ContractSを代表する社員が、半生を語るコラム『ContractS わたしの履歴書』。それぞれの分野で後世に残る仕事を成し遂げようと日々奮闘するContractS社員。彼ら彼女らが自らの言葉で語る努力や想い。読めばきっとあなたに役立つ何かが得られるはずです。
■前泊侑(まえどまりゆう)
職種:開発部・プロダクトマネジメントグループ
趣味:サッカー/フットサル、キャンプ(を始めたい)
父親の仕事の都合で小2から急遽、全く違う環境へ。自然と適応力が身に付いたのか、サッカークラブではディフェンスポジションへ。日頃から相手の動きを観察して予測し、先回りするように。
私は、小学校1年までは主に宇都宮、横浜で育ちました。性格は温厚で、特に小学校1年の時は、仲の良い友人は女の子が多かった記憶があります。
転勤族である父親の仕事の都合で、小学校2年にあがるタイミングで兵庫県西宮に引っ越したことを機に、環境がガラッと変わりました。教室に入るや否や、周りがみんな関西弁で、活発な男の子のグループに囲まれる日々へ急に変化。にも関わらず、不思議と適応力のあった私は、転校して数日でクラスに馴染んでいたみたいです。昔話をするたびに、両親からは「本当にあの時は移気の早い子供だった」とよく笑われます(笑)
小学校中学年に上がってからは、友達の誘いでサッカークラブに入りました。自分から志望したわけではないのですが、日頃から周りをよく観察していたことをコーチに注目されたのか、気づけばずっとディフェンスポジションを任されていました。
ディフェンスは、相手チームのゴールをいかに防ぐかに集中する役割なので、自分から動くというよりも、相手の動きを観察して予測し、その上で行動/先回りすることが重要だと思っています。今思えば、全く新しい環境に飛び込んだ転校生という経験が無意識にも強みとして発揮されたのかもしれません。「周りの環境や状況にあわせて今自分が必要とされていることを認識し、最大限の強みを発揮する」というのは、現在私が社会人として働く上での価値観に直結していると思います。
学校選びもスポーツ選ぶも、明確な意志があったわけではなかった。しかし、周りの環境に柔軟に適応し続けてきたことは、間違いなく自分にとってプラスの経験に。
私は5人家族の長男として育ったのですが、特にこれといった家風や規則はなく、、中学・高校時代も自由にやりたいことをやらせてもらえる環境でした。とは言え、私自身は新しくやりたいようなこともなく、小学生以降もなんとなくでサッカーを続けていましたし、勉学についても、親しい友人からの影響で塾に通っていて、ただなんとなくそれを続けていました。サッカーでは何かを成し遂げたということもありませんが、勉学の方は要領が良かったようで、高校は、地元の進学校に進むことができました。当時は、学校選びに特に強い意志があったわけではなく、自分の成績からそれらしい学校を選んだだけなのですが、今振り返ってみると、周りの環境に適応することを良しとする私にとっては、中学校までとは異なる環境に身を置くというこの選択は間違いなくプラスの影響となったと思います。
高校2年の頃から、「自立したい」という想いが強くなり、上京して東京の大学に入ることを志すように。1年の浪人生活を経て、晴れて合格。憧れの東京での学生生活が始まりました。
知り合いが全くいない東京での学生生活の真新しさと、何周にも広がった友達の輪への嬉しさ。就活では、持ち前の観察力とコミュニケーション力を活かした「チーム」で動ける仕事を志望して臨んだ。
憧れの学生生活は、全てが新しいことだらけでした。特に一番大きかったのは、仲良くなる友達グループが大きく変わったこと。
これまでは小中高と、自然と地元の友達に囲まれながら過ごす生活だったのが、東京で出会う人は誰もが知らない人たち。私の場合は浪人だったので、出身場所だけでなく年齢も違う人と同学年になるということで、友達の輪が何周も広がった感覚がありました。
お金の問題があるので回数は多くはないですが、友人等と海外旅行に行ったことをよく覚えています。中でもチェコやハンガリー、ロシアなど少し変わったところに行っていました。寝台列車(日本でも乗ったことのない)に乗りたかったのですが、寝台列車の英語がわからず、チケットカウンターで長時間格闘したことをよく覚えています。少しは私の異文化コミュニケーション能力の向上に寄与した出来事だと思っています(笑)
就活の時期に入るや否や、周りの友達が皆揃って金融系やコンサルティングファームへの入社を目指す中、私はその様な分野にはあまり興味を持てず、最初はあまり就活に精を出してはいませんでした。自分はどんなことにいきいきするのだろうと自らの経験を振り返る中で、ひときわ頭に浮かんだのは、サッカーの様に観察力とコミュニケーション力が求められる「チーム」で動ける仕事。
チームで動ける環境で自分が興味を持てる分野を探し続けた結果、自社製品のプロジェクトマネジメントを多くの社内関係者や取引相手と共創しながら取り組めるという点で、日立製作所に入社することに決めました。
ぶち当たったのは「文系の壁」と「言語の壁」。必死になって周りに追いつく努力を重ねた結果、見えてきたのは達成感だった。
