カラスは黒く、トマトは赤い。
AIに「カラスって何色?」と聞けば、だいたい「黒」と返ってきます。トマトも「赤」。たぶん皆さんの頭の中の“典型”と同じ答えが返ると思うんですよ。みんなうすうす感じてると思うんですが、AIって「偏見のない存在」どころか、「典型例で世界を説明したがる優等生」みたいな顔をしてくるんですよね。
でも、これをいきなり「差別だ!恣意的だ!」と断罪するのも雑です。なぜなら、カラスが黒い・トマトが赤い、は多くの場面で役に立つ“近道”でもあるからです。問題は、近道がいつの間にか「唯一の道」になってしまう時です。
1.AIが“恣意性”を捨てられない理由
技術的に言うと、現代のAI(とくに機械学習)は「世界の真理」を理解しているというより、「与えられたデータの中で頻出するパターン」を学習します。つまり学習データが偏っていれば、出力も偏ります。
しかも“偏り”は悪意からだけ生まれるわけではありません。
(1)データがそもそも過去の制度や慣行を反映している(歴史的・社会的な偏り)
(2)収集方法や測定方法、ラベル付けの設計で偏る(技術的な偏り)
(3)使われる文脈が変わることで偏りが露出する(運用・文脈の偏り)
みたいに、きれいに三分類できる、という整理が昔からあります。人間がこしらえたシステムは、人間社会のクセを持ち込みやすい。AIももちろんその例外ではありません。
2.「人間のバイアスを排除するためにアルゴリズムへ」…の落とし穴
アルゴリズムは「感情がないから公平」と言われがちですが、実務では逆にややこしいことが起きます。
たとえば採用・与信・配属などで、過去の判断履歴や成果データを学習するとします。過去のデータがすでに偏っていたら、AIはそれを「成功パターン」として強化しうる。さらに「直接“属性”を入れていないから公平」という言い訳も通用しません。属性そのものを消しても、郵便番号や学歴や職歴などが代理変数になって同じ差を再現してしまうからです。
この種の議論は「Big Dataは人間の偏見を消すどころか、過去の偏りを再生産しうる」として体系的に論じられています。
3.公平の定義
ここが一番、現場がしんどいポイントです。公平って、ひとつの物理法則みたいに「これが正解」と決まっていません。
機械学習では「この公平性指標を満たせ」と定義して最適化するのですが、複数の公平性指標を同時に満たせない(トレードオフになる)ことがあり、しかもそれが原理的に避けられないケースがある、と示されています。例えば「確率の校正(スコアの意味がグループ間で揃う)」と「誤検知率・見逃し率の平等(Equalized Odds)」が両立しない、など。
つまり、AIが“恣意性を排除できない”というより、「恣意性を排除したくても、まず“何をもって公平とするか”が価値判断になる」のです。価値判断をゼロにしたい、という願い自体が、すでに価値判断なんですよね(虚無)。
4.「進化すればバイアスは消える?」という期待
今後、モデルは良くなります。データの文書化、評価の標準化、フィードバック学習、ガードレール、運用監査などで“有害な偏り”は減らせます。実際、「モデルがどんな用途・どんな集団で・どんな性能か」を明示するための“モデルカード”の提案など、透明性を上げる枠組みも整備されてきました。
でも、「偏りそのものがゼロになるか?」は別問題です。なぜならAIは、
- 限られたデータから一般化するために“何らかの前提(帰納バイアス)”を持たざるを得ない
- 学習の目的関数やラベルが、人間の価値判断で設計される
- 言語モデルは大量の言語パターンを学ぶため、社会のステレオタイプも一緒に取り込む
からです。大型言語モデルが抱えるリスク(データの偏り、文書化不足、社会的害など)を「結局“パターンのオウム返し”になり得る」と警鐘する議論もあるんですよね。
要するに、「バイアスを消す進化」ではなく、「バイアスを把握して扱えるようにする進化」くらいのレベルが現実的な気がしてます。
5.そもそもステレオタイプは、なぜ人間社会に“必要”なのか
ここで逆説をひとつ。ステレオタイプや先入観って、基本的に評判が悪いですよね。でも人間の認知は、これ無しでは回らないんですよね。脳は省エネをしたがるので、「だいたいこう」という型で世界を圧縮して理解します。
心理学でも、ステレオタイプが認知資源を節約する“省エネ装置”として働くことを示した研究があります。(すみません昔読んだ文献が見るからずリンク貼れてません。。)忙しい時ほど人は型に頼りやすいし、型があるから速く判断できる。もちろん、それが差別や不当な扱いに直結する危険も同時に持っています。だから厄介なんですが、ゼロにすると人間は日常生活が詰みます。
6.じゃあAIの偏りと、どう付き合う?
ここからが現実的な落としどころです。AIに「偏りがある/ない」を議論しても、だいたい宗教論争になります。おすすめは「どの偏りが、どの状況で、どんな損害を出すか」に落とすことです。
(1) “正しさ”ではなく“用途”から逆算する
生成AIを文章の下書きに使うのと、与信判断に使うのでは要求水準が違います。「何をしてはいけないか」「誰に害が出るか」を先に決める。
(2) 公平性指標は“選ぶ”ものだと腹をくくる
公平性は一枚岩ではありません。両立しないことがある以上、「どの公平性を優先するか」は意思決定です(そして、その意思決定の責任をAIに丸投げしない)。
(3)データとモデルの“来歴”を文書化する
「何を学習し、どこが弱いか」を明示する。モデルカードの発想は、まさに“偏りと共存するための説明責任”です。
(4)運用で殴る:監査、サンプルチェック、レッドチーミング
学習時に頑張っても、運用文脈が変わると偏りは顔を出します(さっきの分類でいう“emergent”)。だから定期的に出力を点検し、現場のフィードバックを入れる。
結論:バイアスを“扱える”側に回る
カラスは黒いし、トマトは赤い。AIもたぶんそう言う。問題は、世界がいつも「典型例」だけでできていないことです。
AIは、恣意性を完全には捨てられません。なぜなら、データも目的も評価も、人間が作る以上、価値判断が混ざるから。そして公平性は複数あって、同時に満たせない場合がある。
だから私たちがやるべきなのは、「偏りゼロのAI」を夢見ることより、「偏りを前提に、被害が出るポイントを設計と運用で潰すこと」です。AIを“無垢な神”扱いすると痛い目を見ますが、“癖のある新人”だと思えば、だいぶ付き合いやすくなります。新人に重要な意思決定を丸投げしないのと同じで、AIにも丸投げしない。皮肉じゃなくて、これがいちばん人間的で、いちばん実務的な結論だと思います。
今日の記事はあんまり関係ないですが、人材紹介会社向けの営業職募集してますー
では