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「こじトーク」は株式会社オルターブース代表取締役の小島淳が、IT業界で活躍する様々なゲストの方々と様々なテーマを通じて語り合うオルタナティブな企画です。
記念すべき第1回目のゲストは株式会社アイレット 執行役員/エバンジェリストの後藤和貴氏です。
後藤氏のこれまでの歩みを、日本のIT業界の流れとともに振り返ります。
小島 僕って、後藤さんの昔を殆ど知らないんですけど、そもそもなぜこの業界に入ったんですか?
後藤 職がスタートしたのは日本オラクルへの入社からですね。
元々どこにも就職せず大学院に行こうと思っていた矢先、
幕張メッセで志望者向けの「タダ飯会」があると聞いて。
当時筑波大学に通ってて、場所が近かったこともあって、車で行って、ご飯食べていたら
あれよあれよのうちに選考を申し込みされてしまった。
オラクルの本社はカリフォリニアにあって、優勝者はそこに連れて行って貰えると。
行ってきた人たちはかなり強烈なインパクトを得て来たって聞いたので、
それならということで日本オラクルだけ受けてみることにしたんです。
実は3次面接くらいまで行ったのですが、7月くらいになったので、
さすがにもう断ろうと思って、辞退の電話をかけようとしたら先方から電話かかって来て、
そこで「こういう理由でそろそろ断るつもりでした、東京には行けません」
って人事担当の人に話したら、
「部長にもう言ってしまったから、とりあえず来い!」
って言われて、無理やり行きましたね。
グループ面接で2分間のスピーチをしてくれと言われたから、そこでも僕は
「実はこういう理由がありまして・・・もう断ろうと思っているんです」
って感じで喋って帰ったんです。人生初プレゼンで。
そしたら次の週、人事の方から合格って連絡が来た。
小島 その合格っていう判断がおかしい(笑)
後藤 後で分かったのが、その時の新卒メンバーって、どうも変わったヤツばっかりだったらしい。
「変わったやつ=良い」かというと、そうではなくて、
入社当初は混乱を極めたんですけど、
その中には入社後に活躍した人、転職して他の業界に行ってバリバリ仕事してる人もいて、
ゆくゆく見てみると、実はすごい奴らばっかりだったんですね。
だから人事の方の見る目がやっぱり素晴らしかった。
後藤 日本オラクルに入社して、最初は開発に携われると思ってました。
大学でコンピューターサイエンスやってましたし。
でもサポート部門に配属されることになって、
配属までの半年間はみっちりデータベースの対処を任されました。
最初の業務はヘルプデスクのような仕事で、言ってみればクレーム電話の対応でした。
日本オラクルさんにはパートナー企業がいて、
一次問い合わせはまずNECさんや富士通さんが捌いてくれるんですね。
彼らでも解決が難しい問題、かつ、お客さんがかなりシビアな状態になった後に、
富士通さんやNECさんから電話がこっちに来るんですよ。
なので、入社1年目の我々はデータベースを恐がってました。
2年くらい経って、そろそろ開発をやりたいなという思いが強くなってきたんですね。
実は最初、他の会社に転職しようと思ってたんですが、
オラクルでは日本の開発チームを本社に引き上げることがあるらしく、
それを知ったタイミングで「どこだったらいい?」みたいに異動の打診をされたので、
「よし来た!!」と思って、
「海外行きたいです」「できれば開発に行きたいです」って希望を伝えました。
本社の開発のトップとまず面接して、良ければ連れて行くという流れでした。
ただし条件もありました。
「完全転属」です。出張とかじゃなくて。
「それでもいいです」と伝え、渡米したのが1998年くらいですかね。
後藤 オラクル本社ではデータベース本体とそのツール群、
エンタープライズマネージドっていうのがあるんですけど、Javaのツールがあったので、
そのローカリゼーションと国際化の要件定義を担当していました。
その後はウェブサーバ製品も担当しました。マーケ側ですね。
ちょうど2000年ぐらいにシリコンバレーでITバブルが盛り上がりつつあったんですね。
