い、人の思いにたくさん触れていくなかで、新たな気づきを得られたと。
庄司 そうですね。当初描いていたメディア業界に対する漠然とした期待ではなく、情報発信を通して人と人がつながり、新たな価値が生まれることに魅力を感じました。
また、当時はスマートフォンやSNSの利用が一般的になっていたこともあり、テクノロジーの発達によってメディアがどのように変わるかにも興味を持つようになりました。ハフィントンポスト日本版(現、ハフポスト日本版)でのインターンを経て、webメディアの世界で働きたいという気持ちが強くなりましたね。
会社員時代を経て感じた、一人の編集者・ライターとして生きていく課題感
——大学卒業後は、憧れていたWebメディアの道に?
庄司 はい。多くのWebメディアを運営しているアイティメディア株式会社に編集記者として就職しました。
IT分野のメディアで働けたらと思っていたのですが、。実際に配属されたのはエレクトロニクス関連のニュースを扱う「EE Times Japan」「EDN Japan」でした。
ど文系なのに専門的な内容ばかりだったので、最初の半年間は辛かったですね。上司が優しくて頼れる方だったので続けられたのですが、3年目をむかえたときに電力・エネルギーの専門メディアへの異動となって。トピックとしては大事なことだと感じていたものの、自分の興味が追いつかなくて退職を決意しました。
——私も会社員時代に、同じような経験をしたので共感します。興味がないことに時間を割くのは、心身ともにエネルギーを使いますよね。退職後は、別の会社に行かれたのでしょうか?
庄司 「70seeds」というWebメディアを運営する株式会社am.に転職しました。ローカルやソーシャルを切り口に、今を生きる人々の想いをインタビュー形式で届けるメディアです。
——メディアのコンセプトを聞く限り、被災地での活動に近いものを感じますね。メディアを作ることで、人と繋がっている。
庄司 そうですね。それこそ、被災地支援のプロジェクトで訪れた町で活動する方や、大学時代に卒業研究で訪れた徳島県神山町で自分の人生と向き合う方々に取材をさせていただきました。地方型の文脈でメディアに携わり、自分のやりたいことは実現できていたので不満はなかったです。
ただ、一人の編集者・ライターとしてちゃんと生きていけるだろうか? という漠然とした不安は常にあって。個人でも仕事を生み出していくことが必要だと考えるようになってから、週半分の勤務に変えてもらったんです。
inquireに出会ってから、記事の“数字”だけではなく“質”も追求するように
——個人として仕事を生み出す力は、これからより大切になっていきますよね。週の半分をフリーランスとして活動されるなかで、inquireに出会われたのでしょうか?
庄司 はい。先の問題意識を探求していたのが、inquireだったんです。ちょうど求人募集をしていたこともあって、代表のジュンヤさんにコンタクトを取ったことがきっかけでしたね。去年の12月頃から、少しずつ関わるようになりました。
途中で会社を辞め、完全にフリーランスとして活動するようになってからは、業務の幅も広がっていきましたね。今はinquireに加えて、東京にこだわらない働き方を支援しているシビレ株式会社の2社を中心に、編集者をしています。
——冒頭で話してもらったように、クライアント案件の執筆や編集を担当するようになったんですね。なかでも、印象的だったお仕事は何でしょうか?
庄司 色々なプロジェクトに携わっていますが、特に「co-ba shibuya」入居者への取材は毎回刺激を受けます。起業家やフリーランスの人に話を聞くことが多いのですが、その度に色んな人生の形があるんだと実感するんです。生死をさまよう大事故をきっかけに、フリーランスの道を歩むことになった女性編集者の軌跡。一度は失敗したものの、数年後に同じ仲間と再び起業したアプリ開発者の物語などがその例で。
——自分の好きなことをinquireでも体験できている証拠ですね。さまざまな業務に携わるなかで、一貫して意識されていることはありますか?
