幼い頃から20歳までは、全力でサッカーに打ち込んできました。
高校の途中までJリーグの下部組織でプレーし、
高校2年の時にはブラジルにサッカー留学、
その後は欧州3カ国でサッカー選手として活動しました。
20歳で選手生活にピリオドを打ち、ビジネスの世界にキャリアチェンジしました。
外資系企業で働いた後、起業も経験しましたが、
現在はニフジに1人目のBiz Dev担当者として働いています。
正直、風変わりなキャリアだと思います。
ただ、振り返ってみると、
いつも私は「もっと広い世界で、自分の力を試したい」という
衝動に従って生きてきました。
そして、どの局面でも変わらなかったのは、
「自分の人生のオーナーは自分である」という感覚です。
多様性に寛容で、異質なバックグラウンドを受け入れながら
成長を続けるニフジだからこそ、私自身の話をしてみたいと思いました。
「トップになるなら、海外に行くしかない」
幼少期から、サッカー選手になることではなく、
トップ選手になることを目指してきました。
高校の途中までは日本のJリーグの下部組織でプレーをしていましたが、
高校在学中にブラジルへのサッカー留学を経験しました。
短い期間ではありましたが、衝撃は十分でした。
同じサッカーでも、スピードも、スキルも、考え方も、すべてが違いました。
日本で通用するかどうかではなく、世界で通用するかどうか。
その基準で自分を見たいと思うようになったのです。
高校を通信制に切り替え、
ドイツでトライアウトを受けるために渡欧しました。
この決断を支えてくれた両親には心から感謝をしています。
いかなる時も、常識に縛られることなく、
「お前ならできる」と背中を押してくれました。
「普通ならこうする」ではなく、「自分はどうしたいか」で決める。
この感覚を持てたのは、幼い頃から親が私を
一人の人間として信じてくれていたからだと思います。
挫折と、もう一つの人生
転機は、20歳のときに訪れます。
試合中に、足首が、
聞いたことのない音を立てた刹那、猛烈な激痛を伴って、壊れるのを感じました。
サッカー選手にとって、脚の怪我は職業病ですが、
私の場合は、選手を続けられないレベルの重症でした。
20年間、サッカーでトップ選手になるために生きてきた私にとって、
サッカー選手の引退は、「生き方」を揺さぶる出来事でした。
日本に帰国後も、リハビリに励みましたが、
同じパフォーマンスを取り戻すことは困難であると悟りました。
人生で初めてサッカー以外のことをした日々は、魂の抜けた生活だったように思います。
しかし、サッカーを失ったことで、初めて見えたものもありました。
自分の価値は、ひとつの肩書きだけで決まるわけではない。
そう腹を括れたことが、次のキャリアの出発点になりました。
そして、その時に支えになったのが、後に妻となる女性の存在でした。
妻には本当に感謝しています。
グローバルで戦うという軸
海外で長い時間を過ごしたことから、
「グローバルに活躍したい」という思いは強く持っていました。
当初はアメリカの大学に進学することを考え、実際に入試にも合格しました。
ですが、現地での生活費や学費を賄うために、
Appleで働いた経験が、次の人生の転機になりました。
Appleではトラブル解決を担うテクニカルサポートの担当者として、
多様なケースに対応する日々を過ごしました。
Appleでの仕事は、非常に刺激的で、エキサイティングな仲間に囲まれて
非常に充実していました。
次第に、アメリカの大学に進学しなくても、
Appleで働くことで、十分に自分の人生を豊かにできると感じるようになり、
進学ではなく、就業を選択しました。
Appleでは、働く喜び、仕事を通じて自己実現する感動を教えてもらいました。
事業をつくりたいという衝動
Appleで働いていてしばらく経った頃、
「自分で事業をつくること」に興味が沸いてきました。
父の関わっていたリサイクル業界に触れ、
その課題を解決するサービスを自分で立ち上げることを決意します。
プログラミングやデザインなどのスキルはありませんでしたが、
Webサイトとアプリの開発に挑戦しました。
チームを組んで3年間に渡り働き続けましたが、
結果として事業はうまくいきませんでした。
成果を出せなかったことは悔しく思いますし、責任も感じましたが、
全責任を背負って、プロダクト開発に全力を注ぐという経験は、何物にも代えがたい経験でした。
その後、日系ベンチャーのキャッシュレスサービスの会社でPdMを担いました。
サービスを設計し、ユーザー体験を考え、改善していくという
一連のプロセスは非常に面白く、
「自分はつくる側にいるときに最も力を発揮できる」と実感しました。
ただ、扱う市場は日本国内が中心だったので、
「もっとグローバルで勝負したい」という思いが次第に強くなっていきました。
ニフジとの出会い
日本の中だけで完結する事業ではなく、
世界とつながり、世界に対して価値を出していける仕事がしたい。
そしてできるなら、そのど真ん中で、自分の手で何かを立ち上げたい。
転職活動の頃には、その願いはかなり明確な言葉になっていましたが、
転職活動では、いくつかの企業で迷っていました。
特に、ベンチャーでグローバルに仕事をするのは難しい、
一方で大手では"One of them"として埋もれてしまうイメージがある。
その間で、迷いを感じていました。
そんな時に出会ったのがニフジです。
決め手になったのは、
「自分がどこまで裁量を持って動けるか」という点でした。
ニフジの面接で約束されたことは、
提案すれば、良いものであれば任せてもらえる。
自分の意思で、事業や仕組みを動かしていける。
その2点が、自分には圧倒的に魅力的でした。
「誰かがつくったレールの上で成果を出す」のではなく、
「自分で道をつくりながら前に進める」感覚がありました。
自分の人生のオーナーが自分であるように、
仕事でもまた、ただの実行者ではなく、当事者でいたい。
その感覚に最も近かったのが、ニフジだったように思います。
また、医薬品という領域において、
「世界にインパクトを与える仕事ができるかもしれない」
そう思えたことが、入社の大きな理由です。
世界にインパクトを与える仕事を
現在は、新規事業の立ち上げにも関わりながら、
社内のオペレーションの仕組み化にも取り組んでいます。
もともと、「自分がこの会社のオーナーだったらどう考えるか」
という視点で物事を捉えることを大切にしてきました。
指示されたことをこなすのではなく、最終的なゴールから逆算して考える。
そのスタンスが、今の仕事にも活きていると感じています。
ニフジでは、「やってみたい」と手を挙げれば、挑戦させてもらえる環境があります。
それは、私にとって非常に大きな価値です。
今後は、AIなども活用しながら、
よりグローバルにインパクトのある事業をつくっていきたいと考えています。
たとえば、輸入を起点にしながら、将来的には輸出も含めて、
日本と世界のあいだに新しい流れを生み出していきたい。
「世界を感じる」だけで終わるのではなく、
こちらから世界に対して価値を出し、流れを変える側に回りたい。
それが、今ニフジで実現したいことです。
ニフジに興味を持って頂いた方々へ
これまでのキャリアを振り返ると、
一貫しているのは「自分で選び、自分で動く」という姿勢です。
言われたことをこなすよりも、
自分で考えて何かを動かしていくほうが、圧倒的に楽しい。
もし同じように、
・グローバルな環境で挑戦したい
・自分の手で事業をつくっていきたい
・裁量を持って働きたい
そう思っている方がいれば、ニフジは非常に面白い環境だと思います。
世界を相手に、まだ形になっていない価値をつくっていきたい。
そう願う人と、一緒に次の景色を見たいと思っています。