EDIANDは、医療を学ぶ人たちの「医療教育」を、データとテクノロジーで変革するスタートアップです。
医療教育を科学し、先生の負担を軽減することで医療の発展に寄与できないか。
その想いから、EDIANDは進み続けています。
今回は代表インタビュー前編として、学生時代の過ごし方やEDIANDの設立に至るまでの軌跡について、代表取締役の副田さんにインタビューしました。
大学では物理学を学び、放射線領域の医療ソフトウェア開発に約20年。
その後、東大発ベンチャーで医療AIの社会実装に携わり、2019年にEDIANDを立ち上げた副田さん。
本記事をご一読いただくことで、EDIANDの魅力が少しでも伝わると嬉しいです。
副田 義樹(Yoshiki Soeda)/株式会社EDIAND 代表取締役
東海大学理学部物理学科卒。在学中にソフトウェア会社で長期インターンを経験し、そのまま新卒入社。入社半年で放射線領域の医療分野に携わり、アナログからデジタルへの転換期を開発側から支える。約20年の在籍を経て、2018年に東大発ベンチャーのエルピクセル株式会社へ転職。医療AI製品の企画から社会実装までを担当した後、2019年にEDIANDを設立。
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大学時代はサッカーばかり。実験もろくにできない、どうしようもない学生でした。
―― よろしくお願いします! まずは、学生時代のことから伺いたいです。
よろしくお願いします。
大学は東海大学の理学部物理学科にいました。相対性理論とか、めちゃくちゃやってましたね。
医療には全く興味がなく、物理を学んでいました。
―― なぜ、東海大学を選ばれたのですか?
それが、なぜ東海大学かというと、あんまり理由がないんです(笑)。
もともと数学か物理かで迷っていたんですが、尊敬していた先輩に「数学が好きなら物理がいいよ」と言われて、物理に行きました。
独立した物理学科があるところを探していて、しかも広くて実験ができる。それが大きかったですね。
広い環境が必要だったのは、力学の実験、たとえば重力の実験みたいなことをやろうとすると、それなりのエリアがいるからです。
それに原子力の実験もできる。ある意味、先進的でお金のかかったことができると信じて入ったところはあります。
―― 先進的かどうか重要ですよね。 実際に、そういう実験はできたんですか?
いや、あんまりできなかったですね(笑)。
サッカーばかりやっていたので。本当に、どうしようもない学生だったような気がします。
まあ、それはそれで充実した時間を過ごすことができました。
「都心で働きたい」。その動機で入った会社が、放射線医療のデジタル化の最前線でした。
―― ソフトウェアとの出会い、そして最初の就職について教えてください。
在学中に、プログラムの勉強がしたくてソフトウェア会社に長期インターンで入ったんです。
PSP株式会社という、当時はまだスタートアップだった会社ですが、流れでそのまま新卒の就職先になりました。
当日の就活の軸は特に覚えていませんが、場所が西麻布にあったから選んだんだと思います(笑)。
青山とか西麻布で働きたいな、と。きっかけは非常にシンプルです。
入ってからは、働きながらプログラムを学んでいくフェーズですね。
独学でインプットしつつ、先輩に教えてもらいながら、現場でプログラムを覚えていった。それが私のキャリアのスタートです。
その後、入社して半年ほどで会社の事業がピボットし、放射線領域のソフトウェアを作る方向へ大きく舵を切ったことをきっかけに私も医療について理解を深めていった流れです。
―― 新卒で大手に行くという選択肢はなかったんですか?
インターン中に会社で4つほどプロジェクトを任されるようになってしまったんですよね。
医療に体制をシフトしていくタイミングで、私自身がプログラムを書くだけでなく、エンジニアとして外に出る仕事にも関わるようになっていたんです。
そうなると、これをほっぽって外には行けないなと。
ある意味、最初からいい形で入れてもらえたのも大きかったのかもしれません。
……しっかりグリップされていましたね(笑)。
フィルムを探しに、職員が車で倉庫まで走る。その不便が、開発の出発点でした。
―― 当時の放射線医療は、どのような状況だったのでしょうか?
