【19年間のすべてを捧げた、サッカーという名の「人生」】
3歳の頃、2歳上の兄の背中を追って無心にボールを蹴り始めたあの日から、私の生活の中心には常にサッカーがありました。
中学では更なる高みを目指し、全国レベルのクラブチームに入団しました。当初は周囲のレベル感に打ちのめされ、自分の無力さを痛感する日々。しかし「ここで終われない」と食らいつき、県大会3位という結果を掴み取った経験は、今も私の自信となっています。
高校は、部員数260名を抱える神奈川の強豪校へ。1年目からトップチームのピッチに立ち、2度の全国大会出場を果たしました。
そして2年生の冬、Jリーグ3クラブから練習参加のオファーをいただくという、夢にまで見たチャンスが訪れます。プロの練習場で、憧れだった選手たちと同じピッチに立ったことは、今でも鮮明に覚えています。結果は契約までには至りませんでしたが、幼い頃からの「憧れ」は、この場所で生き抜くという「覚悟」へと変わりました。
【突きつけられた現実と、19年間の夢を手放した日】
大学は東京の強豪校へ進学しました。
そこで待っていたのは残酷なほどの「現実」でした。 チームが大学日本一という栄冠に輝く傍らで、私は自分のプレーを完全に見失い、BチームとCチームを彷徨う日々。
「もう自分は通用しないのではないか」という不安と焦りに押しつぶされ、両親に「サッカーを辞めたい」と相談したこともありました。
そして迎えた大学3年生。プロへの道を追い続けるか、別の道を歩むか、決断を迫られました。 実力、立ち位置、現実。これほどまでに自分と向き合った時間はありません。
結果として、私は19年間追い続けたプロの道を諦める決断をしました。その選択が本当に正しかったのか、今でも明確な答えは出ていません。それでも、逃げるのではなく、当時の自分なりに向き合って出した、人生の大きな決断でした。
【就活での迷い】
サッカーを辞める決断をしたものの、やりたい事が全く分からない状況でした。「福利厚生」や「休日の多さ」といった条件だけをモノサシにして、いわゆる“安定した”企業から内定をいただきました。
周囲からは祝福されましたが、どこか違和感を覚えていました。
「プロを諦めてまで、自分がやりたかったのは本当にこれなのか?」
条件で選んだ未来に、かつてサッカーに注いでいたような情熱が持てない自分に、激しい葛藤を抱えていました。
そんな中、J3でプロになった先輩と再会し、衝撃を受けました。週6日の練習をしながら、平日は生活のために一般業務もこなすという、プロアスリートの過酷な経済的現実を知りました。
「夢を叶えたはずの人が、なぜこれほど苦しまなければならないのか」
その時初めて、アスリートのセカンドキャリアやお金の問題に対して、自分が何か貢献できることは無いか考えるようになりました。
条件だけの就職に迷っていた私が、「自分にしかできない、やるべきこと」を見つけた瞬間でした。
【AthReeboとの出会い】
自分の中で就活の軸が固まりましたが、納得のいく企業とは出会えていませんでした。そんな時に、偶然足を運んだ就活イベントでAthReeboと出会いました。
そこで話していたのは、これまでの私の常識を覆す、あるビジョンでした。
「アスリートから、“セカンドキャリア”という言葉をなくす」
それまでの私にとって、現役引退とは「これまでの努力と実績が過去になり、全く別の人生が始まること」だと思い込んでいました。しかし、AthReeboが掲げていたのは、その真逆です。
アスリートとして泥臭く自分を磨き、限界に挑み続けたあの思考や経験を、引退と同時に切り捨てるのではない。むしろそれをビジネスという新しいフィールドに持ち込み、生涯続く「価値」へと変換していく。
「ここなら、プロになれなかった私の19年間を、単なる『挫折』で終わらせず、活かせると確信しました。」
入社して約3ヶ月。 正直に申し上げれば、今はまだ、ビジネスという新しいフィールドのスピード感に圧倒され、学ぶことばかりの毎日ですが、スポーツで培った謙虚さや泥臭さを活かして、これからもひたむきに努力を続けて行きます。