庄司 記事の“質”をちゃんと追求することです。会社員の頃は、記事の価値をPV数や1日にリリースした本数など“数字”で測る癖がありました。記事のクオリティよりも、どれだけ読まれたかを重視していたんです。
inquireに入ってからは、数字を見るだけではなく、「これは誰のための情報なのか?」「今の記事をもっと良くできないだろうか?」ということをよりしっかりと考えるようにしています。
——記事のアクセス数だけでなく質を求めることは、一人の編集者・ライターとして生きていくためにも不可欠な意識ですよね。心がけることも変わり、自分の成長を感じることも増えたのではないでしょうか。
庄司 成長した点でいうと、大きく分けて二つありますね。
一つ目は、クライアントの力になるための仕事のスキルを身につけられたこと。前職でも同じことは経験していましたが、まだキャリアとしては浅く、自分の知識や経験値がまだまだ足りていないという感覚があったので。
二つ目は、知的好奇心があがったこと。分からないことがあれば、すぐに調べるようになりました。取材に行くと分からない言葉がたくさん並ぶこともあり、「知りたい」という気持ちが高まるんです。
ただ、分からない状態で取材が進むのは好ましくないので、事前に取材先のことをしっかりと調べるようになりました。前職でもそこは意識していましたが、より精度を上げるようになりましたね。
——同じ編集・執筆という仕事でも、意識を変えるだけで自分の成長に繋がるんですね。今までにさまざまな組織に関わっている庄司さんですが、inqureの特徴は何だと思いますか。
庄司 所属するメンバーが、目指すビジョンをちゃんと共有しているところですね。大きい会社にいると、建前上の目標やビジョンはあっても、どうしても自分の仕事をこなすことが中心になってしまいがちです。inquireでは、みんなが同じ方向を向いて、互いに手を取り合っているなと感じます。
インターネットが寛容な場所になるように、いろんな生き方を書き残していきたい
——inquireに出会ってから、およそ半年。庄司さんがinquireという組織において目標としているところはありますか。
庄司 まずは、編集者・ライターとしての基礎体力を身につけること。自分で納得のいくように、記事コンテンツを回していけるようになりたいですね。自分のキャパを考えつつ、スムーズに仕事を進められるようにしたいです。
——自己管理は、フリーランスとしても大切にしたい部分ですよね。一人の編集者・ライターとしての夢も聞かせてもらえますか。
庄司 インターネットが寛容な場所になっていくといいなと思います。いろんな生き方があっていいという考えが、ネットを通じて世の中に浸透してほしい。そのためにも、さまざまな人のストーリーに触れ、それを記事としてアーカイブさせていくことが、僕の目指すところかなと思っています。
ローカルに対しても、まだまだやりたいことはあります。地域に眠るお店や企業、人のストーリーを発信していきたいです。それぞれの知られていない魅力的な話をネットに残していきたい。その実現に向け、ローカルに根ざしているライター・編集者と協力して、情報発信の仕組みを体系化することを目指しています。
まずはinquireで企業の情報発信やコンテンツ制作の支援をし、メディアを運営するためのノウハウを貯めていきたいですね。
——多様な生き方を肯定する風土が、ネットを通じて築かれると良いですよね。聞き上手な庄司さんにしか引き出せない、魅力的なストーリーがきっとたくさんあると思います。最後に庄司さんから見て、どのような方がinquireに向いてると思いますか。
庄司 一人の編集者・ライターとして生きていくことに不安を感じている人にはとても勉強になると思います。inquireには同じ課題意識を持っている人がたくさんいるので、学べることが多いのではないでしょうか。
不思議な感覚だった。
時間が経つごとに、インタビューをしている私が、まるで彼に話を聞いてもらっている気がした。ゆっくりと頷き、要所で相手の目を見る。彼の丁寧さは、人と会話をする姿勢にも表れていると思った。
彼の前でなら、きっと誰もが自分の胸の内を明かせるだろう。彼にしか聞き出せない、いろんな人の大切なストーリーを綴った記事が、一つでも多く生まれてほしい。
(文:なかがわ あすか)
(写真:小山和之)
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