全ての始まりは「海」- 自然との共生を目指すCEOが語るNatureの 「これまで」 と 「これから」 ━━ 【立志編】 遥かなルーツに導かれた使命
「さらに黒くなりましたね」
そんな言葉からインタビューは始まりました。
「ヨットとかトライアスロンやってると焼けるよ。日焼け止め塗ったほうがいいんだろうけどね」と笑うのは、Nature株式会社CEOの塩出 晴海(しおで はるうみ)。彼のルーツ、そしてNatureという会社の根源には、いつも「自然」と、特に「海」との深い関わりがありました。
今回は、働く場所としてNatureを検討してくださるみなさんに、塩出がどのような想いでこの会社を立ち上げ、私たちNatureが何を目指しているのかを深く知っていただくため、CEO塩出の半生とNatureの創業ストーリー、そして私たちが大切にする組織カルチャーから趣味、未来の展望まで、彼の言葉で率直にお届けします。
目次
- ゲーム開発とプログラミングに夢中になった少年時代
- 海を越え、そしてビジネスの世界へ。
- 不運がきっかけで見つけた「自分のテーマ」
- 仲間との出会い、そしてNatureの誕生
Natureは「自然との共生をドライブする」をミッションに掲げています。僕が今、こうして「自然との共生」をテーマに会社をやっているのは、実は僕自身のルーツに深く関わっているんです。最近、自分の人生やルーツを振り返って気づいたんですが、自分の周りの「環境」がいかに自分を形作ってきたか、ということなんですよね。
話はなんと、僕の祖先まで遡ります。「塩出」という苗字、実はこれ、後醍醐天皇の時代まで繋がるんです。僕の祖先は伊勢に城を持っていた「四王天(しのうてん)」という名の侍で、足利尊氏を討つために広島の鞆の浦まで来た。そこで船が座礁し、潮待ちをして、いざ出港となった時に「お前は今日から『塩出』と名乗れ」と言われたのが始まりらしいんです。その後、落ちぶれて農民に成り下がってしまったそうですが(笑)。
そこから僕の家系と海との繋がりがスタートして、僕の曽祖父は遠洋漁業の船長でした。彼は広島県福山市の大門という場所に、オーシャンフロントの家を建てました。僕の父が生まれた頃は、家の目の前が美しい海だった。でも、そこに工場ができて景色は一変したそうです。父は、美しい自然が産業によって姿を変えていくのを目の当たりにしたんですね。だからこそ、「海が見える家に住みたい」という思いが人一倍強かった。そして僕が高校生の頃、その夢を実現しました。
そんな父が僕に「晴海」という名前を付けてくれたのも、自然な流れだったのかもしれません。海への憧れ、自然への敬意。それが僕の原点には間違いなく刻まれています。
ゲーム開発とプログラミングに夢中になった少年時代
父は起業家でもありました。僕が10歳の頃、父の会社は、当時センセーショナルだった家庭用ゲーム機「PlayStation」のレーシングゲームのソフトを開発していました。それまでの家庭用ゲームがすべて2Dだったのに対して、PlayStationは家庭用ゲームの世界を3Dに変えた。その革命的なプロダクト開発の現場を、僕はすぐ側で見て育ったんです。トイレにこもって「Ready, Go!」というゲーム音声を何度も収録している父の姿は、今でも鮮明に覚えています。
そんな父の影響で、僕もモノづくりに興味を持つようになりました。13歳の頃、家にあった古いパソコンで遊んでいたら、父が「そのパソコンで『インベーダーゲーム』を作ったら、新しいパソコンを買ってやる」と。僕は夢中になって、保存できるメモリーがないからノートに何ページもソースコードを書き写しながら、3ヶ月かけてゲームを完成させました。
この時ですね、自分が作ったもので人に評価してもらえたり、自分自身も楽しかったりする経験を通じて、「大学ではコンピュータサイエンスを学ぼう」と心に決めたのは。自分で何かを形にする喜びの原体験が、間違いなくここにありました。
海を越え、そしてビジネスの世界へ。
