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新卒2年目のインドネシアハーフがインドネシアに1人放り込まれ、日本語学校立ち上げに挑戦する話 〜母国インドネシアの未来を創る〜

みなさんこんにちは!

ASEAN HOUSEインドネシア支部のオリビアです。

昨年よりASEAN HOUSEが準備していたインドネシアでの日本語学校運営プロジェクトに配属が決まり、2ヶ月前に学校の校長に就任しました!

本記事では日本語職業訓練校(LPK)開校までの泣き、笑い、の多かったこの半年間の出来事をざっくばらんに、かつ今後のASEAN HOUSEが目指す未来のお話ができればと思います!



プロフィール

父がインドネシア、母が日本人のハーフ。インドネシアのバリ島で18年間過ごした後、同志社大学に入学し来日6年目。新卒で株式会社ASEANHOUSEに入社し、語学力とハーフとしてのバックグラウンドを活かしながら、現在はインドネシアで日本語学校立ち上げのためにマネージャーとして母国インドネシアへ赴任。インドネシアの若者のキャリア形成と人間教育に力を入れた学校運営に奮闘中!

予想だにしなかった、突然の佐々からの提案

去年の8月、いつもの通訳要員で代表の佐々のインドネシア出張に同行した時のことです。
帰りのフライト待ちにご飯を食べていたところ佐々から突然、

「オリちゃんさ、日本語学校の運営やってみない? 校長。どう?」と。

当時の私は入社して2年目、法人営業をメインで担当しており、
仕事内容としては「インドネシア人ハーフ」としての目線から雇用主である日本企業のサポートをする側でした。
それが、今度は「日本人ハーフ」としての目線から日本に働きに行きたいインドネシア人をサポートする側になるということです。

中々に真逆なジョブチェンジ、かつ、私はまだ日本で働きたいという気持ちがあったので正直悩みましたが、
実際に日本の企業で働いている特定技能外国人の活躍や苦労の数々、
逆に受け入れの企業が何を求めているのかなどを自分はたくさん見てきました。

自分の2年間のこれまでの経験と両国の言語力、
自分の強みを最大限活かせるであろう環境に飛び込まない理由はありませんでした。


ASEAN HOUSEでは外国人へのお仕事紹介だけでなく、入社後の生活サポートも行っていますが、色々な要因から実際に日本にきてカルチャーショックやトラブルが起きて短期離職してしまう外国人を自他社共に多く見てきました。

この問題の大きな要因の一つがズバリ、現地の日本語学校での教育になります。
とりあえず日本に送り出す人材の数を増やしていかに儲けを出すかしか考えていない学校もしばしば...!!

例えば:
とりあえず試験に、面接に受かればいいからとその場限りの日本の現場であまり役立たない指導や、
「給料が高いよ〜」「都会の綺麗な街に住めるよ〜」と美味い話だけ伝えて外国人の期待を上げたり、
そもそも外国人の希望職種を無視した求人票に無理やり案内したりと。

私たちはこうした課題を解決するためにも、日本に行くまでにしっかりと教育していればこれらの問題は無くなると考えています。

もっと言えば、東南アジア人の多くが苦手な「努力する事」や「中長期的に人生を考える事」のような人間力も育てられたら、よりその人の人生を変えられるのではないか?さらには東南アジアの国の発展に寄与できる人材を輩出できるのではないか?!

他社に頼るのではなく、そういった革新的な学校を自分たちの手でこそ創りたい、という思いから自社で現地の日本語学校の運営を決めました。


↑佐々さんから赴任の話があった日

25歳〜の就職/転職はもうアウト?!

インドネシアは今では急な経済成長をしていてビジネスチャンスの大きい国としても認知が広まってきていると思います。
また、昨年においては生産年齢人口の割合は約68%と、2030年までは人口ボーナス期が続くだろうと予想されています。

首都ジャカルタは東京に負けないほどの高層ビルが立ち並び、若者が多く活気にあふれていますが、人口に雇用が追いつかず若者の失業が深刻化するなど、急激な人口増の裏では多くの若者が就職難に陥って途方に暮れている状況です。

↑どこに行っても子供が多い!!

