目立たなかった自分が、誰かの「できた!」を支えるまで
株式会社エーアスクール代表取締役の中川裕樹です。
今でこそ、子ども向けのプログラミング教室を運営し、中高生向けUnity教材を全国の教室や学校へ提供しています。
しかし、私は子どもの頃から、何かで目立つような人間ではありませんでした。
目立つことのなかった学生時代
小学校、中学校、高校を通して、私はどちらかといえば控えめで、目立たない存在でした。
中学校までは、勉強もそれなりにできる生徒だったと思います。一方で、中学時代に入ったバスケットボール部では、一度もレギュラーになることができませんでした。控え選手の中にも入れず、試合に出る仲間を外から見ていることの多い学生でした。
高校は、地域で一番の進学校へ進みました。
ところが、入学すると周囲には自分より勉強のできる生徒が大勢いました。それまでとは大きく変わった人間関係にもなかなかなじめず、成績は下がり続けました。
高校1年生のときには、担任の先生から、
「このままでは留年する可能性がある」
と警告を受けました。
高校でもバスケットボール部に入りましたが、成績を立て直すための勉強時間を確保するため、1年生の途中で退部してしまいました。
地元は田舎で、近くに通える塾もありませんでした。市内には塾がありましたが、学校とは反対方向にあり、通わせてもらえるような経済的・時間的な余裕もありませんでした。
頼れるのは、自分で勉強することだけでした。
高校生活らしい青春はいったん諦め、ひたすら勉強する毎日を送りました。親しい友人もほとんどおらず、「大学に入ったら、今度こそ新しい生活を始めよう」と考えていました。
「これからはコンピューターの時代になる」
勉強を続けた結果、なんとか大学に合格することができました。
これからはコンピューターの時代になる。そう考え、京都産業大学理学部計算機科学科へ進学しました。
高校時代にできなかった青春を取り戻したいという思いから、大学ではグリークラブという合唱団に入りました。1年目には全日本合唱コンクールで金賞、2年目には銀賞を受賞しました。
中学・高校のバスケットボール部では試合に出ることすらできなかった私にとって、仲間と一つの目標に向かい、全国の舞台で結果を残せたことは、大きな成功体験でした。
一方で、理系学部の授業や実習とクラブ活動との両立に悩み、大学2年生を終える頃に退部しました。その後は専門科目やゼミに力を入れるつもりでしたが、男3人兄弟の長男として親の負担を少しでも減らしたいと、アルバイトを多く入れるようになりました。
学校、ゼミ、アルバイト。どれも大切にしたいと思いながら、当時の私は時間の優先順位をうまくつけられず、どれにも十分に打ち込めていないような悶々とした気持ちを抱えていました。
それでも、大学で学んだ知識を生かし、社会に出たら大きな仕事に挑戦したいという思いは強くありました。
「東京へ行って、大きなITの仕事をする」
そう決め、一部上場の独立系IT企業に就職し、東京で社会人生活を始めました。
大きな仕事に憧れて東京へ
東京では、官公庁向けの大規模なシステム開発に携わりました。
学生時代に思い描いていた「大きなITの仕事」に関われたことは、うれしい経験でした。
しかし、仕事の規模があまりにも大きく、自分が担当しているのはシステム全体のほんの一部分でした。実際にそのシステムを使うお客様の顔や声に触れる機会も、ほとんどありませんでした。
自分の仕事が、誰のどんな課題を解決しているのか。
目の前の人に、どう役立っているのか。
それを実感できないことに、次第に物足りなさを感じるようになりました。
もっと利用者に近い場所で働きたい。
自分がつくったものへの反応を、直接感じられる仕事がしたい。
そう考え、自動車関連システムの保守や開発に携わる会社へ転職しました。
そこでは、お客様に近い立場で、システムの保守や改善に関わることができました。工場で働く方々から直接相談を受け、トラブル対応や業務改善に取り組みました。
ここでプログラマー、システムエンジニアとして経験を積み、技術だけでなく、顧客対応やプロジェクトの進め方も学びました。
