獣医師の家庭に生まれ、命の現場を間近で見て育った少年時代。若き起業家たちが社会を動かす姿に心を奪われ、自らも道を切り拓かんとした青年時代。そして動画・ECビジネスでの成功体験。株式会社HACHI・長谷和俊代表のキャリアは、動物医療とビジネスという二つの原点が交差し、一本の太い線へと収束していく物語そのものです。長谷代表の原動力とは何か。そして、運命的な出会いからHACHIを創業するに至った軌跡を語っていただきました。
インタビュアー:早川博通
撮影:小野千明
▲2025年8月19日@本社オフィス 株式会社HACHI 代表取締役 長谷和俊 社長
父の背中から刻まれた「仕事観」の礎
――まず、長谷代表のキャリアの原点であり、現在の仕事観にも繋がっているという幼少期のお話からお聞かせください。
獣医師の家庭で育ち、幼い頃から動物医療の現場を身近に感じていました。診察室で命と向き合う父の姿から私の仕事観はつくられたといっても過言ではありません。命を救うために一つでも多く学び、成長し続けること。人に感謝されるような本当に価値ある仕事をし続けること。自分が1つ成長すれば、1つ救える命がある。生死をわけるような責任ある仕事をするからこそ感謝され、その感謝の大きさによって自分たちも豊かな生活を送れる、ということが私の仕事観の土台となっています。
――ご実家は兵庫県の姫路市で動物病院を開業されていたそうですね。当時の記憶で、特に印象に残っていることはありますか?
私が物心ついた頃の実家は地域でも比較的中規模な病院で、獣医師が常に4〜5人はいるような環境でした。病院の2階が自宅という動物病院によくある造りでしたから、私にとって1階の病院は日常の一部であり、遊び場のような感覚でした。
▲病院の2階が自宅(当時)
私が幼少期を過ごした1990年代はペットブームの余韻が残り、ペットの数も需要も右肩上がりの時代でした。周りの開業獣医たちと比べてまだ若かった父は、そうした状況をいち早く見据え、業界の先駆けとなる試みを次々と行います。たとえばペットショップと動物病院との連携、ペット向け処方食(療法食)の動物病院での販売などです。「本当に動物を救いたいなら、飼い主に向き合わなければならない。」父の根底には、獣医師として動物を救いたいというウエットな想いや信念とともに、そのためのドライで現実的な病院経営戦略ががありました。
――その環境の中で、ご自身の「仕事観」に最も強い影響を与えたエピソードは何だったのでしょうか。
父の仕事に対する姿勢そのものが私の血肉となりましたね。忘れられない光景があります。ある日、いつものように1階の医局(事務作業をする場所)で遊んでいると、父が診察室から鬼気迫る表情で入ってきて、壁一面に並んだ分厚いドイツ語の獣医学書の中から一冊をひったくるように抜き出したんです。そして、その場に立ち尽くしたまま凄まじい集中力でページをめくり始めました。しばらくすると「これだ!」と一言だけつぶやいて、すぐに診察室へと戻っていきました。
子供だったのでそれがどんな症例で、本に何が書かれていたのかは分かりません。しかし目の前の命を救うため、最後の最後まで諦めずに知識を探し求める父の姿は私の脳裏にしっかりと焼き付いています。1つ学べば、1つ救える命がある……その厳然たる事実を、私は言葉ではなく父の背中から学びました。「生きるか、死ぬか」という明確な「成果」になる仕事だからこそ、目の前の課題解決に全力を尽くす。その姿勢こそが私の仕事における核となっています。
もう一つ強烈に記憶しているのが、父が地域社会から受けていた感謝の大きさです。町を歩けば「先生、お世話になりました」と声をかけられ、家族でファミレスに行っても他のテーブルから挨拶をされる。家には毎日のように感謝の手紙が添えられた贈り物が届いていました。その一つひとつが父の仕事の価値を証明しているように見えたんです。
父の仕事のおかげで、自分たちは豊かに暮らしていける。その当たり前の事実に日々触れる中で「自分も、自分の力でこんなにも人から感謝される仕事がしたい。自分の足でしっかりと立ちたい」という渇望にも似た思いが心の奥底で静かに、しかし確実に育っていったのだと思います。
もう一つの憧れ〜社会を動かす「起業家」という存在
――「感謝される仕事」として獣医師の道もあったかと思いますが、一方で「起業家」という、全く異なる選択肢はどのようにして生まれたのでしょうか。
父への尊敬とは別に、私の中にはもう一つの強い憧れがありました。ちょうど高校生の頃、時代はまさにライブドアやサイバーエージェントといったITベンチャーのブームが全盛期でした。20代、30代の若手起業家たちが斬新なアイデアと最先端のテクノロジーを武器に、既得権益を壊し、社会の仕組みをダイナミックに変えていく。その姿が、途轍もなく格好良く見えたんです。
若手IT起業家の代表格だったサイバーエージェントの社長本
――その憧れには、何か原体験があったのでしょうか?