本当はやっちゃいけないんですけど、その時僕は書類上でストックオプションだけ設けて、
給料は貰わないっていう形でスタートアップのお手伝いをしていました。
小島 なるほど。
後藤 すごいITが盛り上がってて、自分もいつかその領域に突っ込もうって思ってたんですけど、
ITバブルが先に弾けたんですね。
当時特に課題だと思っていたのは、オラクルのような製品は、自分の身の回りの人、
親とか、友達とかが触る何かにあまり寄与できてない気がして。
例えば銀行のATMの出入金の処理の待ち時間に謝る動画が表示されますよね。
あのようなシーンこそ本当はテクノロジーで解決できたらいいんですよ。
そこで、以前からお付き合いがあった日本のある会社が合併して、
大きなデザイン会社を作ることになったんですね。
その会社は、今はクリエイティブだけやっていても仕方ないので、
ECサイトなどのホームページやウェブサイトの後ろ側に機能があるような
「実装する会社をやりたい」って打ち出していました。
そこで僕はLC立ち上げのために帰国し、2001年からそのデザイン会社で手伝い始めました。
例えばニコムさんや、その頃はカメラも盛り上がっていたのでコニカさんなど、
そういった企業サイト+ECなどを9年くらい、ずっとやらせて貰っていました。
小島 結構長いね。
後藤 面白いことがあって。
実はウェブのお仕事って、その当時のデザイナー業界でもあまり多くなかったんですよね。
小島 少ないイメージですもんね。
後藤 あっても数名の寄せ集めチームが多かったんですけど、大きなお仕事がドンって来た時は、
同一チームとは言え、メンバーが同じ会社じゃないところには発注しづらい。
だからさっき言った大きなデザイン会社というのは、
20名くらいのメンバーをガッて抱えてスタートした会社だったんです。
寄せ集めチームだと、何ヶ月にもわたる仕事のプロジェクトマネジメントは難しいんですよ。
小島 そうだよね。
後藤 僕はテクノロジーの分野で寄与しようと思って、デザイン会社に入ったんですけど、
プロマネ得意そうだからやってくれって話がありました。
オラクルでプロマネを経験しているので、ウェブのプロジェクトを手伝い始めたら
会社の中で役に立つようになって、加えてお客さん対応も多くなると、
じゃあ営業もやってくれと頼まれました。
後藤 デザイン会社に9年もいると、クリエイティブ以外の仕事を殆ど経験できました。
最後は役員までやらせてもらって、制作会社の案件スタイルや経営の領域、
キャッシュフローなどを一通り勉強させて頂きました。
そうしているうちに、飽きたわけじゃないんですけど、
もう一回技術で食べていきたいなという思いがふつふつと湧き起こったんですね。
そこで一旦フリーランスになりました。
最初はテクニカルディレクターと名乗って、
企業と開発会社の間に入ってディレクションする仕事をメインでやってたんですけど、
自分一人の時間ってかなり有限なんですね。
もっとレバレッジを効かせるために、
何か新技術を提供するといったことができないかって考えた時に、
それがクラウドだったんです。
小島 そこでクラウドだったんですね。
後藤 エンジニアとして触った時の仮想サーバ、EC2ですね。
あれがすごく良かった。
これまで自前で契約ないし買う、データセンターに置く、といった必要がなくなり、
ブラウザ上でポチポチやるだけで機能できる、トラブっても再起動できる。
衝撃的でしたね。
だからクラウドを使った何かをずっと発想していました。
ただ最初はエンタープライズ向けの何か、というところにテーマを置いてやってました。
当時お付き合いしていたのが割と大きな会社さんで、
こういう会社にクラウドは刺さるんないかなと思ってやってたんですよ。
色んなツールやサービスを探してたんですけど、いざお客さんのところに説明にいくと、
「我々はクラウドですら扱えないのに、それを取りまとめるツールとか触りたくない」
って言われちゃって。
小島 まあそれはそうですよね。(つづく)
☆本記事はオルターブースYouTubeチャンネルの配信動画をもとに再構成しています。
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