高校時代から留学をしたいと思っていましたが、卒業が遅れると聞いて大学まで待つことにしました。
大学に入学後、僕の中には2つの目標がありました。1つは、コンピュータサイエンスの専門家として、作りたいものを形にできるベーシックな知識や能力を身につけること。もう1つは、どこへ行ってもグローバルに生活も仕事もできる力をつけること。
北海道大学の工学部に進学し、入学後すぐに留学センターへ駆け込みました。僕が所属していた電子工学科は、なんと25年間も留学生が出ていなかったんです。留学する仕組みが全く整っていなくて(笑)。
アメリカのウィスコンシン大学マディソン校への交換留学を実現するために、僕は学科のほぼ全教授と交渉して、試験の段取りや日程を自分で個別にアレンジしました。帰国後、通常なら卒業が遅れるところを、研究室の教授が「この分野で著名な大学に留学してきた君の卒業だけが遅れるのはおかしい」と後押ししてくれて。3年生の授業を全部受けながら英語で卒論を書き、週末は家電量販店でアルバイト。時間を見つけて運転免許教習所へ通いながら、さらに海外の大学の出願準備と北海道大学の大学院試験の準備もするという多忙な半年間を乗り越え、無事に4年で卒業できました。この経験は、僕に大きな自信を与えてくれましたね。
大学院はスウェーデンに進みました。この留学の1年目が終わった時点で最初に立てた2つの目標を達成できたと感じて、僕は次のステップとして「ビジネス」の世界で「事業を自分で立ち上げること」を学びたいと考えるようになりました。そして、新卒の入社先として選んだのが三井物産株式会社です。
不運がきっかけで見つけた「自分のテーマ」
三井物産では、当時配属を希望していたユビキタス事業部(現・IoT関連部署)が早々に廃止されてしまうという不運もありましたが(笑)、それが逆に大きな転機になりました。
ここでの学びは、自分がどんなにやりたくてもビジネスである以上、市場が求めていないと継続できないということでした。その時に、父が示してくれたITやものづくりの道も素晴らしいけれど、それだけじゃない、起業家として人生をかける自分自身のテーマが欲しかった。
そう思った時、僕の頭に浮かんだのは、「自然」でした。そして、ヨットの上で感じた、あの風との一体感。テクノロジーを使って、自然の力をコントロールするのではなく、自然と調和する、自然との共生。これだ、と思いました。これが僕のテーマであり、Natureのミッションの原型になった瞬間です。
すぐに再生可能エネルギーに関係する事業をやりたいと手を挙げたところ、プロジェクト本部の電力事業部に異動させてもらったんです。
そこでの仕事は正直言って壮絶でした。担当したのはインドネシアの石炭火力発電所の開発プロジェクト。案件総額が数千億円規模の、国際的なビッグプロジェクトです。フランスの世界でも指折りの電力デベロッパーと対等なパートナーとして、何冊にもなる分厚い英文契約書を読み込み、複雑なファイナンスモデルを組み、現地のキーマンたちと交渉する毎日。
特にインドネシアに長期で出張していた1年間は、昼間はミーティングに明け暮れ、夜は上司に飲みに連れて行かれ、深夜にホテルに戻ってから日本の始業時間までに報告書を仕上げる。睡眠時間は3〜4時間。あまりの眠さに、ご飯を食べている最中に寝てしまうのが日常で、現地では「飯食ってる時に常に寝る男」なんて言われていました(笑)。
でも、この過酷な経験が僕に電力や事業のイロハを叩き込んでくれました。
同時に、現場で石炭火力を目の当たりにする中で、「このままでいいのか」という強い違和感も覚えました。便利さを享受する一方で、環境への負荷は計り知れない。未来のために、エネルギーのあり方を再生可能エネルギーへとシフトさせなければならないと痛感したんです。その時の経験が、今のNatureの電力事業に向かう原体験になっています。
