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「僕はちゃんと生きなきゃ」医療者としての考え方の根底にあるもの

CI inc.代表の園田の価値観にフォーカスを当て、創業までのストーリーに迫ってみました。
Vol.1は、生い立ちから初期研修医を経て、産婦人科医を選択するまでの道のりを聞きました。


ーー今回は園田さんのキャリアを振り返っていただきたいと思ってます。新潟県糸魚川市ご出身ということですが、どのような幼少期を過ごされましたか?

小学校は超がつくほどの田舎で、全校なんと9人でしたね。その分「全員で時間を共有する」ということが多くて。例えば、授業は1年生と3年生が同じ教室で同じ先生から授業受けていました。上級生の授業を聞けるので、ちょっと先取りもできてましたね。

ーー全校9人ってすごいですね。

そうなんです。体育とか運動会もみんな一緒に行うのですが、同級生が2人しかいないので「かけっこで負けても銀メダル」みたいな(笑)

村自体の人口も少ないのでみんながお互い顔見知りの状態だったので、おばあちゃんが歩いてたら、誰かが車で自宅まで送り届けてあげたりということが日常的に行われていました。この環境で育ったからこそ「全員でコミュニケーションをとる、全員知り合い、身内」という考え方が当たり前になり、今の人格形成に繋がったと思っています。その後、私が小学2年生の時に3つの小学校が合併して、全校生徒が55人に増えました。


ーー小さいことからリーダーになる機会は多かったんですか?

そうですね。小学校、中学校の生徒会長や、組織の代表など、みんなの意見を集約して大きな組織に対して意見を代弁する、みたいなこともよくやっていました。いま振り返るとその組織がどういう方向に進むべきかを考え、必要であれば立場関係なく話をするということをその頃からやっていたんだと思います。

ーー医師になることを意識していたのもその時期から?

そうですね。私が医師になることを決めた背景には、3つの転換期がありました。1つ目は小学校2年生の時で、妹がスキーで膝の半月板を損傷したんですけど、重症だと気づかず、1ヶ月間病院行かなかったんですよ。歩けてはいたけど、当然足引きずってて……。

ーー絶対痛い!

そうなんです。でも田舎だったからか、病院に行く文化があまりなくて。1ヶ月後、病院に行った時に「手術が必要だ」ということが判明して、家族みんなが責任を感じて、落ち込んでしまったんですよね。当然、妹もすごい泣いているんじゃないかと思って病室にいったら、すごく笑顔だったんです。妹の担当医がとにかく面白くて良い方で。その先生のおかげで妹が笑顔でいられたということを知った時に「かっこいいな、医師ってすごいな」と思いました。

ただ、田舎で育ってきた私は「お金持ちか、頭良いかのどっちかしか医師にはなれない」と思っていたんです。漠然と医師に憧れるようになったのが、この時ですね。

2つ目の転換期は、中学校1年生の時で、同じクラスの子が白血病で亡くなる経験をしました。もともと足を引きずって歩いていたり、全校集会では床に座ることができず、椅子に座っていたり、そういう姿を見て「なんでだろう」と思っていました。その子が学校を休むようになって、夏休み前の学年集会で、学年主任から亡くなったことを知らされました。

後日、その子のお母さんからその子の最後の様子を聞きました。最後は無菌室で治療を受けていて、教科書をビニール袋に入れて持ち込んで勉強し「お母さん、僕はもっと勉強がしたかった」と言って息を引き取ったそうです。お母さんからは「みんなはあの子の分も勉強や運動、いろいろなことに挑戦してください。」という言葉と、図書券をいただきました。

それまであまり何も考えずに生きていましたが、初めて「死」というものを真剣に考えさせられました。その子は小学校の時にバスケットボールで全国大会行ってて、勉強もすごくできる子だったんです。そんな子が13歳で亡くなってしまった事実を目の当たりにして「僕はちゃんと生きなきゃな」と思いました。その時は特別何か出来るわけでもなかったので「勉強をまず頑張ろう」と思って、勉強を頑張り始めたんです。それが2つ目のエピソードですね。

ーー人生を変える経験ですね。

3つ目は、高校生のときです。実家から離れて上越市の高田高校に通い、下宿生活をしていました。中学の担任の先生から勧められ進学をしたのですが、その学校は進学校で、周りの同級生が医学部を目指していました。あいつが医学部に行こうとしているなら「僕でも医学部行けるのかな」と思ってここで初めて医師を志すことが 現実味をおびるようになりました。

そんな時、祖父が胃ガンになったんです。医師からは「初期だから手術すれば大丈夫」と聞いていたのですが、手術後に家族から「手術がうまくいかなかった。再手術する」と下宿先に電話が掛かってきて。結局、再手術のタイミングを待っている間に祖父は亡くなってしまいました。

私は担当した医師に対して、不信感を持ちました。同時に、もうこんな経験はたくさんだ、身の回りの人が適切な医療にアクセスできるように、ちゃんとした医師に自分自身がなりたい、と強く決意しました。

これらの3つの背景から医師になることを決めて、一浪して佐賀医科大学( 2003年佐賀大学と統合し,現在は佐賀大学医学部)に進学しました。

ーー医大生生活はいかがでしたか?

