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外資系金融やNPO立ち上げを経て福祉の世界へ!大切なキーワードは「お客様目線」

新卒から数えると豊泉家で6社目となる小中さん。外資系金融・大手通信会社・NPO立ち上げなど華やかな経歴です。そんな小中さんが6社目に選んだのが未経験で福祉業界の豊泉家。

どの職場でも輝かしい実績を出してきた小中さんですが、未経験の福祉業界へ転職を決めた理由や仕事への姿勢などについて深掘りしていきます。


小中陽三 / 社会福祉法人福祥福祉会 北緑丘コミュニティ 副コミュニティ長

阪神淡路大震災で災害報道に興味を持ち、新卒で広告代理店に入社。営業手腕を買われ外資系金融会社へヘッドハンティング。大手通信会社営業・業務企画、NPO立ち上げ、ホテルマネジャーなどの職を経て豊泉家へ。現在は北緑丘コミュニティ副コミュニティ長。

数々の厳しい環境で実績を出し続けられた理由は「お客様目線」

ーーまず小中さんの最初の職歴について教えてください

新卒で広告代理店に入社しました。中学時代、阪神淡路大震災の炊き出しボランティアで定期的に顔を出していた神戸市長田区の避難所で新聞社やテレビ局の取材の様子を見て、実際の現場で行われたインタビューと報道されている内容の差に違和感を感じたんですよね。また、報道された避難所とされない避難所で救援物資に大きな格差が生まれたなど、災害報道に関する問題を目の当たりにし、現場の本当の悩みを伝えるジャーナリストを目指すことにしました。大学時代は国内外で取材を行い、大学機関誌に記事を寄稿、国際的なジャーナリストの講演会主催。ゼミ出版物の編集長など経験を積み、報道記者を目指しましたがご縁がなく、同じマスメディアを扱う広告代理店へ総合職で入社しました。

ーー広告代理店での仕事内容は?

主に店舗運営をしている中小企業への営業を担当しましたが初めはうまくいかず、お客様の従業員の仕事や掃除を手伝いながら営業について教えていただきました。主にお客様から営業を学んだからこそ、「お客様目線に立つ」という仕事における重要な学びを得たと思います。

2年目には本社営業企画部に異動。同時に業界の経営者団体事務局にも出向。本社でマーケティング業務に携わる一方で、業界団体の事務局業務を通して、全国各地の経営者の皆さまと繋がり広告案件や地元の業界事情等の情報をいただき、団体会員向け定期刊行物の取材編集や業界ニュース配信等にも携わりました。

ーーいきなり社会人1・2年目から活躍されていますね!4年目には転職されたそうですが、その経緯は?

社内経営幹部に同伴する仕事も多く、貴重な経験させていただいておりましたが、同世代に比べて待遇が良すぎることに”自分はすごい”と勘違いしてしまうことを危惧しました。そこで、地に足の付いた、等身大の実力を鍛えられるよう難易度の高い現場で仕事を極めたいと思い、お声掛けいただいた企業様の中から最も厳しい業界、企業に飛び込もうと外資系金融会社へ営業として転職することに決めました。

金融資産、節税対策も兼ねたご提案が多く、年収1千万円以上のエグゼクティブが主なお客様でした。

ーー何度も業績ランキングで上位入賞していると聞いております。1社目と変わらず素晴らしい営業成績を上げられた理由は何だと思われますか?

業界や提案サービスが変わってもお客様目線を大切にしてきたからだと思っています。

お客様の希望を叶えるため、お客さまと伴走する姿勢で一緒にライフプランを立てることが一定の成果や評価に繋がることを改めて実感しました。

何よりもMDRT(1927年に設立された世界の保険セールスマンの上位5%の人しか入れない組織)に携われたことも嬉しい経験です。トップセールスの方が日々心掛けていることなどを間近で伺うことができたことは大きな学びとなりました。

そこで分かったのは、年収1億円を超える世界有数のトップセールスマンの方でもお客様に直筆で手紙を書き、周りの方々への労いや感謝も忘れないなど、お客様に真摯な気持ちで向き合い、丁寧な仕事をしていることです。いかにお客様に寄り添うことが重要か、ここでも実感しました。

ーー外資系金融会社でも営業実績を出していたのに、さらに転職した理由を教えてください

私を信頼して応援して下さるお客様がたくさんいらっしゃいましたのでかなり悩んだのですが、リーマンショックを発端とする世界的な金融危機の中心となる企業に身を置く中で一時的に収入が不安定になったことがあり、今の妻との結婚を考える中で収入が安定する業界へ転職することを決めました。

ーー次の転職先は大手通信会社とのこと。主な仕事内容についてお聞かせください

知人に紹介いただいた大手通信会社で、新規事業の立ち上げを任せていただきました。事業内容としては、中小企業の皆さまに通信機器を活用したオフィス環境整備のご提案です。

入社一年後には戦略的子会社として独立。5つのエリアに分社化して全国展開。2022年の売上高451億円にまで成長した事業の黎明期に携わった形です。過去の経験を活かし、お客様の課題、地域性、業界に合わせて商材を組み合わせて提案を続ける中で粗利益率で全社1位となり表彰。その後、営業から企画部門に異動し複合提案の営業マニュアル作成や研修制度の構築、新商材や社内営業ツールの企画開発等に携わりました。成果を上げた根底はやはり「お客様目線」。お客様が抱えている課題に向き合い「お客様にとって本当に必要な解決策は何か。その為に私たちはどんなサポートができるか」を問い続けた結果だと思っています。

ーーここでも「お客様目線」が生きていますね!大手通信会社で得られた経験や価値観などは?

