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日本を再び「世界で憧れられる」存在に近づける。要はエンジニアの転職支援だと狙い定めたヒューマンキャピタリスト。
「あなたはクリエイターなのだから」と、エンジニアの背中を押す。フォースタートアップスでシニアヒューマンキャピタリストを務める松井 利樹が、候補者との面談で投げかける言葉だ。候補者のキャリア観を磨き、未来のありたい姿を描き直すサポートもする。
「エンジニアで、自分のキャリアをいかに積んでいけばいいのか、どのように成長すれば市場価値が上がるのか。こういったことに向き合っていない方は意外に多い印象です。しかし、気質を理解して、感情を発露させることができれば、自分の進むべき道が開けていくケースがあると感じています。」
エンジニアの気持ちや性質がわかるのは、松井のバックグラウンドにも理由がある。学生時代、ニューラルネットワークの研究や学習アプリの開発に勤しみ、新卒で入社した大手物流企業でもシステム開発などに携わっていたのが松井の思想源泉になっている。
「自分の発想したことが形になり、周囲に喜びを届けることに対して、エンジニアの方は能力発揮される方が多いと感じます」と松井は話す。だからこそ、己がクリエイターであることを認識することができた時、これまで見えていなかった進路が光りだすのだろう。松井がそこに焦点を当てるのはなぜだろうか。
今でこそフォースタートアップスの一員として躍動する松井だが、入社初期は7ヶ月も成果が出せず、苦労もあった。「もう一度、世界中で『日本はすごい』と言われるように、グローバル基準で活躍できる企業を増やしたい」という意志を胸に励む松井の原点、そして候補者支援の先にあるイメージを聞いた。
【プロフィール】
松井 利樹 Riki Matsui
フォースタートアップス株式会社 タレントエージェンシー本部 シニアヒューマンキャピタリスト
兵庫県加東市出身。大学では数理情報を専攻し、ニューラルネットワークの研究や学習アプリの開発を行う。大学時代に大阪へ移住した際に感じたギャップに刺激を受け、「日本から外へ」という関心が高まり、イギリスとアイルランドへ留学。バックパッカー含めて海外約40カ国滞在・周遊する。卒業後は大手物流会社のグローバル事業部で、国際貿易におけるシステム導入を開発・推進。国際的な観点から日本のプレゼンスの低下を懸念し、新しい産業が起こる仕組みを創造するフォースタートアップスへ参画。これまでのバックグラウンドを活かし、エンジニアプロデュースに従事。スタートアップ企業の重要課題であるプロダクトサイドの採用課題解決に尽力している。
スキルと情熱を活かせる、新たな場所への導き手
松井が支援をしてきたエンジニアの転職ストーリーを聞くと、まさに彼らにとって希望のロールモデルになるような例がいくつも出てきた。
自身にとっても「代表例だ」というのが、大手電気メーカーから31歳でスタートアップへ転じたケース。大企業出身でありながら、ものづくりが大好きで、ギークな面も持っている。コミュニケーションにも積極的で、本人の意志は「いま以上にものづくりに向き合いたい」という情熱を持っていた。
しかし、大企業の構造ゆえに任せられる仕事はプロダクトマネージャーの要素が強く、自身が製品に携われる範囲も狭くなっていた。以前にスタートアップの面接も受けてみたことはあるが不採用が続いた。「自分はもう、ものづくりに挑戦できないのではないか?」と悩み、スキルと情熱を活かせる適切なフィールドを見つけることに苦労していたのだ。
松井はまず、彼のキャリア観を棚卸ししながら「社会課題を解決するものづくりにもっと触れていきたい」という思いを言語化し、キャリアの軸を立てた。大企業に在籍する現状と照らし合わせ、「プロダクトを作りつつ、プロダクトマネージャーとしても実装の方に回っていける場」のほうがより実行できると確認したうえで、松井からスタートアップを紹介。
「上流から事業を作っていけることを考えられる上に、エンジニアリングもできる人は今後はさらに活躍できる。周りのエンジニアにとってもマネジメントが入ることでスピード感が生まれて頼れる存在になれるんです。『あなたの経験をぜひそこで活かしていきましょう!それを自信持って話した方がいいですよ』と伝え、後押しできたのだと思います。」
