【幼少期のルーツ】
ーーまずは、守屋さんの幼少期からお話を伺いたいと思います。どんなお子さんだったのでしょうか?
守屋;1才のときに両親が離婚をして、一人っ子として母と猫と一緒に暮らしていました。母はフルタイムで看護師をしていたので、小さいころから家に一人でいる時間も多かったんです。そのかわり、保育園に通っている頃から本を読むことが大好きで、本のページをめくっているだけでもワクワクしていましたね。
ーー幼いころから、本を通じて世界を広げていたんですね。好奇心旺盛なお子さんだったのでしょうか?
守屋;はい。自分が知らないことだらけなことが面白くて、もっといろいろ知りたい、母集団への欲求が高いタイプでした。砂場の砂を全部見てみたいとか、「砂場の砂でかき氷屋さんを作りたい」と思ったり。3歳くらいからPCをいじり始めて、パソコンからもいろんな情報を得て、どんどん好奇心を膨らませていました。
【小学生時代に目覚めたリーダーシップ】
ーー保育園だけでなく、小学生になるとさらに活動的になったようですね。どんなことをされていましたか?
守屋;小学校に入る前から、下の子を従えて遊ぶことがあって、小学生のときには「チャレンジ隊」という戦隊モノのごっこ遊びをリーダーとして指揮していました。「新しい遊びを思いついたから一緒にやろう!」と提案して、友だちの弟たちも集まってどんどん増えていって。最初は4人だったのが、やりたい人が続出して最終的に収拾がつかなくなり、解散してしまったんです(笑)。ちょっと『十五少年漂流記』みたいな感じですね。
ーー下の子たちを率いて遊びを実行していく姿が、もうすでにリーダーシップを発揮しているように思えます。
守屋;そうかもしれません。小4くらいからインターネットの匿名チャットにも触れていて、そこで見知らぬ人たちとコミュニケーションを取るのも面白かったです。オンライン・オフライン問わず、人と関わって新しいことを始めるのが好きでした。
【中学受験と“戦略思考”の萌芽】
ーーそんな小学生時代を経て、中学校にはどのように進学したのですか?
守屋;「せっかく小学校で全部勉強したのに、なんでまた同じことをやる中学校に行くんだろう?」と思っていたので、中学受験をすることにしました。1年生のときは国立音大の付属中学に入学したんです。ところが、ピアノの練習はそこまで好きじゃなくて、親から「練習しないならやめたら?」となって、2年生の春には公立の中学校へ転校しました。
ーー吹奏楽部に所属され、そこでまた面白い活動をされたとか。
守屋;吹奏楽部で役職はなかったんですが、「もっと部員を増やしたい」と思って、進研ゼミのマンガをヒントにオリジナルの冊子を作って “集客” したりしていました。実際に部員を増やして、D部門からB部門に上げて銅賞を取れたんです。そのときも「どうしたら部員を増やせるか?」「どうしたら成果が出るか?」と戦略的に考えるのが楽しくって。
ーー既に中学生の段階で「戦略的に考える力」が育まれていたんですね。
守屋;そうですね。あとはブログを始めたりもしていて、外に向けて情報を発信する楽しさも知った時期でした。
【高校時代:データ活用のはじまりと骨研究】
ーーそして高校へ進学されるわけですが、川越女子高校に入ったのも数学の問題を解くのが好きだったから…?
守屋;はい。数学が好きで問題を解きまくっていたら、そのまま川越女子高校に入りました。高校では2007年に発売されたiPhoneのインパクトや、mixi全盛期、前略プロフィールが終わる頃の時代背景もあって、部活のサイトやQRコードを活用するなど、データ分析っぽいことを試していましたね。
ーー具体的には、どんな取り組みを?
守屋;2年生で副部長を任されたとき、教室の後ろに黒板があって、そこに「マンドリン部がどんな部活なのか」を知ってもらうためにQRコードを貼ったんです。教室移動の時に廊下ですれ違う人に部員のアテンドを付けたり、傾向分析をして「ここで声をかけると効果が高いかも」なんて考えていました。ちょうどこの頃から「どういう人にどうアプローチするか」という、本格的なデータ分析に目覚めた感覚でした。
ーーもう高校生の段階でマーケティングやデータ分析の感覚を培っていたとは驚きです。さらに、国立科学博物館に通うほど本格的に研究活動もされていたそうですね。
守屋;SSH(スーパーサイエンスハイスクール)のバックヤードツアーで骨に興味を持って、そこから国立科学博物館が企画した大哺乳類展に行ったら“ハリモグラ”が爬虫類っぽい哺乳類と図録に書いてあって、「どう爬虫類っぽいの?」と疑問を感じて。生物の先生に相談したら、たまたま図録を書いた川田先生と繋いでくれて、そこからほぼ毎月研究室に通うようになりました。高校生の高校生の時哺乳類学会でポスター発表をしたのも大きな経験です。
【大学時代と揺れ動くアイデンティティ】
ーー筑波大学にはAC入試(AO入試)で合格。ところが、大学生活の中で大きな転機があったとか。
守屋;大学1年の夏に色々あって、しばらく大学に行けなくなり、後期はほとんど単位を取れませんでした。でも2年生からまた少しずつ復帰して、国際会議にも行きたいと思うようになったんですよね。アイルランドの国際哺乳類学会に単身でポスター発表しに行ったりとか。
ーー海外の学会発表までされたんですね。骨に対する興味は引き続き持ち続けていた?
守屋;持っていました。でも3年生の頃にはアイデンティティを見失うような時期もあって。女性としての自分、研究者としての自分――いろんな悩みが重なったんです。ただ、そのタイミングで白石麻衣さんを知って「かっこいい女性でいよう」と思えたり、とりあえず走り抜けようと思えたりして、3年生で一気に単位を取り直し、無事卒業できました。
【就職活動と研究への未練】
ーー4年生のときには「データ分析をちゃんとやりたい」と考えたそうですね。そのまま研究者の道に進むことも考えていたのでしょうか?
守屋;はい。大学院に進んで動物の研究を続ける選択肢もあったんです。実際に東京農工大学や森林総合研究所と一緒にアマミノクロウサギの研究などを進めていました。ただ、データへの欲求がさらに強くなってきていて「もっと大量のデータを扱いたい」という思いもあったし、奨学金を借りていたという現実的な事情もあり、ひとまず企業に入ってお金を返しながらスキルを磨こうと。
ーー最終的にはソフトバンクに入社を決めたわけですね。
守屋;そうです。同時に受けていた日立製作所さんの選考には落ちてしまって、他社でもいくつか書類選考に進んでいたのですが、ソフトバンクとの出会いをきっかけにやめてしまいました。先輩社員訪問で、ソフトバンクさんには野心を持った人が多くて、風通しも良さそうだと感じたのが大きかったんですよね。内定後のプレゼン大会で「なんでうちを選んでくれたの?」と聞かれたときも、「課題解決って、一人じゃ限界がある。野心がある仲間と一緒にやりたい」と答えました。
【まとめ:探究心が導いた決断】
ーー学生時代に骨の研究からデータ分析まで幅広く取り組んだ結果、最終的には通信キャリアを選んだのが興味深いです。
守屋;探究心が根底にあって、「もっと見てみたい、もっと知りたい」という気持ちが常にあるんだと思います。研究を続けるか企業に入るかも、どちらを選んでも私の場合は “探究心” を満たすための手段にすぎない。どの道を選んでもわくわくできそうだし、まずは企業に入って専門知識も実務も身に付ける――そんな就職活動でした。