今から24年ほど前ですが、ちょうどアナログからデジタルに変わる転換期でした。
きっかけは北米の放射線学会で、世界中の医療機器が撮影時に出力するデータの規格が統一されたんです。
どの国のどのメーカーだろうが、同じ規格でデータが出る。
当時は大変画期的なことでした。
とは言え、まだ画像が上から下にゆっくり出来上がってくる時代です(笑)。
ピンとこないですよね。規格書も、最初はファックスで取り寄せて、英文を和訳していくところからスタートでした。
そこから日本の放射線領域がどんどんデジタライズしていくぞ、という黎明期に、うちの会社がシステム開発に舵を切った。それが医療に関わる大きなきっかけです。
正直に言うと、当時の私は背景なんて何も知らずに、ひたすら開発していただけなんですけどね(笑)。
―― 具体的には、何を解決する開発だったのでしょう。
医療データって、5年間は捨ててはいけない義務があるんです。撮影した患者さんの画像を、ずっと保管しなきゃいけなかったんですよね。
ところがレントゲンフィルムって、結構大きくて分厚いんですよ。
日々撮影していくと、病院は部屋を一つ潰してフィルム室にするとか、どこかの倉庫を借りて置くとか、そんなことがざらにありました。
しかも、探すのが大変なんです。
何年かして患者さんが再び来られて、がんの可能性がある、となると、じゃあ古い画像を探さなきゃいけないんですよね。
職員が車で倉庫まで取りに行って、大量のフィルムの中から探して持ってきます。
おまけにフィルムって、熱で歪んだり、水に濡れると腐敗して見えなくなったりするんですよ。大事なデータなのに。
今考えると、迅速で適切な診療を患者さんに届けるという意味では、モノでやっていること自体にかなり限界があったと思います。
先生が長年見落としていた患者さんが見つかり、その場で電話がかかった。
―― 20年近く在籍する中で、転機になった出来事はありますか。
キャリアを始めて十数年、ちょうど30代前半の頃です。
その頃には、開発の中心が「モノをデジタルにする」から「デジタルにしたものをどう見るか」に移っていました。
過去の画像と今回の画像を比べて、疾患が大きくなっていないか、がんが進行していないか。角度を変えたり画像を加工したりしながら、読影の先生をアシストするソフトウェアをどんどん作っていく段階です。
ある病院で、自分たちが作った新しい表示方法を先生が初めて使うところに立ち会っていたんです。
私は後ろでずっと読影を見ていたんですが、そこで先生が、これまで長年見落とされてきた患者さんをすぐさま見つけて。その場ですぐ患者さんに電話をして、治療まで行き着いたんですよ。
目の前で、です。
あれは、人生的にも大きな転機でした。
医療システムを扱っているということは、医師とともに直接的に患者さんの命を救える可能性が十二分にあるんだ、と。そこで痛感しましたね。
しかも当時は、自分の意志で開発を動かせる立場だったんですよ。
製品もわかっており、セールスも企画も全部やっていたからこそ、医療分野でのサービス展開は尊いものだと実感できました。
いいものを作る意味が薄れていく。だから、AIのある場所へ転職を決めました。
―― そこまで手応えのある仕事から、なぜ転職を決めたのでしょうか?
デジタル化って、どこかで飽和するんです。
大きい大学病院から中小まで、デジタル化が進みきるタイミングが15年ほどで訪れるんですよ。
最大手の富士フイルムさんをはじめ、どのメーカーも読影という行為に対して一定の水準を超えてくる。つまり横並びになるんですね。
ある一定のレベルを超えたら、あとは好みの問題に突入します。
そうなると差別化が難しくなり、市場全体が価格競争に向かっていきました。
一方で、画像診断はAIと非常に親和性が高いんです。
そのタイミングで、将来的に人が見ていく読影は淘汰されて、AIがその役割を担っていくのではないか、と感じたんですよね。
だから私自身、いち早くAIを取り入れたかったんです。
医療のAIという側面では、当時エルピクセルが唯一の可能性がある会社でした。
国内で初めて、ディープラーニングを使った画像解析ソフトウェアの開発に取り組んでいた会社です。次世代の開発に関わりたいとの想いで、2018年に移りました。
まだAIの医療製品が形になっていない時期だったので、製品企画から社会実装まで、基本的に全部やりました。
放射線画像をAIが解析して、たとえば胸部レントゲンから肺がんの可能性のある陰影を発見していく。そういうアプリケーションです。
難しい技術に挑むほど、救える人は少なくなる。そのジレンマが、教育に向かわせた。
―― EDIANDの構想は、いつ、どのように生まれたんですか?