また、別のケースでは、松井自身も注力をしている宇宙関連の研究開発に携わるエンジニアだ。宇宙工学科の出身だが、メーカーの研究開発職に就いていた。松井は、今後も研究を続けていくうえでは「基礎的な研究だけでなく、事業を紐づけて考えられること」の必要性を伝えた上で、彼の心にあった「自分の研究を社会に役立て、宇宙事業に貢献する」という想いを引き出した。そして、両立が望める事業会社への転職を目指すことに。
そこで、現在の宇宙事業を取り巻く新しいビジョンを提供し、「日本における宇宙産業の成功事例を作ること」の重要性を説いた。結果として、スペースベンチャーに参画。マネタイズモデルの拡充を知る実践者と、熱意ある宇宙事業の開発者という新たな道へ進みだした。
松井は個々人のキャリアに対して理解を寄せつつも、彼らが自分自身の情熱とスキルを最大限に活かせるように導く役割を果たしてきた。言わば、単なるキャリアアドバイスを超え、個人の夢や目標を実現するための具体的なステップを提供していっているのだ。
己の常識を突破し世界を知れば、価値観が開く
松井がエンジニアを支援する役割に至るまで、さまざまな影響や価値観に触れてきたことが強みとなっている。
大学進学では、天才ハッカーの高校生が登場するマンガ『BLOODY MONDAY』や、エンジニアである兄からも影響を受け、得意だった数学の強みを活かす道を選択した。情報科学化学専攻へと導かれ、ソフトウェアプログラミングやニューラルネットワークの研究に関わった。大学生活ではアメリカンフットボールやダンス部にも所属するなど活動の幅を広げていった。
大学時代、松井にとって大きな変化があった。
「私は兵庫県の加東市出身で、地元では電車に乗ったことがない、という人がいるくらいの田舎町なんです。そこから、大学進学を通して大都市である大阪への移住は私にとっては大きなカルチャーギャップでした。そこで自分の勝手な常識で世界を捉えていたことを思い知ったんです。その衝撃から発想が広がり、もし、これが海外に及べば、もっと新しい価値観が開けるのではないか。気づいた時には留学を選択していました。」
どうせ行くなら、と選んだのはイギリス。教科書で見たビック・ベンの実物が観たいという理由からだった。そして続いてアイルランドへ。文化が異なり、日本人が比較的少ないところを選択したのだ。
「自分の目で見てみないと、本当にあるのかはわからないじゃないですか。写真や教科書にあるものって本当にあるのか、これを信じていいのだろうかと。自分の勝手な常識で世界を捉えるのではなく、足を運び、自身の目で見て体感することに対しては積極的。行動に起こせましたね。」
実際に見ることで受ける刺激の大きさもありながら、自らが納得するまで行動する、という動機の強さも伺える理由だった。
その後はバックパッカーとしてこれまで海外40カ国以上を訪れ、自らの常識をアップデートしていったという。海外での体験は彼に多様な価値観をもたらし、自らを見つめ直す機会を提供した。彼は、この経験があったからこそ差別と区別の微妙な線について考え、自分の価値観を広げることができたと語る。人は誰もが「自分の見方」を持って差別的に世界を捉えている、という前提を持つからこそ、相手の考えや意志を推し量ることの大切さを知ったのだ。
帰国後、海外での経験も踏まえ、社会地図を扱う学習系アプリ開発に取り組む。受験用の歴史や地図ではなく、世界各国の文化や歴史を探求する新しいタイプのアプリを手がける経験もした。エンジニアキャリアも視野に入れたが、松井は卒業後のファーストキャリアを、世界規模で事業を展開する大手物流企業に定め一歩を踏み出すことにした。
「新しい日本のために」と「挑戦者への支援」を胸に
大手物流会社に進んだきっかけとは何か。学生時代にバックパッカーとして世界を旅した時の話に繋がる。各地で出会った人々は、「日本」という国の存在を誰もが知ってくれていました。しかし彼らが知っていたきっかけ、その代名詞は自動車やゲームばかり。どこか「過去の栄光」をベースにしており、現代の日本企業が国際的な話題から遠ざかっているのではないか、と気づいたのだ。この実体験は「新しい日本のためになるようなことを」と、松井が大きなビジョンを描き始めた契機となっていく。
もう一つ松井の考えに影響を与えた海外での経験がある。ドバイでの経験だ。紛争地域から来た人々が夢を追求するために全てを賭け挑む姿を目の当たりにし、衝撃を受けた。彼らのような存在、挑戦する人の支援ができないかと強く思い始めたのだ。