事業の立ち上げを経験して、自分一人でできることには限界があると感じました。大きな目標のためには、周囲の協力を得ることが重要です。そのため社内や関係各社との人間関係構築が大切になってきます。

心がけていることは、共にサービスを作り上げている皆さまを「仲間として大切にすること」です。現場で苦労していると、自分の目線でしか考えられなくなることもありますよね。しかし実際は、いろいろな部門の人間が協力し合ってひとつのサービスを作り上げています。感謝と敬意を明示しながら、仲間として積極的に協力できることを模索し続けていれば、反対に助けてもらえる。この経験は、豊泉家でも生きています。

使命感からさらなる新境地!NPO立上げと冠婚葬祭業へ

ーー大手通信会社でも成果を上げていたのにNPO立上げのために退職されたそうですね

東日本大震災がきっかけです。妻の実家が福島県で、原発事故の影響で急速に過疎化が進んでいるのを知りました。スタジオジブリの映画「となりのトトロ」に出てくるような風光明媚な田舎の景色が廃れていくのは悲しい…。そんな気持ちを以前から妻と持ち続けていました。その中で妻の知人が地方自治体と連携して街づくり事業・地方創生に関するNPOを立ち上げるということでお誘いいただきました。

NPOでは、使い手のなくなった畑や空き家をリノベーションしたり、オーガニックの野菜で町おこしをしたりなどの事業を運営しました。休耕地は使わないと劣化してしまう上、周囲の田畑にも虫や獣の被害をもたらし、悪影響を生みます。地域の田畑を守り、観光客が大自然を味わえるような、ちょっと変わった観光などを企画しました。ビジネスが立ち上がると若い人も戻ってきやすくなります。事務局長として精一杯取り組みました。

ーーNPOで得た学びなどがあれば

学んだことは、お客様目線は、こちらがいいと思ったものを押し付けるのではなく、相手の価値観を踏まえることが重要だということ。様々な目線からの配慮が必要で、自分たちの理想を押し付けるだけでは、ただの綺麗事。実際、こちらが良かれと思って仕掛けたことも、現地の方には受け入れてもらえないことも。「よそから来たのに何を勝手なことを言っているんだ!」と地元の方に怒られることも多々ありました。

この経験は、豊泉家の認知症ケアに通じることです。認知症の方が感じている価値観と私たちが良いと思って行っていることの差を気づかずに押し付けているかもしれない。大切なのは、「私はあなたの気持ちに寄り添いたい」という姿勢です。

ーーそこからさらに転職とのことですが、理由と仕事内容について詳しくお聞かせください

政権交代で経済産業省の方針も変更となる中で私たちの事業が助成金対象事業から外れることとなり事業継続が困難になり、やむを得ず2年で閉鎖することとなりました。そこで、次は少子高齢化とIT社会になってもなくならない業界を選ぼうと考え、どの世代も人生に一度は経験する冠婚葬祭業に携わろうと決めて、自身の経験をより活かしやすい企業に総合職で入社を決めました。

まずは営業責任者として個人のお客様向けに互助会サービス、葬儀保険、医療共済を提供する部門を受け持ちました。次の年に同じ担当エリアの婚礼ホテル事業へ異動。リゾートホテルのマネージャーとして不採算事業を立て直す中で、楽天トラベル満足度91%、ミシュランガイドの宿泊施設部門で三ツ星獲得などの成果を出す結果を得ました。

ーーミシュラン三ツ星とはすごいですね!ホテル業で得た経験や価値は?

今までの営業系の仕事では、長期的なお客様満足について考えてきました。しかしサービス業では利用後の長期的な満足度と同時に、「今」「この瞬間」という滞在期間中の満足が重要だということを実感しました。なぜこのタイミングで当ホテルを利用して、このサービスを注文したかを会話を通して探り、望む未来を想像して、お客様が期待、想定していないプラスアルファの提案を行う中で感動につなげます。

この体験も福祉の仕事に生きていて、滞在中の短期的な満足と滞在後の長期的な満足のどちらも満たせるように考えるきっかけになりました。

予想外の転職、きっかけは家族が急病で倒れたこと

ーー豊泉家に転職を決意した理由についてお聞かせください

豊泉家への転職は、父が心臓の病気で倒れたのがきっかけです。父親は関西、私は九州の長崎。急には駆けつけられません。近くに住み助けが必要な時には駆けつけたい。両親の離婚後10年以上疎遠にしてしまった父親に少しでも親孝行したい。そう考えて関西へ戻りました。

さらに、妻の兄が生まれつき脳性麻痺を患っており、自分が福祉業界で働けば、義兄の受け入れに役に立つかもしれない…そう思ったんです。また自分が仕事で培った経験や価値観を、福祉業界でも生かせるかもしれないと感じました。

ーー家族と介護の問題は切り離せませんよね。福祉業界の中でも豊泉家を選んだ理由は?