すごく充実していましたね。医学部って、特に田舎だと上下関係をとことん叩き込まれるんですよ。1年と6年が一緒に飲んだりする機会も多くて、横の繋がりだけじゃなくて縦の繋がりにも触れる機会が多くありました。私は大学の外のコミュニティとあんまり触れることはなかったんですが、学園祭の委員長を経験させてもらいました。

ーーそうなんですね。学園祭の委員でどんなことをしていたんですか?

佐賀大の医学部の学園祭は一体感がすごくて。規模はそこまで大きくない分、仲の良いメンバーと一緒にやることができました。実行委員会の各部署でヘッドという役職があり、私らの代だけでも50人ぐらいのヘッドがいて、みんなでやった!という感じです。

うまくワークしていないヘッドがいた時は、1on1したり(笑)当時は、飲みに行った席でも、個々が何を考えてるのかを引き出して、「どうやったら同じ方向を向けるのか」ということを話し合って、みんなでひとつのプロジェクトを成功させるために議論していました。

学園祭は伝統的な側面と、新しい何かを取り入れるかっていうチャレンジングなところと、来場者にどう楽しんでもらうかっていう、3つのバランスをとって成功まで導いていくことができて、とても良い経験でしたね。大学で私が一番やり切ったことは学園祭と飲み会ですね(笑)


ーーなるほど。医学部の授業の中でなにか取り組んだことはありますか。

イチ学生なのに声をあげて、大学のカリキュラムを変えたことですね。

医師になるためには、例年2月ごろ実施される医師国家試験に合格しなければいけません。でも、その直前に大学の卒業試験があるので、夏から11月くらいまで、今週は循環器、来週は呼吸器、消化器、眼科……、といったようにずっと試験の勉強し続けるんです。

そうなると、卒業試験が忙しくて、最も大切な国家試験の勉強ができないんですよ。国家試験は全国共通なんですけど、卒業試験はその大学独自のもので、かなりマニアックなことを出題されるんです。

私の先輩も10月まで実習があって、実習が終わってからすぐに卒業試験に突入してたんですよね。「いや、国家試験の準備できないじゃん」とずっと違和感を覚えてました。

そこで、それぞれの科を一つずつ検討していって「そもそも実習って適正な期間で実施されているのか?」ということを突き詰めて考えていきました。また、実習期間について先輩方ほぼ全員にアンケートを取ったところ、ほとんどの人から「国家試験の勉強を確保する時間がとれないので、実習期間を短くした方がいい」という結果が出たんです。

すぐにこのアンケート結果と改善案を教授陣にレポートしたら、なんと実習期間が本当に変更されるようになって。次年度から10月ではなく、7月に終わることになりました。

ーー3ヶ月も短縮したんですね。

そうですね、夏休み期間を差し引いてもインパクトはかなりあったと思います。実習期間を変えられたことが、大学生活で唯一後輩や同級生に大きく貢献できたことかなと思っています。

学校のカリキュラムってイチ学生が声をあげたところで変わりようが無いと思うじゃないですか。でも、トライしてみたら意外と変えることができたので、「おかしいと思ったことを見過ごさない」ことと「トライしてみる精神」は今でも財産になっていると思いますね。

ーー卒業後はそのまま医師になったんですね

そうです。医師になって、初期研修は栃木県にある自治医科大学に行きました。自治医科大学を選んだ理由は大きく3つあって、1つ目は大学病院であるということです。大学病院は、アカデミックにしっかり学べて、学術的に深い専門知識をもった先生が多いという良さがあったんですよね。

ただし、大学病院は若手に裁量権がないと言われています。でも自治医科大学は幸いにも、「若手でも自分でどんどんやれる」というカルチャーの病院だったんですね。これが2つ目の理由で、いわば大企業とベンチャーの良いとこどり的な研修先だなと思って選びました。

3つ目はダイバーシティのある病院だったからです。大学病院は卒業生がそのまま初期研修を行うことが多いです。しかし、自治医科大学はちょっと特殊で各県から2人ずつしか入学できない大学なので、卒業したら栃木の2人以外はみんな各々の地域に帰るんです。だから、必然的にいろんな都市から入局することになります。いろんなバックグラウンドを持った人が多そうだなと思ったのが3つ目の理由ですね。

初期研修時代に何かしたということはなくて、真面目に「ちゃんとした医師」になるために研鑽を積んだ期間でした。初期研修が終わって診療科を決めるタイミングで「産婦人科医」になることを決めました。

ーー産婦人科医を志した理由はなんだったんですか?