そうですね…。実は私は子どもの頃から社会の仕組みに対して漠然とした違和感を抱いていました。その原点は中学1年生の時に経験した「平成の大合併」です。当時住んでいた町が、隣接する姫路市と合併するかどうかで大人たちがまっぷたつに割れて議論していました。
当時私が住んでいたのはいわゆる「田舎の村」です。「古くからの住民が上位」というヒエラルキーが存在していました。そんな中で、村の外れに新しく移り住んできた私たち家族は「新参者」です。私は子供ながらに、村の大人たちの話し声やしぐさ、表情から、その「明らかに歓迎されていない」空気を敏感に感じ取っていましたし、「この場所にいてはならない」という違和感を感じながら、幼少期を過ごしたのです。そんな抗えない社会的圧力を感じていた思春期に訪れた「平成の大合併」は、私にとって初めて経験したヒエラルキーが壊れる「革命」であり、ある意味で「希望の光」でした。そんな最中、学校帰りに見た選挙の演説で、合併推進派の議員が保守派から「小さな町がないがしろにされるぞ」と激しく批判されているのを目の当たりにしたんです。
その時、いてもたってもいられなくなり、匿名で推進派の議員さんに「中学生ですが、あなたの考えを応援しています」と涙ながらにEメールを書きました。
後日、その方がブログで「応援のメールをもらった」と書いてくれていたのを見つけ、少しだけ誇らしい気持ちになったのを覚えています。
しかし同時に痛感したのは自分の無力さでもありました。社会の大きな流れの前では自分は何もできない。正しいと思うことを実現する力がない。そんな無力感と苛立ちを感じていた時期に見た若手起業家たちが社会を動かしていく姿も、おなじく「希望の光」に見えました。無力な自分を抜け出し、社会をよりよく変える力を得るための、ただ一つの「可能性」だったのです。
振り返ってみれば、父もまた「起業家」でした。獣医師という専門職ですが動物病院という株式会社を経営していたわけです。しかも、今は10年ほど修行してから独立開業するのが常識なのですが、父は23歳という若さで独立しています。そのフロンティア精神を間近で見て育ったことが私の中に「起業」への憧れを根付かせていたのかもしれません。
そうした思いから大学は兵庫県立大学の経営学部・事業創造学科というまさにその名の通りの学科を選びました。ただ、気持ちとしては大学に行くことすらもどかしく「早く自立したい、待ってられない」と、いつも生き急いでいたように思います。
――大学時代には動画をつくったりホームページを制作されていたとのことですが…
ITベンチャーへの憧れもあってテクノロジーのトレンドには敏感でした。インターネットの接続環境が飛躍的に向上する中で、これからは動画が中心の時代がくる、と確信したんです。自分の内なるエネルギーや世界観を何とか形にしたい。自己表現への渇望を原動力に、動画制作にのめり込んでいきました。
テーマは一貫して「その人の中にある“愛”をかたちにする」でした。その人が本来持っている魅力や良さをクリエイティブを通して引き出し、あますところなく伝える。最初はサークルの先輩の卒業記念ムービーから始まったのですが、それが想像以上に喜んでもらえたことで夢中になりました。マーケティングというよりはブランディングに近いかもしれません。当時は動画撮影から編集までできる学生はそれほど多くいなかったんですね。次第に経営者の方々からお声がけいただくようになり、気づけば企業案件として収入を得られるまでに。活動の幅が広がっていくのを実感しました。
家業の改革〜挫折の先に見出した「組織の生命線」
――大学卒業後、ご実家の動物病院に戻られるまでには、どのような経緯があったのでしょうか。
動画制作が上手くいっていたこともあり、就活はせずにフリーの映像クリエイターとして独立しました。しかし現実は厳しく、まったくスケールする気がしません。映像制作だけでは食べていくことができず、生活のためにまったく関係のない営業職で日銭を稼ぐ毎日を送っていました。
「このままではラチがあかない」という焦りと挫折感の中でたまたま帰省した際に、実家の動物病院がIT化で困っているという話を耳にします。これが大きな転機になりました。そのまま家業を手伝うことにして、DX化や自動化の活用による業務効率化、マーケティングやブランディング、人事など、病院の基盤強化に取り組むことになります。特に採用は組織の生命線だと考え、仕組みを根本から見直しました。
当時の動物病院業界は「獣医師個人の診療所」というイメージが強く、企業としてのブランド戦略を持つ病院はほぼありません。私は動物病院も企業になるべきだと考え、院内の構造改革と地域への情報発信を両輪で進めました。この経験は現在のHACHIが目指す「業界の未来ビジョン」にも活きています。
――具体的にはどのような改革から着手されたのでしょう?
