Sotas株式会社は、「地球に長生きしてもらう」をパーパスに掲げ、化学産業のデータ流通を最適化するバーティカルSaaSやデジタルプラットフォームを展開するスタートアップです。
今回は代表の吉元裕樹氏にインタビューを実施。メガベンチャーや大企業で活躍する優秀な20代や、現役大学生へ向けて、自身のキャリアの原点や、Sotasが挑む巨大市場のポテンシャル、そして強固な組織づくりにかける熱い想いを語っていただきました。
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吉元裕樹 / 代表取締役・創業社長
建築学科を卒業後、不動産ベンチャーに入社。その後、大手素材メーカー(DIC)にて自動車用構造接着剤の新規事業立ち上げを経験し、日産自動車のMaaS事業で中期経営計画の策定などに従事。スタートアップ(Acall)の取締役副社長COOを経て、2022年にSotas株式会社を創業。
スマートなエリートとは真逆の、泥臭い「覚悟」から始まったキャリア
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──建築学科から不動産ベンチャーへと進まれたそうですが、大手の内定を辞退してまで飛び込んだ理由を教えてください。
大学時代の建築学科での日々は、想像していた華々しい大学生活とは真逆で、現実は毎日カッターを使って制作をし、提出日前は3日間ほぼ徹夜で模型を作り続けるような過酷な日々でした。その時、「有名な建築家の方々は、こうしたモノづくりのプロセスそのものに心から情熱を注げる人たちなんだな」と深くリスペクトしたのと同時に、「自分が心の底からワクワクする道は、また別の場所にあるのかもしれない」と気づいたんです。
就職活動においては、大手不動産デベロッパーの内定もいただいていたのですが、ある就活イベントで不動産ベンチャーの社長に出会い、一次面接で「このボールペンを私に1円でも高く売れ」と言われた瞬間に、ここなら圧倒的な営業力が鍛えられそうだと直感しました。両親が経営者だったこともあり、仕事をがむしゃらにやる環境に飛び込むことへの迷いはなく、新卒で名古屋の少数精鋭の不動産ベンチャーに入社しました。
──営業力を鍛えたいという思いで入社した創業期のベンチャーでは、どのような経験をされたのでしょうか。
入社3ヶ月で同期13人中10人が離脱する過酷な現場で、毎日3,000枚のポスティングをこなし、その反応率を1枚単位で自らチューニングする日々を通じて、ビジネスの基礎体力を徹底的に体に刻み込みました。私が担当していたのは愛知県の人口があまり多くないエリアだったので、マンションの戸数も少なく、毎日3,000枚配るというのは字面以上に物理的・体力的にハードな仕事でした。
そこで逃げずに行動したことで、当事者意識が徹底的に磨き上げられました。この時の実戦量が、今の経営者としての解像度や覚悟の原点になっています。
──毎日3,000枚のポスティングですか……!スマートなイメージとは裏腹に、本当に泥臭いスタートだったのですね。その「基礎体力」は、現在のビジネスにおいても活きていると感じますか。
非常に活きていると感じます。ビジネスの解像度は、泥臭い実戦の量とそこから逃げない覚悟によって磨かれます。
Sotasを創業した際も、化学物質の法規制情報を整理するために、何千行、何万行ものデータを自らExcelに地道に入力するような作業がありました。普通なら音を上げてしまうような途方もない作業ですが、過去の泥臭い経験で培った基礎体力があったからこそ、全く苦にすることなくやり切ることができました。
そして、そのデータを自分の手で一つ一つ紐解いていくプロセスの中で、「この産業の強烈な負は、自分が解かなければ絶対に誰もやらない」という想いが、確固たる確信に変わりましたね。
「居心地の悪い場所」へ向かう習性──DICでの0→1と、日産MaaSで得た最高峰の視座
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──その後、大手素材メーカーのDICへ転職されています。そこではどのような挑戦があったのでしょうか。
中国をはじめとするアジア圏で、自動車の構造用接着剤という新規事業をゼロから立ち上げ、年間売上10億円弱の事業へと成長させました。
大企業の看板があっても、海外の新規開拓現場では門前払いが当たり前です。なんとか突破口を開こうと、マイナス10度の真冬の北京で、相手の社長が帰ってくるのを外で3時間待ち続け、唇を真っ青にしながら商談の機会を掴んだこともありました。その時は、「夜に地元の店で美味しい餃子を食べる」という、仕事以外での小さな楽しみをモチベーションにして、寒さを耐え抜いて全集中していましたね。
ただ、実は私、中国語が全く話せなかったんです。ようやく社長が帰ってきて席についても、お互い言葉が通じず英語も通じないため、1分くらい無言で見つめ合ってしまって(笑)。最終的には相手が爆笑して、「中国語も話せないのに何のために外でずっと待ってたんだ!」と面白がってくれ、スマートフォンの翻訳機能を見せながらなんとか次の通訳同席のアポイントをいただくことができました。
──吉元さんの本気度が、行動で伝わったのですね!一方で、社外だけでなく社内の専門部隊を動かすのにもご苦労があったと伺いました。
そうなんです。このプロジェクトを成功させるには、社内の伝説的なエースの方の力がどうしても必要でした。当初は「現在の業務範囲外だからできない」と断られましたが、私は諦めきれず、その方がいる千葉の研究所に何度も通い詰めました。「あなたの力が必要なんです。このプロジェクト、ワクワクしませんか?」と伝え続けて、さらにはその方の部下たちにも声をかけて外堀を埋めていきました。
