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「営業は最低な仕事だ」と心をすり減らした新卒時代のおかげで社長になりました。

写真は私の新卒時代。内定式の後に撮った写真です。

あれだけ憎んでいた営業という仕事。相手のための営業を突き詰めたら全国二位にまでなり表彰されるまでになりました。かつて私はある東証一部上場企業の営業職で大きな挫折をし、社会を憎みました。この話は挫折を乗り切り、社会を許せるようになるまでの私のストーリーです。

いま悩んでいるあなたと私が働きたいのはこういう原体験があるからなのです。

私達株式会社TOEの経営理念は「科学的な手法を用い、失われた自信を取り戻し、挑戦を忘れない人材を輩出する」です。私は、「挑戦」を「自分らしさの発揮」と定義づけています。自分らしくいききる手助けをしたいとおもって事業展開をしています。仕事には、「社会が求めるもの」という枠があるので、「自分がしたいこと」をやったらほぼほぼ失敗しますよね。ほんとは「したいこと」じゃなくて「できること」をやっていたほうが賢いんですよね。でもやっぱ自分らしくありたい。だからその枠の中でどれだけ「自分らしさ」を発揮するのかが挑戦だって思っています。

挑戦。

世の中にはたくさん、自信を失って挑戦することを忘れてしまっている人がいます。私がかつてそうでした。

代表の平林はかつて、仕事上の良心の呵責で、心身のバランスを崩してしまったことがあります。中学受験、大学受験をへて自分のなかでは納得できる学歴も手に入れ、人生の春を送っていました。小さなつまづきはあるものの、乗り越えられない程ではなかったのです。

しかし、就職した会社が潰れ、その次に働いた会社で大きな挫折を味わいます。いい人こそ騙せるというような考え方に馴染むことができなかったのです。「利益を取りたければ、アホと人がいいやつを狙え」…飲み会で先輩にそう言われて、営業という仕事は最低だなと思いました。

そんな気持ちで働いていますが、それとは裏腹に、新人の中で営業成績の上位になってしまうのです。でも、お客さんが言ってくれるんですよ。「あなたに出逢えてよかったです!」って。笑顔で「ありがとうございます!」って言うんですけど、そのたびに心が痛くて、夜、布団の中で泣いていました。「全然良くないです、違うんです、その金額は適正な金額じゃないんです。」

「気が付かれなかったら騙したもん勝ちかよ、なにしてもいいのかよ、本当に社会ってのは腐ってるな」そう思って仕事していました。公務員になればこんな人を騙すようなことしなくてもいいんじゃないかと悩みました。開店前の掃除の時、「いつやめようかな。つぎは営業じゃないほうがいいな。」と考えながら、トイレを磨いていました。トイレを磨き続けていたかった。そして、気がつくと出社できなくなりました。夢でも営業をし、飛び起き、泣けてくるということがありました。

そこですっかり牙を抜かれて、挑戦することを諦めてしまいました。その当時お付き合いしていた恋人のすすめで病院にいくと、即日で休職、一ヶ月後に退職となりました。退職後、転職活動をするのですが、新卒半年でやめたやつなんてどこも採ってくれません。まったく、再就職先が決まりません。この時、中学校から始まった学歴勝者という出世のレールから自分が降りたことを身を持って理解し、絶望しました。話には聞いていたけど、これがそうか、と。

そして私は、世の中を恨み、病院に連れて行ってくれた恋人、家族に向かって「お前らが病院に連れて行ったからこうなったんだ」という最低な一言を言ってしまったのです。ものすごい自己嫌悪に陥りました。一回言ってみてください。私の気持ちがよく分かると思います。

しかし、そんな私にも転機が訪れます。腰掛けのつもりでやっていた塾の講師で、ある生徒から相談を受けたんです。その時、私がふと漏らした一言、ほんとうに何気ない一言に生徒が泣きながら「先生、その言葉を待っていました」と言ってくれました。私はその時まで、「あのときのせいで」と自分の過去を責めていました。しかし、その瞬間、「あのときのおかげで」と自分の過去を許せたのです。自分がふと漏らした一言は私のつらい経験から出た言葉だったのです。

「つらい経験というのはそれだけで、誰かにとっての大切な人になる権利になるんだな。」その経験をしたことがある人にしか語れない言葉があるということに気が付きました。未来も現在も変えられるが、過去は変えられない、というのは嘘だと思いました。意思の力で過去さえも変えられる。解釈の力で変えることができる。

そこからは年中無休で仕事をしてきました。年末年始、お盆もすべて返上して仕事をしてきました。教科知識だけでなく、受験知識もどんどん勉強し、周りからも一目置かれるようになります。同業者の方からも質問がきたり、人前で話すような機会も増えていきました。セミナーにも講師として招かれるようになりました。

教育コラムの執筆もしました。学校で講師もしました。大学で授業もしました。公的団体の理事にもご推薦いただきました。そして、入塾面談の成約率は常に9割ほど。そして、満を持して独立をしました。あれだけ苦手だった営業で、全国2位になり表彰もされました。本当に役に立つことを提案するという営業もあるのです。騙すのが営業じゃない、その生き方を証明したかった。お客様にぶつかり叱りつけることもありますし、入塾をお断りすることもあります。それでも嘘はつかない、誠実である、ということだけは大事にしてきました。「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない」って思っていたので嬉しかったです。

私はある勉強会で経営というものを学ばせていただき、そこで科学的な手法というものを手に入れました。自分との約束を守り、結果を出したら自信が戻ってきました。すると、挑戦したいという押し殺していた想いがまた湧き上がってきたのです。

弊社の経営理念である「科学的な手法を用い、失われた自信を取り戻し、挑戦を忘れない人材を輩出する」は実は私のストーリーそのものなんです。

そして私は今、武田塾を6校舎運営しています。代表取締役として3校舎、取締役として3校舎の合計6校舎です。こんな若輩者にも関わらずいろいろな方からもお声がかかるようになりました。今の私を見てください。自信に満ち溢れているように見えますよね。あんなに泣き虫だった私がいたなんてこと、信じられないと思います。でも本当なんです。

教育産業は全人格で勝負できる仕事です。あなたを待っている人がいます。あなたの言葉をまっている人がいます。あなたのその挫折や失敗でしか響かない言葉が必ずある。その言葉で、誰かの自信を取り戻してあげてほしいのです。そして、その人がまた自分の足で立ち、前を見据えて、自分らしさに挑戦する姿を最後まで見届けていきませんか。

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