「新しい日本のため」と「挑戦者への支援」という大きなテーマの萌芽を胸に、大手物流会社のグローバル事業部で実力を磨こうと飛び込んだ。国際貿易におけるシステム導入や開発の実績を挙げるなどチャレンジを続けていった。しかし、時は残酷でコロナ禍による事業縮小を経験。また、大企業ゆえの商習慣や組織構造の違いなど、いくつかの要因が重なったこともあり、松井は人生のテーマを胸に秘めながら次なる道を模索しはじめる。そんなときに出会ったのが、フォースタートアップスだった。
「カジュアル面談を担当してくれた山本 英嗣さんから『企業を育てるために何が大事だと思う?』と問われたんです。カジュアル面談にしては難しい問いですよね(笑)。お金の重要性を返してみると、山本さんは『実装する人がいることがもっと大事だ』と。つまり、お金だけでなく、挑戦者が掛け合わされなければ新しい産業は日本から生まれない。すごく響きましたし、納得感がありました。」
自らスタートアップに飛び込む手もあったが、自身のバックグラウンドや経験を活かし、「新しい日本のため」と「挑戦者への支援」をより広い範囲で実現させることができる場所として、フォースタートアップスを新天地に決め、2021年11月に入社した。
「もっとロックで面白い企業が日本にはたくさんある。実力も付くし、自身の市場価値も上がる。一人一人が自分たちの可能性を理解して選択をすることをもっと伝えて行かなかればならないとも思っていたので、これほどチャレンジングで意義ある環境を目の前に提示され、選択するのに時間はかかりませんでした。」
「”諦める”ことの重要性」を知ったとき、自分の強みを再認識
しかし、入社当初は苦闘の連続だった。松井は7ヶ月間、一度も受注を得られないという厳しい時期を経験した。未経験のスタートアップ領域で飛び交うビジネス用語や価値観の違いを理解することも一苦労だった。
「マネージャーの竹内 哲也さんが根気強く話をしてくれました。機動力が上がったのは『諦めること』についてのアドバイスをいただいたことがきっかけです。『諦め』と聞くとネガティブな印象を受けるかと思いますが、竹内さんがおっしゃった『諦め』とは『自分のできないことを認識し、それを受け入れ、より強みを洗練させる行為である』でした。これまでスポーツも仕事もそれなりに成果を出してきた。当時、成果が上げられないと自分を責めて、どうすべきかわからなくなっていたのですが、目の前のことに集中するだけでは成果に繋がらず、考えることの重要性に気づけたことで捉え方を変えることができました。」
松井は自らが持つ「エンジニア的な思考」は他のヒューマンキャピタリストが持ち合わせていない強みだ。この強みを活かして戦おうと切り替えられたとき、身の振り方も変わっていった。転職支援カウンセリングでは毎月20人以上に会い、多くの会話を通じて候補者の理解に熱意を注いだ。
そして、7ヶ月目にしてようやく、松井が支援したプロジェクトが実を結んだ。しかも、目標の3倍の成果を達成。「再現性のある成功だったこともあり、これは奇跡ではないだろうと。自信にもつながりましたし、何か一つ枷が外れた気持ちでした」と松井は振り返る。
松井はそれ以降も自らの強みを活かし、さらに「自然体でカジュアルなコミュニケーション」に得意領域を見出し、候補者からの信頼を得ていく。面談を重ねて成果を上げていき、約2年2ヶ月でシニアヒューマンキャピタリストへの昇格を決めた。
現在はリーダーとして、オンボーディングをしていく立場になり、チームメンバーには「成功の実感を持てるようなサポートをしよう」と決めている。自分自身も受注できずに苦戦した時期があったが、確かなその実感が松井の自信につながったことも影響しているのだろう。松井は「AIでいうところの『教師データ』をたくさん与えるようにして、その上で目標から逆算しながら具体的なステップにしていければ」と今の考えを話す。
「日本の産業を世界基準で考えた時に、世界で勝負できる産業といえばディープテックも絶対に外せないものになるでしょう。そこには必ずエンジニアの存在、そしてエンジニアの採用支援がより重要になって行くと確信しています。私自身も様々な課題解決に貢献できるような人間にならなくてはと思っています。フォースタートアップスにはディープテックチームがあり、これまで培った経験をチューニングして、より還元していくつもりです。」
これからも松井は、候補者が進みたい道を共に描き、言葉にならない想いを具体化していくだろう。そう見ると松井自身も、実践と実績を通じて、エンジニアのキャリア観を変えていくようなクリエイターなのだ、といえるのかもしれない。
(取材・文/長谷川 賢人)