株式会社オフィス未来 創業前の話
前職を退職し、私は2年間フリーエンジニアとして過酷なプロジェクトで戦っていました(当時は関西在住)、この会社の創業に背中を押していただいたのは、リスペクトしていた前職の先輩でした。
その先輩はすでに、起業されており、私はその先輩の会社にお世話になっておりました(当時30歳)フリーはやっぱり孤独でしたね、実入り(給与)はサラリーマン当時の数倍ありましたが、やはり高いリスクを背負っています、当時は結婚し子供もいたので、もしもの時の保証が無い、ケガ、病気、不慮の事故、何か自分にあった時、誰が自分を守ってくれるんだろう?と思っていました。
フリーで仕事を始めて、1年半が過ぎようかという、そんなある日、先輩から「そろそろ自分で会社やってみたら?」というアドバイスを頂きました。
今までサラリーマンで生きてきて、当時はフリーで活動いていましたが、いずれどこかの会社に就職するんだろうなと言う感じだったので、正直「えっ!!」という感じでしたが、身近にお手本(先輩)となる人もいるし、若さも手伝い、前職のメンバー4名と起業しました(当時32歳でした)
創業しました・・・
当時、日本を震撼させる大事件がありました、まず一つ目は、創業する年の1月に阪神・淡路大震災が発生、多くの犠牲者がでました、当時は関西在住(大阪)、同じプロジェクトで働いていたメンバーも被害にあった方もおられました。
私は大阪の南部に住んでいたので、被害は家の窓ガラスが3枚割れた程度で済みましたが、神戸方面の方は悲惨でした。交通網は、ほぼほぼ壊滅状態、出勤できない人もいましたが、みんなで支え合って生きていました、今でも当時のメンバーは戦友であり大切な仲間です。
二つ目の事件は、震災の傷も癒えない3月に東京で「地下鉄サリン事件」という無差別テロ事件が発生、多数の犠牲者の方がでました、何が起こったのか、最初はわからず、少し経って状況がわかりました。
当時、すごく恐怖を覚えました。この波乱な年の9月にオフィス未来は誕生しました。当時お金も無かったので事務員、営業、経理、全て自分でこなしてました、給与計算、請求処理、雑務、営業、自身もプロジェクトに所属していたので、現場作業もこなしながらのフル回転でしたね、夜はプロジェクトのメンバーともよく飲みにいきました、また周りのメンバーに大変支えてもらいました、今思い返すと、あの時のみんなの協力が無かったら、今頃この会社どうなっていただろう?当時のメンバーには「感謝」しかございません。みなさんありがとうございました!!
東京へ進出・・・
関西に不景気の嵐が吹き荒れた時代がありました(2000年頃)、ちょうどイチローがシアトルマリナーズと契約、大リーグに挑戦する頃だったと思います、今まで活況だったプロジェクトも開発案件が少なくなり、翌年には人員整理が始まりました、私はこのプロジェクトに足掛け7年程度在籍していたので、そろそろ自分自身でも引き際を感じており、会社も技術者の人数が10数名になっていたので、自ら手を挙げてプロジェクトを去る決断をしました。2001年9月のことです。
プロジェクト撤退後、起業して初めて朝から自社へ出社する日々を過ごしました、それまではプロジェクトへ直行だったので、やっぱり自社は落ち着きました!!
そんな穏やかな日々を過ごしていた、ある日、前プロジェクトでSE全体の責任者の方から 一本の電話を頂きました、内容は「東京で大きなプロジェクトが始まるので手伝ってくれない?」という内容でした、聞けば、いづれは関西へ仕事を持ち帰れるという内容だったので、軽い気持ちで返事をしました、これが後後、大変な事になるとは想像もできなかった・・・