最初は父から「iPadを導入したいが、よく分からない」と相談されたのがきっかけで、DXコンサルのような形で手伝い始めました。当時、実家の動物病院は4つの分院を持ち、社員は60名超という規模にまで成長していましたが、情報共有の中心はいまだにFAXや手書きの連絡ノート。その中身は家業の域を出ていませんでした。
そこでiPadを2~30台導入し一人ですべて設定して管理職に配布、Google Workspaceを導入して情報共有基盤を整えたり、看護師が毎日2〜3時間かけて手作業で行っていた血液検査の異常値チェックを検査会社に依頼してExcelで自動化したりと、一つひとつ業務改善を進めていきました。検査会社に「Excelでデータを送ってほしい」と頼んだら「そんなことはやったことがない」と驚かれたのが、当時の業界の状況を象徴していますね。
しかしこの“病院改革”も順風満帆だったわけではありません。大きな壁にぶつかりました。どんなに業務を効率化しても、人が辞めていくのです。すでに西日本で最大規模の動物病院グループでしたが、人気であるがゆえの激務によって、退職が次の退職を招くという負のスパイラルを生んでいました。この状況を打開するための、経営に最もインパクトを与えるセンターピンは何か。25歳の私が考えに考え抜いた末の結論は「人」そしてそのための「採用」である、でした。
――なぜ「採用」が最も重要だとお考えになったのですか?
人の問題を改善するためにさまざまな教育研修も試みました。しかし人は教育では簡単には変わらない、という現実と直面してしまいます。特に「売り上げが伸びていて、忙しい組織」で「お客さんは来て当たり前」であり、新しいツールの導入やオペレーションの変更などの新たなチャレンジに対して、「また仕事が増えるのか」と現場から否定的な意見が出ることも少なくありません。全員が年上という獣医師たちの中で、若く実績もない自分が正論を言っても、なかなか受け入れてもらえない。そのもどかしさの中で組織が本当に変わるためには人と文化の新陳代謝が不可欠だと気づきました。停滞を打破し、未来へ向かうエネルギーを生み出すには新しい血を入れ続けるしかない。採用こそが最強の社員教育であり、組織を活性化させる最も重要な手段だと覚悟を決めたのです。
そこで有名な東京の人事コンサルタントに依頼し、採用のノウハウを徹底的に学びました。そして「質よりまず量だ」というアドバイスのもと、業界では前代未聞だった大手求人サイトへの求人掲載に踏み切ったのです。
例えば動物看護師は、専門学校から採用するのが常識でしたが、大学で専門的な知識を学びながらも獣医師にはなれなかった「動物医療に携わりたい」という熱意ある潜在層が必ずいるはず。結果は、私たちの想像をはるかに超えるものでした。求人サイト内でも上位に入る「動物」というキーワード検索に対して受け皿となる求人がなかったため、私たちの病院に全国から1200人もの応募が殺到したのです。
最終的に、大卒で理系出身者も多い非常に優秀な10名を採用でき、彼ら、彼女らの活躍で病院全体のサービスレベルは格段に向上しました。この経験を通して優秀な人材を採用し、組織を根本から変革していくことのダイナミズムと重要性を身をもって学んだのです。
製薬会社で掴んだ「新たな視点」と最初の起業
――家業の経営を軌道に乗せた後、今度は大手外資系の製薬会社に転職されています。これはどのような意図があったのでしょうか。
20代のうちに一度、外の世界を見てみたいという武者修行のような気持ちでした。家業という環境から出て、全く異なるカルチャーの中で自分の力を試したかったのです。
▲製薬会社 社員時代
27歳の時に、大手外資系製薬会社で、営業担当として全国の動物病院の現場を回りました。その中で多くの先生方が抱える経営課題や、日々の診療における悩みを直接伺うことができました。実家の病院を中から見てきた経験と、多くの病院を外から客観的に見る経験。その両方を得たことで業界全体を俯瞰する視点が養われました。そして「獣医師ではない自分だからこそ、できることがある」という確信が芽生え始めました。
その確信を決定的なものにしたのが、あるデジタルツールとの出会いでした。それが『VetPeer(ベットピア)』という医療従事者向けの情報提供プラットフォームです。このサービスでは新薬に関するセミナー動画などを配信し、それを視聴した獣医師のリストが私たち営業担当者に提供される仕組みになっていました。人医療では「M3(エムスリー)」と呼ばれているサービスの獣医版ですね。