一般的な福祉事業は、利用者がケガするなどといったリスクは最大限排除した、無機質なイメージがありました。でも豊泉家は違った。利用者の安らぎのために絵画などが飾ってありました。ぶつかったら危ない、余計なものは撤去するというのが一般的な考え方かもしれませんが、豊泉家ではご利用者の気持ちがよりリラックスできるように調度品なども置いています。このように効率よりも介護される側の目線で考えているのは、豊泉家以外にほとんどなかったように思います。

大切な家族を施設に預けることに後ろめたさを持たれる方は少なくありません。もし、自分の足で歩けなくなったとしてもいい気分で過ごしてほしいと家族は考えますよね。例えば認知症のご利用者であれば、一般的には「危なくないように」「面倒が起こらないように」と対応するところ、豊泉家では「ご本人の世界を大事にする」という考え方が尊重されます。預けることに不安を持たれるご家族、そして、ご利用者の気持ちを大切にしつつ、リスクはケアでカバーする、そんな考えに感銘を受けました。

ーー豊泉家のモラル手帳に共感した部分も大きいと?

転職先をリサーチする中で、豊泉家モラルを知りました。入社すると皆に配布されるモラル手帳にも書いてありますが、豊泉家フェロー(スタッフ)の行動指針や豊泉家で働く心構えなどです。100条にわたって豊泉家の想いがまとめられており、フェローが同じ志を持って行動できるように作られています。

私が感銘を受けた内容はこちら。

  • 地域包括ケアシステム豊泉家モデル
    (多くの自治体で採用される、複数の事業所を連携させて、予防・医療・介護・在宅生活などの地域包括ケアを実現する「連携型」ではなく、同一の法人グループ内で地域包括ケアを実現する「一体型」運営を指す。臨機応変で細かな連携がより実現しやすい)
  • 家縁・健康社会づくり
    (豊泉家でつながる縁を”家縁(かえん)”と呼び、大家族のように関わる全ての方と豊かな人生を育むことを目指す)

これは、大手通信会社に所属していた時に親しんだ創業者の経営理念、お客様目線・真心で仕事をする・人に寄り添う、などとよく似ています。自分の価値観と通じるものがあると共感しました。入社後もギャップは感じていません。

お客様主義=利他主義を徹底すればお互いの満足につながる!豊泉家モデルを全国に展開するのが夢

ーー相手のことを考えた行動で満足や信頼に結びついた結果、実績に繋がっている印象です。その原動力はどこから来るものですか?

人が喜ぶ姿を見るのが好きなんですよね。昔はヒーローになりたかったくらい、人のために何かしたいと考えています。誰かが喜んでいる姿を見たいという気持ちが一番の原動力です。

ーー豊泉家に合うのは、どのようなタイプの方でしょうか

"大切な誰かに喜んでもらいたい"という想いが強い人にとってはいい選択だと思います。これは実際働いている私たち職員に共通する点かも知れません。

転職活動をされる皆さんには、まず"自分は何のために仕事をするのか"、"幸せな人生を送るために仕事をどう活かすか"を考えていただきたいです。誰かのために何かを提供し、その誰かが感謝を示す対価の一つとしてお金を提供するというのが仕事の原点。その仕事で"好き"や"やりがい"を見つけられると理想ですよね。

その点、豊泉家はお客様に喜んでもらう為に、本業の介護・医療における認知症ケアや看取りケア、障がい者支援、日々の娯楽、食事、祭事など仕事を通して専門職と共に幅広い分野に携われるので、"好きややりがいを見つけやすい職場"といえます。

ーー小中さんの描く夢などがあれば

限られた資源、環境の中でより高い成果をあげるためには協力や連携が重要です。私は、現在私たちが取り組んでいる、医療・福祉・介護のすべてを法人グループ内で賄う一体型の地域包括ケアシステム(地域包括ケアシステム豊泉家モデル)での知見を元に、妻の地元福島県やお世話になった長崎県はじめとする地方に民間主導の新しい形の地域包括ケアシステムを作りたいと考えています。そして、その先には世界で最初に超高齢社会を迎えた日本の成功モデルとして確立して、これから高齢社会を迎える諸外国にそのノウハウを広めていきたい。その為に、豊泉家の環境と資源を活用して業界の変革と新しいモデルづくりに貢献していきたいです。

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