1
/
5

【社員インタビュー】レイソルユースからプロを目指した少年時代(前編)

こんにちは!F&Vの千村です!
社会人にとって貴重な夏休みがあっという間に終わってしまい、休みボケが未だに残りながらも業務に追われています😅
次の祝日は1か月後、、、!!!(とても遠く感じる)

さてさて、今日は先月入社したばかりの新メンバー・麦倉捺木さんのインタビューです!
実は私とは高校が同じで1歳差の後輩。
こうして今一緒に働くことになるとは想像もしていませんでした。笑

高校卒業後にプロサッカー選手として活動し、現在はその知見を活かしてスポーツコンバイン事業のセールスで貢献してくれている麦倉さんに話しを聞いてみました!

▶プロフィールはこちら

麦倉 捺木のプロフィール - Wantedly
株式会社F&V, スポーツコンバイン事業部セールス [プロフィール] 東京都足立区出身 5歳からサッカーを始める ・柏レイソルU-12〜U18 ・水戸ホーリーホック ・SC相模原 ・いわてグルージャ盛岡 ・東京ユナイテッド Jリーグ通算45試合出場2ゴール12アシスト [趣味] スポーツ観戦(特に巨人ファン) サウナ 読書
https://www.wantedly.com/id/mugikura


スパルタ指導を経て

麦倉)
こんにちは!7月よりF&Vに入社しました麦倉捺木です!
高校卒業後にプロ転向、5年間Jリーグで活動していました。
趣味はサウナと野球観戦(巨人ファン)。サウナハットを被って整えています。
よろしくお願いします!

千村)
色々突っ込みどころがあって良いスタートですね。笑
噂によるとダイエットに励んでいるとか??笑

麦倉)
実は11月に結婚式があるので-10キロを目指して頑張っています!笑

千村)
現役の時を思い出して頑張ろうね!笑
さて今日はインタビューということで、こうしてきちんと麦倉君について話を聞くのは初めてなような気がします。まずサッカーを始めたきっかけを教えて下さい。



麦倉)
4歳からサッカーを始めたんですが、父が野球経験者ということでサッカーも野球もどちらもやってみろということで半ば強制的でした。笑
ただ野球の才能が全く無くて、途中からサッカー一本に絞ったんです。

千村)
最初はあまりサッカーは好きではなかった?

麦倉)
そうですね、幼少期は辛かった思い出しかありません。。。笑
父が毎日自主練の相手をしてくれたんですが、それが本当にきつかった記憶があります。
あと、僕はもともと右利きなんですが、強制的に左に変えて今では足だけ左利きなんです。ただそういった厳しい指導のおかげで成長できたし、小4でレイソルのセレクションにも合格できたと思います。

千村)
レイソルアカデミーのセレクションはかなりハードルが高いと聞いています。

麦倉)
数百人応募して、数名受かるか受からないかという感じですね。
だからこそ練習環境だけではなく、常に年上の上手い選手がいたりプロがいたり、刺激の多い素晴らしい環境でした。

プロのレベルの高さに唖然とした

千村)
そんな環境で小さいころからサッカーに打ち込んでいたわけですが、プロを目指したのはいつ頃からですか?

麦倉)
中学3年生です。身近にプロの選手やプロ候補の選手がゴロゴロいる環境で、人間的にも素晴らしい人達に囲まれていました。自分もこうなりたいと自然と思うようになったんです。
その年、高校3年生が出る試合に中学3年で僕が選ばれて、年齢や体格は違えど意外とできるな、とその時感じました。でもプロは明らかにレベルが違う。あまりの違いにびっくりしました。
それで自分の目指すべき場所はここだ、とプロを目指すようになりました。

千村)
プロになるために麦倉君が必要だと感じていたことは何でしょう?

麦倉)
圧倒的な長所を持つことです。キックでは誰にも負けない精度を保つために、ひたすら左足で練習をしていました。特にコーナーキックは絶対に自分が蹴ると決めていたので。それだけ愚直に練習して自信もあったので、試合では先輩だろうがコーナーキックは誰にも譲らずに、自分が蹴っていました。



高卒でプロに

千村)
高校ではプレミアリーグも優勝したりとまさに「エリートコース」を進んでいたのではと思います。
高校時代を振り返ってみてどうですか?

麦倉)
チャンピオンシップでは優勝できなかったので悔しい経験もしました。
僕の代は期待されていたので、現在もプロで活躍している選手が何名かいますが、高校3年生の夏にトップチーム(プロ)に僕は上がれなかったんです。かなりこの時は辛かったですね。

千村)
トップチームに登録されなかったことで、卒業後どうするかは考えた?

麦倉)
もちろん考えました。大学からも声をかけてもらっていましたがプロになることにこだわっていたので全て断っていました。
そんな時に水戸ホーリーホックの練習に参加させてもらったんです。3日間みっちり参加しましたね。
実はレイソルのプロの海外合宿にも参加したことがあったんですが、なかなかアピールできず途中で帰国させられたこともあったので、この水戸の練習参加では必ず結果を残そうと思っていました。

千村)
その練習参加で全てが決まる、と考えると怖いね、、、

麦倉)
水戸の練習参加では最終日に大学との練習試合で2得点1アシストと結果を残して、その日のうちに入団が決まりました。素直に嬉しかったですね、ずっとプロを目指してきたので。
悔しい思いも経験してきましたが、ここで結果を出せたのは、日ごろから基礎練習を大事にして取り組んできたからだと思います。



プロになってからの試練

千村)
念願かなって高校卒業後にプロになったわけですが、実際にプロの世界に入って感じたギャップなどはありましたか?

麦倉)
まず感じたのは圧倒的なフィジカルの差でした。特にスピード。
技術が高い選手ももちろんたくさんいますが、フィジカルの部分でついていけない現実を目の当たりにしました。

千村)
周りについていくのに必死?

麦倉)
そうですそうです。
試合にもなかなか出れず、「サッカー選手は試合に出てこそ価値がある」と痛感しました。
正直なところ、それまではプロになることが目標になってしまっていたなと。
試合に出てどう活躍していくか、そのためにどんなプロセスを踏んでいくべきか、という具体的な部分が自分の中でイメージしきれていなかったと思います。

千村)
それは私もよく分かるかも。
プロになった先を学生時代は考えられていなかったし、いきなりレベルも上がるから何から変えていけばいいのか分からなくなってしまったな、、、

麦倉)
目の前のことに必死すぎて、先々のことは何も考える余裕が無かったですね。
空いた時間に自主トレなどしていましたが、今考えるともっとやり様があったと思います。
それくらいプロの世界は厳しくて、それまでの努力では通用しないことが多かったです。

以上、麦倉さんのインタビュー前編でした!
ユースの中で頭角を現すことも大変ですが、プロの世界は全くの別世界だと改めて感じました。

これはテニスだろうがサッカーだろうが、どの世界も共通すると思います。
後編では、引退後のセカンドキャリアについて内容の濃い話がきけたので、楽しみにしてください!

株式会社F&V's job postings
2 Likes
2 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Natsumi Chimura's Story
Let Natsumi Chimura's company know you're interested in their content