――営業の手法を根本から変えるツールですね。
まさに衝撃でした。それまでの営業活動は、とにかく足で稼ぐのが当たり前。一日5~6件、毎日100-150km運転して、担当エリアの病院を手当たり次第に訪問するという非効率なものでした。それがこのリスト一つで「製品に興味を持っている先生」に的を絞ってアプローチできるようになったのです。目の前の霧が晴れるような感覚でした。これからは動画とデジタルの時代だ、今までの常識はもう通用しない……時代が大きく変わる瞬間を肌で感じ、私は次のキャリア、つまり自分で事業を興すことを決意したんです。
――満を持してご自身の会社を起業されるわけですね。
当時アメリカで注目されていたマーケティングオートメーションやAI技術を日本市場に応用し、動画やWeb、SNSを活用したブランディング・集客の仕組みを構築。特にECの事業支援ビジネスで急成長しました。
――1社目の成功体験を通して学んだことはなんでしょうか?
EC事業を手がける中で、価値あるものを世の中へ広げるには”マーケティング”が不可欠だと強く実感しました。同時に、シビアな経営者や投資家が年間数億円もの投資をする時にどのような観点を見ているかも学びました。
いくら良いものでも売れて広がらなければ多くの人を幸せにはできません。しかし、より広く売って行くためには投資資金が必要であり、その意思決定には戦略と事業計画が必要不可欠です。決裁者である経営者にリスクを取らせるには、リスク以上のリターンがあることを論理的に説明できなければなりません。つまりただ単に動画を作るとか、ブランディングをする、広告するのではなく、事業を一緒に作っていく。私の考えるマーケティング戦略とは事業戦略そのものでした。
そのため専門家を採用して会社規模を急拡大し、累計10億円以上の予算で広告、動画、Web、SNSなどあらゆる手法を試しながらノウハウを蓄積していきました。特に健康食品の分野では大手企業との激しい競争を経験し「本物だけが生き残る」という真実を目の当たりにしました。
――EC支援事業では大きな成功を収められましたが、その中で新たな課題意識が生まれたそうですね。
私たちはEC支援事業である程度の成功を収めてきました。しかし、その過程で強く感じたのは「広告代理店というモデルが抱える限界」です。いくら優れた広告運用やCRMを駆使しても、製品そのものに価値がなければお客様は続きません。新規顧客を獲得して見かけ上の売上を作れても、継続率が伴わなければ事業は赤字を垂れ流すだけ。広告を止めた瞬間に売上がゼロになる、その恐怖を何度も見てきました。
なぜそうなるのか?
理由は構造にあります。広告代理店の収益源は「広告費」です。だから広告代理店の担当者は、製品価値や顧客体験よりも「新規獲得のためにいかに大きな広告予算を動かすか」に追われてしまう。結果として、巨額の広告費を注ぎ、赤字を積み重ねる構造が生まれます。
さらに、せっかく多額の時間と費用を投じて見つけた勝ちパターンも、すぐに競合に真似される。熾烈な模倣競争の中で疲弊していく。そんな状況ですから、広告代理店の人間は、心のどこかで「この仕事は、誰の幸せのための仕事なんだろう」と思った経験が必ず一度や二度、あるはずです。
私も同じでした。広告代理店としてクライアントに「新規獲得」を提供することはできても、本当に事業を勝たせることはできない。その矛盾に、誠実であろうとするほど苦しさが募っていきました。
だからこそ辿り着いた答えがあります。外部のコンサルタントが言う小手先のマーケティングではなく、社会にとって本当に良い製品を、顧客への解像度が高い自分たちの手で、自分たちにとっての正しい形で世の中に届けること。
不毛な戦いを続ける中で「小手先のマーケティング」で儲けようとするのではなく、本当に社会に良いものを作り、それを長期的に正しい形で世の中に届けることから始めなければダメだ」という思いが日に日に強くなっていったのです。
運命の出会い、すべての経験がHACHIに繋がった日
――そうした課題意識が、HACHIの創業へと繋がっていくのですね。