エルピクセルに入った2018年ですね。翌2019年には会社を作っています。
ただ、エルピクセルに背を向けてどこかに行ったわけではなくて。
エルピクセルではいろんな大学のドクターと共同研究をしていたんですが、その中である先生から相談を受けたんです。
先生の仕事には臨床・研究・教育という三つがあって、この「教育」の負荷が極めて大きいので、テクノロジーでなんとかできないものか、と。
教育は、どうしても属人性が高くなります。
先生方が個人の熱意と経験で支えてくださっている一方で、その知見が組織に蓄積されにくい構造がある。ここに課題を感じました。
だからこそ根性論ではなくて、データやテクノロジーを使って効率的な学習を生み出せないか。その相談が、すべての始まりでした。
エルピクセルは画像を扱っていましたが、教育という側面では画像を一切扱わないんです。
臨床ではなく完全に教育現場の話なので、ここはエルピクセルでは立ち行かないなと。だから並行して、知っているエンジニアと一緒にEDIANDを作りました。
―― 臨床領域でキャリアを重ねてきた中で、教育を選ばれたことが意外です。
ずっとジレンマがありましたね。
PSPでもエルピクセルでも、開発内容はどんどん先端化し、難しく、ニッチで、複雑になっていくんです。
でも、技術的に難しいハードルを越えた開発だったとして、じゃあそれで助かる人ってどのくらいいるの? と、すごく思うところがあって。
たとえば肺がんを見つけるAI。大前提、これはとっても尊いことです。
ただ、肺がんに罹る方が日本でどのくらいのパーセンテージかというと、本当に数パーセントなんですよね。
難しいものにチャレンジすればするほど、希少疾患にぶち当たる。限られた人のためにエネルギーを注いでいくことになる。
それが悪いわけではないんです。
ただ、本当は自分の作ったAIを、もっと多くの人に触れてもらいたい側面がありまして。
最先端の臨床に関わるほど、技術は先端化するけれどターゲットは狭くなる。これがとてもジレンマでした。
一方で教育は、やって当たり前だと思われがちですよね。
しかし、すべての医療において基盤になる。すべての医師がここを通ることになるので、医療教育自体が進化するということは、医療のレベルがそのまま底上げされることを意味しているんじゃないか、と思うんです。
医療って生涯学習なんですよ。最後まで学習が続いていくんですよね。
そのスタートは、やっぱり学生の時なんです。
たとえば、もともと6年間で学ぶ内容を、仮に4年間で学べるようになったとしたら。残りの2年でもっと別の学習ができますよね。
そうやって医療全体の底上げに関われるんじゃないかと、当時、そう思っていました。
自分のアイデアを形にしていきたい。自己実現の究極と言える選択肢が起業です。
―― 課題を解決する手段は他にもあったはずです。なぜ「起業」だったのでしょうか。
研究って、予算も期間も限られているし、できることがすごく少ないんです。
突き詰める能力はあるものの、対象がすごく狭くて、社会実装までエネルギーをかけられないと感じてしまいました。
だからこそ、事業として継続的に取り組む形が必要だと考えました。
その上で起業を選んだのは、世の中に自分で生み出した何かを形として残したかったからです。
どこかの会社に属している限り、成果は会社のものになります。
それ自体は当然のことですが、良いも悪いも自分できっちり評価を受け止めて、自分の名前で何かを残す。それにチャレンジしてみたかったんですよ。
0→1を自分の手で、というのは本当に思っていましたね。
前職では開発と大学案件の責任者を務めていましたが、次第に、自分の名前で何かを残したいという思いが強くなっていきました。
―― 20年在籍された会社を離れるというのは、大きな決断だったのではないですか?
長かったですね。楽しかったですから。
ただ、20 年近く同じ場所にいると、自分がやるべきことと、会社としてやるべきことの境目が見えにくくなってくる。
そう感じた時期に、教育という新しい課題に出会いました。
タイミングだったのだと思います。
まとめ
医療ITの黎明期から約20年。
医療画像のデジタル化、読影支援、そしてAIへと、技術の進化とともにキャリアを歩んできた副田さん。
その先でたどり着いたのは、さらに高度な技術をつくることではなく、「すべての医療者が通る教育そのものを変える」という挑戦でした。
そして2019年、副田さんはEDIANDを立ち上げます。
では、EDIANDという会社をどのような組織にしていきたいのか。
後編では、「Every Day Is A New Day」という社名に込めた思い、メンバーに求める“自走力”、組織づくりへの考え方、そして2030年に向けて描いている未来についてお聞きしていきます。
\ご一読いただきありがとうございました!/
この記事を読んで、
「“医療教育”を、根本から変える仕事に関わってみたい」
「ゴールだけ渡されて、考えて、決めて、動く。そんな環境で力を試したい」
そう感じていただけた方は、ぜひ一度お話ししませんか?
考えること、行動すること、決断すること。この三つから逃げられない環境ですので、決して楽ではありません。
しかしその分、自分の手で何かを生み出したという実感は、確実に持ち帰っていただけると思います。
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まずはカジュアルにお話しできれば嬉しいです。
今後も、EDIANDのメンバーや事業について知っていただける記事を発信していきます。
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