そんな中で、自分で立ち上げる事業を模索する中で、「Energy Policy for Future President」という本に出会い、Energy Producticityの改善(つまりエネルギーマネージメント)がもっとも安価なEnergy Resourceだと気づきました。
仲間との出会い、そしてNatureの誕生
三井物産を退職し、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に進みました。エネルギーマネジメントをやりたいという思いは固まっていましたが、具体的なプロダクトは見えていなかった。ボストンでデマンドレスポンスを手がけるEnerNocという会社を知り、そこからデマンドレスポンスが実現できる具体的なプロダクトを考え始めました。
そんなある日、ふとひらめいたんです。「あれ?これ、コンセントとかリモコンでやればいいんじゃないか?」と。
それが、最初のプロダクト「Nature Remo(ネイチャーリモ)」のアイデアの源泉です。そして、2014年12月、アメリカで会社を登記し、Natureは誕生しました。
そこからは早かった。まず、プロダクトのイメージを形にするために知り合いだった現デザイナーの長尾さんにデバイスのインダストリーデザインを考えてもらいました。そして、このアイデアを実現できる最高のパートナーを探し、出会ったのが、共同創業者となる現CTOの大塚さんです。
大塚さんはIRkitという学習リモコンを個人で企画から開発、販売までをやっていて、プロダクトとしての完成度の高さはもちろん、エンジニア向けのプロダクトでありながら、一部の一般ユーザーにも使われていました。実際に、Natureの家庭向けエアコンをデマンドレスポンスに使うプロトタイプでも、オープンソースだったIRkitを使ってました。
それで、大塚さんをチームに迎えることができれば、やりたいことが実現できると思って、1年くらいかけて説得しました。
長尾さんと大塚さんの2人を仲間にできたことは、会社にとって大きな分岐点だったと思います。彼らの存在がなければ、今のNatureはありません。
白い筐体については、僕らにとって単なる色の選択ではありません。「僕らがデザインにこだわる理由」のnoteにも書きましたが、家の壁が白である以上、壁と並んで置かれるデバイスも同じ白であることが自然だと考えていました。ただ、当時白い筐体の赤外線リモコン自体が存在しておらず、開発にはすご〜く苦労しました。
赤外線を通すために樹脂を薄くすると、透けて見えたり変形してしまう。一方で、樹脂を厚くすると赤外線を透過しない。だからこそ、何度も試作を重ねていきました。最終的には、透けず、変形せず、赤外線を正しく通す、赤外線リモコンとして世界で初めて完璧な真っ白の筐体を実現しました。
最初のプロダクトとして着手したスマートリモコン「Nature Remo(ネイチャーリモ)」は、単なる家電操作デバイスではなく、家庭で最大の電力負荷となるエアコンを最適に制御し、省エネと快適性を両立させる“家庭のエネルギーマネジメントの入口”として設計されました。温度・湿度・照度などの環境データを取得し、それをもとに最適な運転を自動化することで、生活者が意識せずともエネルギー利用を整えていく仕組みを目指したのです。
その次のステップとして、家庭全体の電力を直接可視化し、太陽光やエコキュート、EVなどの分散エネルギー設備をつなぐ基盤として開発したのが「Nature Remo E(ネイチャーリモイー)」でした。家の中で生まれ、流れ、使われる電力を一体的に捉え、より賢く使えるようにする。RemoとRemo Eの両輪によって、家庭から再生可能エネルギー活用を後押しする構造が整っていきました。
僕のルーツである海から始まり、父の背中、プログラミング、世界での経験、そしてビジネスの最前線。そのすべてが繋がり、Natureという船は漕ぎ出しました。僕たちが掲げるミッションは、僕が生きてる間に達成できるような小さなものではありません。もっと大きな、次の世代にも繋いでいくべき壮大な目標です。