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【代表インタビュー】異質な経歴をお持ちの弊社代表に質問してみました!

今回は、代表取締役CEOの村瀬さんにインタビューをさせて頂きました!

創業前〜現在に至るまでのストーリーや、その時々での思いや出来事について語って頂きました。

転職やキャリア選択に悩んでいる方に、読んで頂けましたら幸いです。

これまでのキャリアについて

ーまずは、村瀬社長のことについて教えてください。

私は、富山県黒部市という地方で生まれ育ちました。小中学校の社会で「散居村」というのを習った覚えのある方もいると思いますけど、そういう所、いわゆる田舎です。

小学生の頃から、これからは コンピューターの時代が来る! 特にソフトウェアというものが高い可能性を持っている!と考えて大学は、情報系の学部に入りソフトウェアについて学ぶなどしていました。

モノづくりが好きだったという事もあると思います。大学の頃から本気で勉強し、就職するころには応用処理技術者試験(当時は第一種情報処理技術者試験)にも合格していました。

就職したら、自分のやりたい「ソフトウェアの仕事」をすると意気込んでいました。

ー大学卒業後は、どんな会社に就職されたんですか?

東京の富士ゼロックス情報システムという会社(コピー機を作る会社の情報システム系子会社)に就職しました。

就職活動を始めた頃は地元の富山で就職したいと考えていました。しかし、当時は就職不況だった事もあり「1 社でも就職が決まったらそこに行け」と大学の就職課からも言われていたので、先に内定を頂いた東京の会社に就職する事にしました。

就職先が東京になったのは、そういう時代なのでしょうがないという思いが有ったのですが「やっと自分のやりたいソフトウェアの仕事ができる!」と思っていた矢先、配属されたのは、ファームウェア(機械の中で動いているソフトウェア)を作る部署で、すごくショックだったのを今でも覚えています。

それでも、これもソフトウェアの一形態だと頑張って仕事をしていました。この会社での一番経験になったのは、グループ企業初のUSB機器のファームウェア部分と Windows NT5.0用(開発当時の名称、後の Windows 2000)のデバイスドライバーです。

悪い事に NT5.0 は Microsoft のリリースが 2 年近く遅れ、Windows NT4.0 でリリースしようという話になったのですが、NT4.0 は USB をサポートしていない OS だったためかなり苦労しました。25年間この業界に居ますが、未だに最高難易度のソフトウェアだったと思っています。

そうこうしていたら(どうやって自分を見つけたのか分からないのですが)外資系の会社にヘッドハンティングして頂きました。

ー2社目は、どんな会社でしたか?

2社目はメイトリックスワン株式会社という外資系会社の日本進出のための子会社で 4, 5 人の会社でした。
正直、人数が少なくて大変でしたが、自分のやりたい事をやらせてもらえる環境だったので自分に合っていると感じました。

何より大変だったのがアメリカ研修でした。

入社する際に、アメリカに出張するのは問題ないかと聞かれたので、1, 2 年英語を勉強してある程度話せるようになったら行かせて欲しいと話していたのですが、入社して2日目にアメリカで研修してこい!と言われ、騙されたと思いましたね。(笑)

当時は、ろくに英語も話せないのに、レンタカーを借りて、通常 2 時間ほど掛かるらしいのですが、4 時間ぐらい掛かってなんとか辿り着いたのを覚えています。

その後も、年に数回、日本語関連のバグを修正するためにアメリカへ行っていたのですが、入社から 2 年目に新バージョンのソフトウェアが発表になったのですが、非常にバグの多いソフトウェアだったため、アメリカへ行って問題の改修を行う事になり、1 年弱程アメリカ本社の社員として(転籍)ソフトウェア開発をさせて頂きました。

初めの3ヶ月は英語が聞き取れす大変でしたが、テレビをとにかく流し続けるなどして必死で覚えました。仕事もやりがいのあるもので、当時としては最新のテクノロジーで、今で言う jQuery と同じような機能を JavaScript で作成するという事をしていました。当時は各社で jQuery に相当するライブラリを作っていたんですよね。

半年という約束でバグ修正するという約束で行ったのですが(居たければずっと居ても良いというふうにも言われてはいたのですが)、10か月を過ぎたぐらいから帰りたくなってきて、その理由がアメリカの食事でした。アメリカのご飯が美味しくなくて日本に帰ってきたと言っても過言ではありません。

ーその後の、どのような仕事をされたんですか?

