【代表インタビュー】戦火のアフガニスタンで知った「本物の温もり」。50カ国を旅した男が、投資ではなく“ホスピタリティ”で民泊を創る理由(第1回)
目次
「崩れかけた家の中で、屋根から光が漏れている。そんな場所で、見知らぬ外国人の僕を温かくもてなしてくれた——その瞬間が、僕の人生を変えました」
銃撃の跡と、一杯の温かいお茶。原点は「アフガニスタン」
「5社連続でダメだった」——直面した業界の闇
崖から飛び降りる男との出会い
品質へのこだわりと、役員報酬5万円の覚悟
「投資」ではなく「ホスピタリティ」を。僕らの目指す心地よい空間
「崩れかけた家の中で、屋根から光が漏れている。そんな場所で、見知らぬ外国人の僕を温かくもてなしてくれた——その瞬間が、僕の人生を変えました」
株式会社はまかの代表取締役、西村 敏雄。 大学卒業後にバックパッカーとして世界50カ国を渡り歩いた彼は今、東京墨田区と沖縄北部を起点に、200室以上の小規模宿泊施設(ヴィラや民泊)を管理している。
社名の「はまか」は、ハンモックの語源。 同業他社の多くが「不動産投資」として民泊を扱う中、西村がどこまでも「ホスピタリティ(心地よい空間づくり)」に固執し続ける理由とは?その泥臭くも熱い創業の軌跡に迫った。
銃撃の跡と、一杯の温かいお茶。原点は「アフガニスタン」
——西村さんは50カ国を旅されたそうですが、最も人生観を揺さぶられた国はどこですか?
西村: 「アフガニスタンですね。ニューヨーク同時多発テロの翌年、まだ戦争の爪痕が生々しく残る時期でした。国境へはライフルを持った警察官に護送され、首都カブールの街並みはミサイルや機関銃の跡だらけ。国連軍の白い装甲車が巡回する、本当に物々しい雰囲気だったんです」
そんな極限状態の街でカメラを構えていると、子どもたちに「うちに来ないか」と誘われたという。ついて行った先は、屋根が崩れ、天井から光が漏れるような家だった。
西村: 「正直、ここは住める状態なのか?と戸惑いました。でも、そこにアフガニスタンの伝統的なラグが敷かれていて『ここにどうぞ』と。お母さんはすぐにお茶を出して、見知らぬ外国人の僕を心から温かくもてなしてくれたんです。 この過酷な状況下で、人に優しくできる心。それに心の底から感動してしまって。『旅の本当の価値は、景色ではなく、人の親切心や暮らしの温度に触れることだ』と確信しました」
ホテルという「非日常」ではなく、現地の「暮らし」の中に入り込むからこそ得られる感動。いつか自分も、日本でこの体験を提供する側になりたい。この強烈な原体験が、のちの「株式会社はまか」の種となる。
「5社連続でダメだった」——直面した業界の闇
帰国後、ワイングラスメーカーでのマーケティング職を経て、アメリカ・ポートランドで民泊の魅力(ホストとのローカルな交流)を再確認した西村。2015年、法整備すら追いついていない時代に、ためらうことなく個人で民泊事業に飛び込んだ。
しかし、立ち上げ直後に大きな壁にぶつかる。「清掃の壁」だ。
西村: 「清掃を外注したんですが、1社目は髪の毛が落ちていてソファーも汚い。2社目、3社目、4社目……と業者を変えても、驚くほど結果が同じだったんです。5社連続でダメだった時、**『これはこの業界全体の構造的な課題だ』**と痛感しました。 ホスピタリティにおいて、清潔さは絶対の基盤です。そこを外部に丸投げするのは事業者として無責任すぎる。だから、どんなに泥臭くても『自社で清掃事業をやる』と決めました」
崖から飛び降りる男との出会い
そんな折、最強のバディと運命的な(そして少しおかしな)再会を果たす。現在の共同創業者であり、エンジニアの楠元 幹宏だ。
——楠元さんとは、どんな出会いだったんですか?
西村: 「30代前半の頃、キャンプのサークルで出会ったんですが……みんなで岩場から川にジャンプして遊んでいたら、楠元が『あそこ登れないかな』って、10メートルくらいある険しい崖をスルスル登って、そこから飛び降りたんですよ(笑)。周りからは止められていたのに。そのぶっ飛んだ行動力を見て『すごい男がいるな』と」
その後、沖縄でエンジニアとして独立していた楠元と再会。民泊における「清掃」について相談すると、楠元から「そういうシステムの開発、俺得意だし一緒にやってみない?」と意気投合した。
ホスピタリティに人生を懸ける西村と、課題をシステムで突破する楠元。全く違う強みを持つ2人のピースが、完璧に噛み合った瞬間だった。
品質へのこだわりと、役員報酬5万円の覚悟
最強のバディを得て、自社での清掃管理システムを構築。しかし、品質にこだわるあまり、他社が5,000円で済ませる清掃に7000円以上の時間とコストをかけ、高価格・高クオリティを標榜したはまかの船出は、決して平坦ではなかった。
実績がないうちはその価値が伝わらず、1年目は赤字。当時の役員報酬は月5万円だった。
西村: 「それでも『品質へのこだわり』だけは絶対に曲げませんでした。2年間歯を食いしばってやり続けて、ようやく『はまかさんのクオリティは違う』と口コミで広がり始めた。3年目でやっと、少しだけ黒字が出たんです」
「投資」ではなく「ホスピタリティ」を。僕らの目指す心地よい空間
——創業から約10年。200室規模まで成長できた最大の理由は何でしょうか?
西村: 「ブレなかったこと、ですね。この業界の8割は、不動産投資や資産運用の一環として民泊をやっています。でも、僕らは違う。『ハンモックのような心地よい空間を提供したい』というホスピタリティが先にあって、その手段がたまたま民泊だっただけなんです。 だから、むやみにエリアは広げません。目の届く範囲で、最高の価値を提供する。効率や規模の拡大ではなく、品質と価値の深化を追い求めたからこそ、コロナ禍という最大の危機も乗り越えられたのだと思います」
アフガニスタンの崩れかけた家で飲んだ、あの一杯のお茶のように。 西村が届ける「おもてなし」は、今日も誰かの人生の特別な1ページを作っている。
(第2回:地域との共存を目指す取り組みや、今後の展望についてお届けします!)