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まずは社長が話します。アジアンブリッジがあなたを求める理由

新卒で就職した大好きな会社を辞めた理由、それは『自分の未来が見えてしまう』ことでした。だから、想像ができないくらいのチャレンジできる環境とワクワクを提供できる会社でありたい。

「日本の商品でアジアの人々に感動と喜びを沢山うみだせる会社になりたい。」と思っています。

アジアンブリッジとはどんな会社?とご理解いただくためにも、まずは私の話を聞いてくださると嬉しいです。

私の就活について 

私の母は一代で日本料理店を軌道に乗せた経営者でした。でもその道のりは決して楽なものではなかったと思っています。母が経営者として苦しむ姿を幼い頃から見てきた事もあり、私もいつか経営者になって母を支えるんだと幼い頃から漠然と思っていました。

そういった背景もあり起業を視野に入れた、就職活動を行っていました。選定ポイントは仕事を学びながら人脈ができる企業です。

最終的にリクルート(当時の社名はリクルートエージェント)を選んだ理由は年齢性別の関係なく実力次第で仕事を任せてもらえそう。仕事を通じて中小企業の経営者と接することで経営者の考えなどが学べそうという理由からでした。

「3年この会社にいたら起業しますが、それでもかまいませんか?」という私の問いに対して「全然構わないですよ。一生会社に骨を埋めたい人はこの会社にいないから!」と言われた事も大きな理由です。

順調な会社員時代なのに生まれたモヤモヤ感

上司や同僚など働く仲間たちにも恵まれ、また面白い仕事を次から次へと与えてもらい、本当に楽しくやりがいがある会社員時代でした。3年したら絶対やめると周りに言っていましたが、気が付いたら6年たっていました。

自分はこのままこの会社にいて結婚し、子供を産んで仕事と家庭を両立するのもアリだなと漠然と考えるようにもなりました。それほどリクルートの働く環境は自分にとってはとてもマッチしていて居心地が良かったのでしょう。

ただ、「本当にこのままでいいのか?」という自分に対しての問いにモヤモヤしていたのも確かです。

すでに6年も会社に勤めていて仕事や環境にも慣れ、同僚も素晴らしくかった。でもこの会社にいたら「先々はこういうキャリアになっていくだろうな」ということを想像できてしまったのです。そして、会社員である自分にワクワクを感じなくなってしったのでした。

その頃、自問自答を繰り返して得た答えは、「いま自分で想像できる未来よりもチャレンジし、想像できない未来を創りたい」という想いです。

何をやるか定まってなかった時、元同僚から、「あなたは絶対に日本と台湾の架け橋をしたほうがいい。台湾にルーツがあるというのはあなたにしか無いオリジナリティーなのだから」とアドバイスをもらい日本とアジアの架け橋をやろうとスタートをしたのがアジアンブリッジのはじまりでした。

会社を創ったけど苦労の連続

当初、「何とかかなるだろう」と楽観的に考えていたため、創業してまもなくは本当に辛く大変な期間が続きました。

何であんなに恵まれた環境の会社を辞めてしまったのだろうと思った時期もありました。自分を必要としてくれる会社の仕事は何でもやろうと、どんな仕事も請け負いました。最初は日本企業の台湾進出コンサルティングを沢山こなしました。

その甲斐もあって仕事を任せたいというお客様も増え、事業が軌道に乗りはじめた一方で、台湾進出のコンサルティングビジネスは自分の持っている時間以上に価値を出せないなと思う自分もどこかにいました。

転機はある1社から始まった

ちょうどその頃、ある1社の通販化粧品企業様から依頼を受けました。「台湾の消費者に自分たちの商品を売りたい、日本では通販という手法をやっているから台湾でも同じようにやりたい」という要望でした。

当時、私は海外流通の構造に大きな課題感を感じていました。

これまでメーカーは中間業者を経由して以外は直接消費者にメッセージをお届けすることができませんでした。でも通販は違います。問い合わせの声も直接メーカーサイドに入ってきますし、同時にクレームも直接聞こえてきます。そうすることで、商品の改善やサービス改善につながりより海外にフィットした商品を提供することできるようになります。

価格面も中間業者が入らないことによってメーカー様が商品売り上げを得ることができ、その分をさらなる次のPR施策などに費用を当てられます。

ここからアジアンブリッジはコンサルティング事業から通販分野における越境ECビジネスの支援へと舵を切りました。今から7年ほど前。創業からすでに5年もの月日が流れていました。

アジアンブリッジの強み

越境ECの事業をゼロから学び、ワンストップサービスの機能をひとつひとつ作ってきました。貿易、受発注、顧客対応、法規制対応、マーケティング、その他のチャネルへの展開、全てまずはやってみてそれをマニュアルにしていきました。

特に法規制対応、貿易に関しては先行する日系企業が無かったため質問できる人や資料もなく大変でした。

ただ、そのような状況の中でも当社のことを頼ってくださる企業様は増え、投資も集まり幹部メンバーも少しずつ増えてきました。

全員が「日本とアジアの架け橋になる」という想いに共感し、ただひたすらお客様の越境ECの成功を目指して事業を進めた数年でした。ワンストップで支援している企業様の数はNo1となり、台湾以外のタイにも子会社を開設しました。おかげ様でこのコロナ下でも成長を続けることができ正社員の数はもうすぐ100名に到達しようとしているところです。

今思うと当時30歳の時がまさに自分の転換期だったとおもいます。

あの時自分の心に素直になりワクワクする方向へと思い切って決断をしたからこそ今があります。

今のアジアンブリッジは大きな海原にでている一艘の船。まだ小さく立派な船ではないけれど、その船に乗っている仲間はとても素晴らしく波風があっても皆心はひとつです。

私たちが手掛ける越境EC事業の市場規模は大きく、まだまだ成長します。そして目だった成功企業も、競争相手も存在していません。まさにブルーオーシャンマーケットであるといえます。

ブルーオーシャンの理由は、この事業をやってすぐわかりました。乗り越えないといけない課題が多すぎるからです。でもアジアンブリッジはそんな課題をひとつひとつ丁寧に整えていき、路をつくって、どんな中小企業も簡単に世界の方に商品をお届けできるようなそういう世の中を作ってきたいと思っています。

私たちの旅はまだ始まったばかりです。

私たちはこの船に一緒に乗ってくれる仲間を探しています。きっと後悔はさせません。

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