日立製作所に入社した最初の年は、戸惑いだらけの日々でした。最初にぶち当たった壁は、「文系の壁」。私は文学部出身だったこともあり、お恥ずかしい話、入社当初は「PCって何それ」状態だったんです。一方で、IT製品をつくる事業部に配属されたということで、分からないこともやるしかないという環境。しばらくは周りが何を喋っているのか分からない状態でしたが、持ち前の環境への適応力を活かして、なんとか1年で追いつくことができました。
入社7年目は社会人として大きな転機が訪れました。というのも、社内公募の機会を活用して、アメリカのカリフォルニア州に1年赴任することになったんです。ここでぶち当たった2つめの壁は「言語の壁」。日本であれば上司や先輩が手取り足取り教えてくれたのに対し、アメリカでは現地マネジャーが忙しいためにほとんど放置状態。その上、自分の他には日本人がほとんどいない部門だったので、頼れる相手もいませんでした。そんなタフな環境下でプロジェクトマネジャーを任される状況は毎日がいばらの道でしたが、寝る間も惜しんで周りの英語を必死で聞き取ったり、積極的に情報を取りに行ったあの頃の努力は、自分を大きく成長させてくれたと自負しています。諸事情あって実現はしませんでしたが、帰任時期に、現地マネージャーから米国に残って仕事を続けて欲しいと言われた時は、本当に嬉しく、また達成感を感じました。
あの頃、自分をアメリカに行かせてくれた当時の上司には本当に頭が上がりません。
帰国後に感じた「逆カルチャーショック」。若いうちに影響力のある仕事がしたいという想いを捨てきれず、転職を決意。ContractSとは、”長野移住”×”スタートアップ”という希望を叶える理想の出会いだった。
アメリカでの急成長は、日本に戻ってきてから、逆カルチャーショックを感じさせる結果にもなりました。
当初は現地での経験を社内に還元しようという熱意のもと、様々な社内変革の取り組みを推進していきましたが、まだ社内では歴も浅く、自分の今の力では会社を大きく動かすことは現実的には難しいということに気づきました。また、日本の大きな企業では、変化のスピードが遅いということも痛感しました。若いうちに影響力のある仕事に取り組みたい、小さくても様々な変化をおこす仕事がしたいという想いがどうしても拭えず、転職を考え始めるようになりました。
ContractSとの出会いは、「長野移住」が全てのきっかけです。
ちょうどアメリカに赴任する少し前に子供が生まれ、子育て期間はアメリカの方が長かったということもあり、帰国後も夫婦間で「教育のためにも自然豊かな環境がいいのでは」という話を常々していました。
リモートワーク環境が推進されている昨今の環境も追い風となり、妻の実家がある長野に拠点を置く転職候補先を本格的に探し始めた中、ひときわ目についたのが、ContractS。唯一のスタートアップということで、求人情報には私のチャレンジ精神を後押しする魅力的な採用PRメッセージが書かれており、気づけばContractSの虜に。
実際に面接を受ける中でも、その印象はさらにプラスの方向に。人事責任者の増井さんや開発部門のマネジャーである守屋さんのお話を聞く中で、他の企業と比べて会話の波長が合っただけでなく、私が考えていることや実現したいことを深く理解してくれている様な居心地の良さを感じたんです。また、プロダクトオーナーの中島さんのキャリアが自身と近しいことによる安心感も大きかったですね。ContractSは間違いない転職先だと確信していたので、内定をいただいた翌日には入社を決意していました。
ContractSのプロダクトオーナーは、「プロダクトの価値の最大化」という”攻め”の仕事を任せてもらえるやりがいのある仕事。今後は自分の得意領域をどんどん拡張していきたい。
ContractSでは現在、「Infinity」というスクラムチームでプロダクトオーナーに従事しています。具体的には、セキュリティや運用管理、他業務システム連携系の機能性を強く重視する傾向にある大手企業様向けに特化した機能群の領域で、最適なロードマップを考えたり、顧客の課題を抽出しながら開発の優先順位を判断する仕事に就いています。
前職のPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)としての仕事では、決められたスコープや納期・コストをバランス取りながら進める”守り”の要素が強い仕事でしたが、ContractSのプロダクトオーナーとしての仕事では、「プロダクトの価値をいかに最大化させるか」という”攻め”の仕事を任せてもらっているので、これまでのキャリアを活かしつつも、大きなステップアップができていると感じます。
当初の期待通り、チャレンジ精神を発揮しながら、チームで一丸となって取り組める仕事を任せてもらっている毎日なので、ContractSに転職できて本当によかったと改めて感じていますね。
今後、ContractSでは、ストレッチ目標を立てるエリアを広げ、自分の得意領域をどんどん拡張していきたいです。ContractSの中で特に大好きな「誠実である」というバリューを日々意識して、仕事に励んでいきたいと思います。