さらに、インドネシア企業の人事は「人材を育てて一人当たりの生産性を上げる」という観点はほぼ無く、「とにかく安い賃金で保険や税金がかからない短期契約社員を沢山雇う」というスタイルです。そのため、若者はキャリアアップも見込めず、月給約2、3万円の上がらない賃金でカツカツの日々を送っています。
そのような事情もあり、国としても優秀な人材が育たない環境となっています。

私が今までで一番驚いたのは、
ある学生にどうして日本に行きたいのかと尋ねたところ、

「私は今25歳です。インドネシアでは仕事を探すのにこの年齢はもう受け入れてくれるところがないので日本に働きに行きたいです。」と多くの学生からこの回答を聞いた時です。

だって、「まだ」25歳ですよ?

日本で言えばまだまだこれからの年齢です。

数ヶ月前までの日本で営業をしていた時に、
人手がいないから60歳のおばあちゃんも辞めさせられないというクライアントとの話しもあったのに、
それがインドネシアでは25歳ですら仕事がないほど、インドネシアは若者で溢れていて、
仕事を見つけることが難しい状況なのです。

このような両国のギャップにとても驚かされました。

このことを日本とインドネシアで実際に目の当たりにして、
これこそ私がつなげて問題解決できることなのかもしれない!と思うようになりました。

学校設立までの道のり

いざ準備が始まると、つくづく痛感する東南アジアのカオス感笑

そもそもは私が、インドネシア語はできるがインドネシアで働いたこともなければ事業立ち上げをしたこともないというまさにひよこちゃんで情報集めからも苦戦することが多かったです。

建設業者を決めるにしても、10業者に聞いたら11通りの回答が出てくるし、
大概どこのカスタマーサービスに電話しても窓口の担当者は常にだるそうで何の解決策もくれず、
物件を借りてみたら、知らない村人が住み着いていて、その家族も敷地内でお店出してて、
オーナーからの退去願いも聞かなかったりと、、

その他、入学候補者の募集と面接選考を行った際には、
上裸でタバコ吸いながら説明会に参加する人がいたり、
面接中にイヤホンのマイクをムシャムシャ噛みながら回答したり、
自己紹介ができない、画面をオンにしない、
頑張った事を聞いても「ないです。頑張った事が今までありません。」と回答したり、

日本の常識では即不合格のような論外な事も沢山あって中々選考も難しかったです笑


↑私たちが入居した後もお構いなしに校内にエシャロットを育てて売るおじいさん笑


そしてなんといっても、当初はまだオフィスに机もない中、新卒で入社した教育業界未経験の20代前半女子3人と出張中の社長1人のメンバーで、あと1ヶ月後の入学式に間に合わせないといけないタイムリミット付きでした。

指導経験もなく、カリキュラム作成なんてもってのほか。色んな人の力を借りながら「インドネシア人が日本に行って困らないように何をするべきか?」を朝から夜中までひたすら問いながら準備していく日々。

正直、私の人生の中で一番精神的にも、体力的にもきつい1ヶ月でしたが、
それを乗り越えた今ではイレギュラーなことが起きても動じないメンタルに成長できたと思います。


↑当時のオンライン説明会の裏側です笑 段ボール机笑


↑校庭に生えてるマンゴーの木と新卒入社女子3人!