私は子どもがすっごく好きで、もともと教師になるか医師になるかって迷っていました。教師は、大好きな子どもの人生に影響を与える偉大な職業だと思っていたんです。でも前述した3つの転換期があって、最終的には医師を志すことになりました。「子どもが好き」というベースに加えて「医師として誰を診たいか」という軸でいろいろ考えた結果、産婦人科がいいなと思っていました。

お産って無条件で感動する場面なんですよね。何回経験してもやっぱり素晴らしいものだなと思ってます。でも一方で、お産自体はリスクもあって、今でも日本で毎年40人前後のお母さんが亡くなってますし、生まれたばかりの子どもも命の危険に晒される時もあります。時には、脳性麻痺で一生歩けなくなってしまうなど、子どもの一生に影響を与えてしまうのがお産の場面なんです。だからこそ、自分が関わり、子どもやお母さんの一生に影響しうる場面に携わりたいという想いがあって産婦人科を選びました。

ーー研修期間後は?

順天堂大学病院に進む予定でした。産婦人科として、腹腔鏡手術といって小さい穴をあけて、管を入れてカメラを通して中を見ながら細い鉗子(かんし)で行うという先端的な処置が非常に進んでいたからです。

ただいざ、入局をしようと思った時に、昔から留学をしてみたいと思っていたことと、たまたま手を怪我していたこともあり、このまま入局をしたらまとまった時間をとることもできなくなるかもと考えました。そこで、思い切って留学を決意したんです。

ロサンゼルスに渡ってUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)がやっている語学学校に入学しました。入学したのはよかったんですが、授業2日目の登校時に車にひかれて....(汗)

ーーえ?そうなんですか?
そうなんです。自転車でダウンヒルを走っていたら交差点で車がバッて出てきて。

ーー大丈夫だったんですか...?

左の脛骨が折れました。だから学校に1日しか行けず、即休学して(笑)その合間、学校では「あの日本人の医師はどこだ?」ってなるわけじゃないですか。「あいつ来ないな」みたいな感じで。

私は「ここで帰国したら、なんのためにアメリカまで来たんだ!」って思って、なんとか現地に残ってリハビリをしました。日本だったら1~2ヶ月入院して、抗生剤点滴を行うのですが、アメリカの病院には5日しかいれなくて。入院期間のギャップもありましたが、何より緊急入院した場面は今でも鮮明に覚えています。「手術でネイルを入れる」と言われたので「金属が体に入っていたら一生MRIがとれなくなるのか。どうなんだ!?」と通訳のいない中で、なんとかコミュニケーションをとって。そういった日本との違いや、アメリカの現場の医療を体感できたのですごい良かったですね。

留学中は、ホームステイをさせてもらっていたのですが、骨折したことでホームステイ先にかなり迷惑をかけてしまい...。骨折だけでも気分はめっちゃ落ちてるのに、その上、自分のケアに対する金額の交渉したりして。人生で初めて鬱になりそうでしたね。


ーー大変でしたね...。

今まで鬱になることってなかったんですけど、この時は流石にきましたね。ただ、ロスって毎日晴れてるんでちょっと外出るだけで自然と気分が晴れてくるんですよね。「天気大事だな」と思いました(笑)骨折した直後は、精神的に落ちてしまいましたが、なんとか語学学校に復学しました。

語学学校では、アラブ圏のイスラム教の方がいたり、とてつもないお金持ちのがいたり、本当にいろんな方と触れ合えました。あんまり英語はできるようになりませんでしたが、多様な価値観に触れることができましたね。

ーー帰国後はどのようなことを?

留学が終わってからは、東京大学医学部附属病院に入局しました。

東京大学って敷居が高い印象があったんですけど、実は「外様で成り立つ」というか、東大の医学部を卒業してから東京大学医学部附属病院の産婦人科に入る人ばかりなわけではなくて。だから、東京大学の医局は、いろんな大学から人が集まっていて、かつ成果に対する評価は平等になされます。頑張ってる人は正当に評価される。「意外とフラットな組織で面白そうだな」と思って入局しました。いろいろありましたが、ここから産婦人科医としてのキャリアがスタートするわけですね。

ーーありがとうございました!後編では産婦人科医〜起業までのストーリーを伺います。

(Vol.2 に続く)

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