その後は Cirtix という外資系の会社、Royalblue Financial(後の Fidessa)という証券トレーディングシステムの会社、コンサルティング会社と転職しながらスキルアップするようにしてきました。

Matrix One は、製造業で利用される PDM と呼ばれるソフトウェアでは当時日本シェア №.1 でしたし、Citrix はシンクライアントで IT 業界の人には有名ですし、Royalblue(Fidessa)もトレーディングシステムではシェア №.1 でした。

それぞれがニッチなソフトなので一般的な知名度は低いのですが、シェアを取るだけの事はあって、それぞれ特徴があって、Matrix One は 24 時間稼働で世界中の拠点間でデータを交換する仕組みがありましたし、Fidessa のソフトはトレーディングソフトですから、それなりに複雑なの超・超高速で動くという特徴があって勉強になりました。

天才的な人がアーキテクト(構造)を考えたんだろうと思わされる仕組みが入っています。その知識を利用して、世界に通用するソフトウェアを作りたいと考えています。

外資系の企業で働く事が多かったわけですが、外国人マネージャーのマネジメント方法には感心させられました。

アメリカでは、市場で起こっている問題の一切の責任はマネージャーが背負うという考え方で、一切の情報がエンジニアには降りてこないんです。日本では、良くも悪くも情報は全体共有され、全員で解決するという形態になっている事がありますが、その場合に誰が責任者なのか曖昧になる(あえて、している?)という風潮があると感じています。

自分の仕事・ポジションに責任を持つ事は、仕事をしていく上で必要な考え方だと感じています。弊社はまだ仕組みが固まっていませんが、将来的には、そういった外資で良かった考え方を取り入れたいですね。

キャリア選択についての考え方について

ーどのような事を基準にキャリア選択を考えていましたか?

自分のやってみたい事」と、それが「未来のある市場なのか」を考え選択してきました。

私は、特に『新聞』での情報取得を大事にしています。大学生時代は、図書室にある新聞 4 誌を読んでいましたが、政治、経済、外交、歴史などあらゆる分野の事が記事になっているのが良いところだと思っています。

当時はまだ Web が発達していなかったという事もあったのだと思います。入学したころの Web ブラウザーといと NCSA Mosaic しかなかったですから。

そう考えると、今はブログや SNS など Web の情報が揃って来ていると思いますので、そちらからの情報収集もありだと思います。早いですし、より深く情報を取得することができるので良いと思います。自分の好みの記事のみを読んでしまうという点が心配ではありますが。

しかし、どちらにせよ「世の中を知る」という事は重要です。世の中を知ることで、次に自分がどこに身を置けば成長できるのかが見えてきます。

ー成長する人の共通点はありますか?

色んな会社や国で、色々な人を見て来ましたが、成長する人の共通点として挙げるとすれば 「先を見越して動ける人」だと思います。

先程の「情報収集」の話にも通じますが、情報取得できる場所は、なにも新聞やWeb上だけではありません。例えば、会社で上司と仕事の話をしている時に、雑談の中に次に使う技術内容であったり、遠い将来の方針について聞いた事がないでしょうか?

成長する人は、そんなたわいもない会話から次に必要とされている技術や情報を予想し、事前に勉強や準備を行なっているように思います。日々の情報収集や準備は数分かもしれませんが、知らず知らずの内に少しずつ知識の差がついて、1 年後には追いつけない程の差になっています。

是非、普段の会話から意識しておくと良いかもしれません。

弊社でも、高卒未経験からPMになった社員がいます。向いている人は未経験からでもやっていけると思いますし、エンジニアとして頑張りたい方は大歓迎です。

あとは、エンジニアらしいというか、論理的な思考を身に着けるのも大事だと思います。普段から物事を順序立てて考える「くせ」を付けておくのが良いのではないかと思います。

起業した理由

ーなぜ会社を立ち上げたんですか?

私は、旅行が好きで21歳から23歳の時に日本全国を回りました。

それから、10年・15年と経過し、2回目・3回目の旅行をしたときに、当時の面影が無くなるぐらい寂れている地域がありました。なんとかこれを止められないかな?と30代前半ぐらいから考え始めていました。

そんな中、ふと自分の過去を振り返った時に、東京に行ったのは東京の会社が先に内定が出たからという理由だけでした。

それがなければ今も富山にいたと思います。

そこで、地方で開発する会社があれば、地元で働きたい若者の働き口にもなり、地域貢献にも繋がると考え会社を設立しました

今、東京に活力があるのは、地方から出てくる若い人が多いからと考えています。

しかし、地方が衰退していくことで都市部に若い人を送り出す力も減り、結果的に都市部が衰退し、日本全体で高齢化が進んでいく時代になるのではないかと予想しています。

だからこそ、地方で働く場所を作る事が大事だと考えています。

今後について

ー最後に、今後の目標について教えてください。

今年(2023年)の 4月~5月に静岡県伊東市に一つ目のオフィスを作ろうと考えています。

伊東は 1990 年代の輝きが失われていっています。しかし、温泉があり、ゴルフも有名。海もある。峠もあるからドライブもできる。とてもポテンシャルの高い街だと思っています。

これから少しずつ、地方に開発拠点を作っていく予定です。

それが、結果的に地方創生に繋がったら嬉しいです。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
少しでも興味を持って頂けた方、想いに共感して頂けた方、まずはお話させて頂けますと幸いです。

ご応募お待ちしております!

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