その通りです。当時一定の成功を収めていたEC支援事業のビジネスモデルは長くは続かないだろうと確信していました。会社が過去最高売上を迎えているまさにその時、私はすでに次の投資先探しをはじめていました。クライアントを勝たせられない心苦しさから一刻も早く抜け出したかったのです。投資家のコミュニティに参加し、来るべき次のチャンスに備えて情報収集を行う中で、その出会いは本当に突然訪れました。
それは15年来のお付き合いがある、尊敬する投資家の方との何気ない雑談でした。彼女が「最近、ある原料の独占販売権を買った」とこっそり教えてくれたのです。それが後にHACHIの運命を決定づけることになる原料素材「フアイア」でした。当時は見たことも聞いたこともない、未知の原料でした。
話を聞けば聞くほどその原料のポテンシャルに引き込まれました。世界で初めてヒト1000人以上の大規模臨床試験(RCT)で、肝臓がん再発予防の科学的根拠を得ており、その研究論文はインパクトファクター31を超える著名な医学誌、「英国消化器病学会誌GUT」に掲載されるなどし、そのエビデンスは圧倒的でした。これまでの健康食品業界で見てきた「機能性表示」のような曖昧な根拠のものとは科学的根拠の信頼性が桁違い。「とてつもない参入障壁と独自性を持つ、医薬品レベルの本物の素材だ」と理解できました。
――ペット分野での展開は、長谷代表ご自身のアイデアだったと。
そうですね。興奮を抑えきれず、私はその場で「その原料、ペット向けに展開できないですかね」と提案しました。実は彼女自身も大変な愛犬家でしたが、ペット領域をビジネスにするという発想は最初はなかったようで、その時は少し笑われてしまいました。ペットは人の10分の1の市場しかありませんから当然かもしれません。しかし私の頭の中では点と点が線になるように、全てのスキルとキャリアがこの原料に繋がっていく未来が見えていました。
それから半年ほど経った頃、彼女から突然連絡があり「この間の話、本当にやりますか?」と言われたんです。そして改めて彼女の戦略と、私の考えを議論しました。
「ペット領域は、可能性が大いにある。そしてそれはあなたにこそ、やる価値がある」。
私のこれまでの経験――獣医師の父の背中を見て育ち、動物病院の経営に深く関わって現場の課題を熟知し、製薬会社での営業経験も有していること。そしてデジタルマーケティングを駆使してECビジネスをゼロから立ち上げ、グロースさせた実績があること。その二つのバックボーンを昔から知る彼女は、私にすべてを託してくださいました。あらためて「本当にやりますか?」と問われた時、私は1秒で、「はい、やらせてください」と答えました。
その瞬間、これまでのキャリアが全て肯定されたような気がしました。獣医師の父への尊敬、起業家への憧れ、家業の改革での苦闘、製薬会社での経験、ECビジネスでの成功と挫折。バラバラに見えたすべての経験が、この「フアイア」という運命の素材と出会い、それを世の中に届けることで、業界の進化に貢献する1歩を踏み出すためにあったのだと確信しました。こうしてHACHIは誕生したのです。
創業後は病院を1件ずつ自分が回ってでも事業を成功させてみせると覚悟を決めていました。しかし開始1カ月で動画マーケティングが大きな反響を呼び、面会依頼が殺到。日々10病院ほどの説明会をオンラインで開催し、わずか1年で1,000病院に導入されました。
この体験によって「価値ある本物」「高度なマーケティング戦略」「現場への高い解像度」の3つが揃えば、普及は一気に加速することを実感しました。私のこれまでのキャリアで培ってきたすべてが、この事業の成功のためにあったのだとあらためて感じています。そして、これから。私たちにはまだまだ超えなければならない壁があります。株式会社HACHIの挑戦はまだ始まったばかりです。
――ありがとうございました。
【Profile】
株式会社HACHI 代表取締役社長 長谷 和俊
大学卒業後、家業の動物病院の経営に携わる。その後、外資系製薬会社にて動物病院営業を経験し、2016年に動画マーケティング事業を創業。動画を軸としたプロモーション企画、広告運用を得意とし、ヘルスケア領域のブランド開発・デジタルプロモーション事業を中心に成長。株式会社HACHIを創業し、代表取締役就任。2021年10月に日本発アニマルヘルスケアブランド「HACHI」を立ち上げ、「アニミューン®︎(動物病院専売プロダクト) 」を上市。2年で2000社の病院と直契約に成功。事業戦略と業界革新性が評価され、と2022年に日本中小企業大賞 優秀賞を受賞。