一方で、組織の中で決められた役割を淡々とこなすことには、どこか息苦しさも感じていました。
私は昔から、人との距離感をうまく保ったり、組織の中で器用に立ち回ったりすることが、あまり得意ではありませんでした。
会社員としてうまくやれない自分を認めたくない。
自分の考えたことを、自分の責任で形にしてみたい。
自分の力で、何かを成し遂げたい。
そんな思いが次第に強くなり、社会人9年目、31歳のときに最初の起業へ挑戦しました。
最初の起業は、うまくいかなかった
大阪で、自宅兼事務所を借り、それまで培ったシステム開発、プログラミングの経験を活かした、Web制作やアフィリエイト、販売サイト立ち上げに伴う文章作成代行などの仕事も始めました。
しかし、仕事は思うように増えませんでした。
正確には、作業時間ばかりが増え、利益をほとんど残せない状態が続きました。
技術があっても、お客様を見つけられない。
サービスの良さを伝えられない。
継続して売上をつくれない。
最初の起業は、鳴かず飛ばずのまま終わりました。
約2年後、33歳で地元へ戻り、ソフトウェア会社の営業職として働くことになりました。
技術だけでは事業を続けられない。
もう一度挑戦するなら、営業や経営、人をまとめる力が必要だ。
そう考え、あえてそれまで経験の少なかった営業の仕事を選びました。
営業、顧客対応、プロジェクト管理、スタッフのマネジメントなどを経験しながら、少しずつ次の挑戦に必要な力を身につけていきました。
40歳で、もう一度挑戦する
そして40歳になったとき、もう一度、自分の事業を立ち上げることを決めました。
2017年4月、京都府長岡京市で、パソコン教室「キュリオステーション長岡天神店」を開校しました。
最初は、大人の方を対象に、WordやExcel、パソコンの基本操作、資格対策、Web制作などを教える教室としてスタートしました。
やがて、子ども向けのプログラミング教育にも取り組むようになりました。
子どもたちがプログラムを動かし、
「できた!」
「先生、見て!」
「次はこんなものをつくりたい!」
と話してくれる。
その姿を見たとき、自分が本当にやりたかったことは、これなのかもしれないと感じました。
できなかった経験があるから、伝えられること
私は、学生時代に目立つ存在ではありませんでした。
中学・高校の部活動で活躍した経験もありません。
高校では成績が落ち、留年を心配されました。
大学では、グリークラブの一員として全日本合唱コンクールで金賞・銀賞を受賞する経験もできました。しかし、学業とクラブ活動を両立できず、2年生で退部。その後も学校、ゼミ、アルバイトの優先順位をうまくつけられず、自分の時間を十分に生かせないことに悩みました。
会社員としても、組織の中でうまく立ち回れるタイプではありませんでした。
一度目の起業にも失敗しました。
友達がまったくいなかったわけではありません。それでも、集団の中にいても、どこか疎外感を感じることがありました。
「自分は、社会の中で本当に役に立てる人間なのだろうか」
そんなことを考える時期も長くありました。
だからこそ、何か一つでも自分の力で成し遂げることに、人一倍こだわってきたのだと思います。
こんな自分でも、社会に役立つ仕事ができる。
誰かの力になることができる。
できれば、いつか誰かの目標になれるような人になりたい。
そう考えながら、何度もうまくいかない経験をし、それでも挑戦を続けてきました。
私が子どもたちに届けたい「できた!」という成功体験も、そこから生まれています。
勉強やスポーツが得意でなくてもいい。
人前に出ることが苦手でもいい。
すぐに周囲になじめなくてもいい。
自分で考え、手を動かし、試行錯誤しながら何かを完成させる。
その経験が一つあれば、
「自分にもできることがある」
「もう少し挑戦してみよう」
と思えるかもしれません。
プログラミングには、そんな小さな成功体験を生み出す力があると考えています。
生徒の成長から生まれたUnity教材
教室開校時に小学生だった生徒たちは、年月とともに中学生、高校生へと成長していきました。