前例に囚われないことの大切さ

まず、メンバー内で誰も教育に対しての知識や経験がないということもあり、
2022年から約1年にもわたってインドネシアでの日本語学校とは何か?どんなカリキュラムでどう運営しているのかをヒアリングし、開校の準備をしてきました。
いろんな話を聞いていく中で、ある程度他社の成功体験や今の運営方法に至った背景を知ることができました。
これはある意味一つの正解の形を知ったということです。

そんなある日、開校に向けて学校のルールを検討していた際に、社長の佐々から喝が入りました。

「なんでメイクしちゃいけないの?ピアスしちゃいけないの?タバコすっちゃいけないの?刺青しちゃいけないの?」

いろんな学校の校則を参考にして作っていましたが大事な考えが抜けていました。

「このルールはなんのために入れるのか?」

いつの間にか私は他の学校がやっているから入れた方がいいという考えになっていて、
どんどん細かいルールが増えていきました。

ただこれでは学生をルールで縛りすぎて、自分の頭で考えないようにしている仕組みになってしまいました。

「私たちはもっと自由で、自分の頭で良し悪しを考えられるような人材を育てたいんじゃなかったっけ?」

と代表にアドバイスもらった途端、私はとてもハッとしました。

前例に囚われて何が正解なのかを気にするよりも、
自分達が成し遂げたいことに対して、どうやったら実現できるのかを愚直に考える。
そして、ASEAN HOUSEは若い組織であることを利用して、
柔軟にいろんなチャレンジをして独自の成功論を切り開く。

他社は他社。私には信じ続けたい形がある。

まだ外国人業界は始まったばかり。私たちが切り開いていくんです。

何が大切なのか?を常に考えて取捨選択をしていくことの大切さを改めて感じました。

↑夜な夜なみんなで考えた学校のスローガン

絶対に学生を送り出すぞ!と覚悟ができた日

悩みながら、躓きながらも準備は着々と進んでいき、ついに学生達の入寮の日が来ました。
家が近場で1人でバイクで来た子や、親と一緒に15時間もかけて来ましたという子まで、
インドネシアの各地から来てくれました。

一組の家族は、母が自分の娘との別れに大号泣しながら私の手を握って、
「先生、本当にありがとうございます。この子をどうぞ宜しくお願いします。」と、
まだ入学前の段階で泣きながらお礼を言われました。

その時、
「ああ、泣くほど辛くてもこの日まで頑張ってきて良かった…」
と思ったと同時に、
誰かが何十年も大切に育ててきた娘・息子の人生を変えるきっかけを私たちが握っているのか…
と私たちのやっている事業の重みも同時に感じました。

それでもこれから学生たちが成長していって、内定をもらって日本に行って、
さらには頑張って稼いだお金から家族に仕送りをして今よりも学生自身もご家族も幸せになっている姿を想像すると、
胸が熱くなってまだまだ頑張らないとな、と思います。


↑入学式前日の入寮日の様子

人づくりは国づくり

私たちの挑戦はまだ始まったばかりです。

まずは目の前にいる一期生13人全員を日本の社会で通用・活躍する人材へと育て、日本へ送り届けることを必ずやり遂げる。
そんな成功体験への一歩を生み出したいと思っています。

また、私たちは日本語学校の枠を超えて、
よりインドネシアの若者が豊かな人生を歩めるような教育を目指しています。

人間教育と偉そうに聞こえるかもしれないですが、
私自身、今のインドネシアがより良い国になって前に進むためには人間教育が必要だと考えます。

なぜならこれまでの何百回の選考面接で、
自分の未来・自分の国に対して諦めている若者が沢山いるからです。

どれだけ頑張って働いても評価もされないし、
新しい仕事が見つかってもいつ契約を切られるかわからない不安の中で仕事をするのが辛いという
光のない目で話をする彼らを見るたびに私は悲しくなります。

そのため、できるだけ多くの若者に「日本で働く」というチャンスを与え、

その数年間で色んなことを見て学んで、稼ぎだけじゃなく、
人生の学びと将来に対して希望を持ってインドネシアに帰ってきて欲しいと思っています。

稼いだお金で自分で事業を始めるもよし、
日本で学んだ丁寧さ、頑張ることの大切さをインドネシアでも実践して周りの人に好影響を与えるもよし、
規模は大きかれ小さかれ母国の発展を後押しするきっかけの一つになれば嬉しいです。


人は必ず成長して変われる。

それを信じて今日もクラスへ行ってきます!




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