エースと対等なパートナーとして本気で向き合う姿勢を貫いたことで、最終的にそのエースの方が上層部を説得してくれ、特例として協力していただけることになったのです。
──熱意が心を動かしたのですね。そこからさらに、日産自動車のMaaS事業へとキャリアを進められたのはなぜですか。
中国での新規事業をゼロから立ち上げ、売上10億円規模にまで伸ばせたことで、大企業の中での「0→1」としては一定の成果と手応えを得ることができました。ただ、そうやって事業を軌道に乗せられたからこそ、自分の中で「次なるステップ」に進みたいと思ったんです。
私は、常に「居心地の悪い場所」に身を置き、自分を成長させたいという習性があります。化学メーカーというフィールドで成果を出したことで、事業をつくる全体の流れや「こういうものか」という肌感覚が見えてきた。だからこそ、次はさらにグローバルで、かつ圧倒的にスケールの大きな仕組みの中で自分を試したいと考えるようになりました。
日産自動車では、外資系コンサルティングファームや大手外資消費財メーカー出身者など、圧倒的に優秀な層に囲まれながら、グローバルな中期経営計画の策定やカーシェアサービスの統括を主導しました。そこで、大企業ならではの「仕組み化とスケール」の基準や、多様な部署を巻き込んで事業を推進する最高峰の視座を学ぶことができたのは、私にとって計り知れない財産です。
大手企業の看板を手放し、再びゼロへ──SaaSスタートアップでの葛藤と、起業への「淀みなき覚悟」
──その後、SaaSスタートアップのAcallに参画し、取締役副社長COOまで務められています。そこでのご経験を教えてください。
日産時代にシリコンバレーの起業家たちと出会い、自らの事業を生き生きと語る姿に強い衝撃を受け、「自分も同じ側にいく」と決意したのがすべての原点です。将来の起業を見据え、修行のために当時シード期だったAcallに参画しました。
入社時には代表へ「タイミングは明確に決めてはいないものの、途中で起業します」と明確に伝えて合意を得ていたんです。売上を2年で約5倍強に伸ばし、組織規模も3倍に拡大させ、副社長COOとして事業と組織を全力で牽引しました。自分を信じて打席に立たせてくれた会社には、今でも深く感謝しています。
──実際に起業へと動き出す中で、吉元さん自身はどのようなことを考え、どのようなプロセスを踏んでいったのでしょうか。
世の中で脱炭素や環境問題への関心が高まる中、私の興味もかつて肌で感じた化学産業の課題へと向かっていきました。土日の調べ物も自社ビジネスより素材やリサイクルのことばかりになりました。
なぜ、主役は「自動車」から「化学」へ逆転するのか──巨大なレガシー産業に「20代」が必要な理由
──さまざまな業界を経験された中で、なぜ「化学産業」にポテンシャルを感じたのでしょうか。
日本のGDPシェア約2割の400兆円を占める製造業のうち、売上高1位は自動車産業の約18%ですが、化学産業は、第2位の11%を占めています。加えて、自動車産業は時価総額グローバルTOP20に3社のみのランクインですが、化学産業では10社近くが君臨する驚異的な市場だからです。
例えば、日本は、半導体製造に必要な部素材の世界シェア率50%以上を握っています。世界の最先端テクノロジーが伸びれば伸びるほど、日本の化学素材のニーズは自動的に跳ね上がる構造になっています。これほど強固で世界に勝てる産業でありながら、当時はITスタートアップが1社も存在していませんでした。自動車産業の高度なIT化を経験し、その後SaaS企業でエンジニアと働いた経験のある私から見ると、化学産業のデジタル化の遅れは異常なほどであり、ここに途方もないビジネスチャンスがあると感じたのです。
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──圧倒的なポテンシャルを持ちながら、なぜデータ化が進んでいなかったのでしょうか。
素材の配合や製法を守るための「秘匿性文化」が、本来オープンにできるはずの物性データや規格情報にまで過剰に適用されていたからです。
その結果、各社で項目の名前すら統一されておらず、サプライチェーンの川中においてデータ流通が完全に断絶していました。現場の担当者は未だに紙の書類や独自Excelで情報を管理し、毎回個別対応の問い合わせに日々追われています。業界の人材流動性が低いため、長年の非効率なやり方が「普通」だと思い込まれていたのです。この巨万の「淀み」を滑らかに解消することこそが、次なる日本の基幹産業を創る最大のチャンスだと確信しました。
化学産業に残る、古い商習慣
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Sotasが提供するサービス
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──その巨大なレガシー産業を変革するために、なぜ今「20代」の優秀層を求めているのですか。
次なる日本の基幹産業を牽引し、非連続な大成長を起こすためには、既存の枠組みに捉われない新しい風を吹き込むことが必要不可欠だからです。
私がセールスとして最前線に出ると、商談相手は50代・60代のベテラン層が多いのも実態です。業界全体の高齢化が深刻に進む中で、我々の組織も今のミドルシニア層だけで固めていては、急激な変革は起こせません。だからこそ、25歳から20代後半の優秀な若手層に早くから参画していただき、ベテラン層の知見を貪欲に吸収しながら、会社の成長スピードを加速させる次世代の幹部として活躍してほしいと強く願っています。
【代表インタビュー後編へ続く】
続く後編では、巨大市場を狙う「コンパウンド(複合)戦略」や国家プロジェクト採択の裏側、少数精鋭組織の設計、そして起業家を輩出するタフなカルチャーに深く迫ります。