そして、
「もっと本格的なゲームをつくりたい」
「文字でプログラムを書いてみたい」
「3Dのゲームに挑戦したい」
という声が増えてきました。
そこで、ゲーム開発エンジン「Unity」と、プログラミング言語C#を使ったレッスンを始めました。
しかし、当時のUnity教材は大人向けのものが多く、中高生が学ぶには難しい内容でした。また、本格的なプログラミングを教えられる講師も限られていました。
目の前の生徒たちに、その先の学びを届けたい。
同じ課題を抱える全国の教室でも、Unityを教えられるようにしたい。
その思いから、教室で実際に生徒へ教えながら、中高生向けUnity教材の開発を始めました。
これが、現在全国の教室や学校へ提供している「ユニプロ」の始まりです。
「ええ明日が来る」会社をつくる
教材を継続的に開発し、全国へ届けるため、2021年7月に株式会社エーアスクールを設立しました。
社名の「エーアスクール」には、関西弁の「ええ」と「明日」、そして学びの場を表す「スクール」を重ねています。
学びを通じて、ええ明日が来る。
そんな思いを込めています。
これは、子どもたちだけに向けた言葉ではありません。
教室へ通う生徒。
その成長を見守る保護者。
教室で働くスタッフ。
教材を利用してくださる全国の教室や学校。
そして、仕事や人間関係に悩み、自分の居場所を探している人。
エーアスクールに関わる人にとって、今日より少し「ええ明日」が来る会社をつくりたいと考えています。
会社を立ち上げてからも、順風満帆ではありませんでした
株式会社エーアスクールを設立してからの5年間にも、さまざまな出来事がありました。
ここで詳しくお伝えすることは控えますが、法人設立から約1年後、私は健康上の問題を抱え、一日に2、3時間しか働けない日々を過ごしました。思うように仕事ができない時期が続きました。
会社を立ち上げたばかりの時期に、自分が十分に動けない。
先の見えない状況の中で、不安を感じることも少なくありませんでした。
それでも、諦めなければ、そこで終わりではありません。
できる時間に、できることを少しずつ積み重ねる。自分だけで抱え込まず、スタッフや周囲の力を借りる。そうして歩みを止めずに続けてきました。家族にも大きな負担をかけましたが、変わらず支えてくれました。
その結果、中高生向けUnity教材「ユニプロ」は、展開開始から約3年で全国100教室以上に導入いただきました。会社の売上も成長を続け、黒字決算を重ねています。
また、直営スクールでは、開校以来これまでに延べ500名を超える生徒の学びに関わってきました。
ここまで来ることができたのは、私一人の力ではありません。苦しい時期にも教室や教材事業を支えてくれたスタッフ、教材を導入してくださった皆様、家族、教室へ通ってくださった生徒や保護者の皆様のおかげです。
私たちは、まだ完成された会社ではありません。小さな組織だからこその課題もあり、これからつくっていかなければならないこともたくさんあります。
それでも、うまくいかない時期があっても、支え合いながら挑戦を続ければ、未来は変えられると考えています。
そんな私たちと一緒に、子どもたちの「できた!」と、関わる人たちの「ええ明日」をつくってくださる方との出会いを楽しみにしています。
経験よりも、これから挑戦したい気持ちを大切にしたい
私は、何でもそつなくできる人間ではありません。
失敗もしました。遠回りもしました。今でも苦手なことはたくさんあります。
だから採用でも、これまでの経歴や経験だけで判断したいとは考えていません。
子どもたちの成長に関わりたい。
自分自身も成長したい。
いつか教室や事業を立ち上げたい。
これまでとは違う人生に挑戦したい。
そんな思いを持つ方と、一緒に働きたいと考えています。
目立たなかった人でも、うまく立ち回れなかった人でも、何度か失敗した人でも、誰かの役に立つことはできます。
私自身も、まだ道の途中です。
子どもたちの「できた!」を増やし、自分たちにとっても「ええ明日」が来る場所を、一緒につくっていきたいと思っています。