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不確定な将来に挑むため、転職を決意した新卒3年目。数年後、当時の上司と交わした忘れられない一杯の話

こんにちは、リクパー歴13年目の生野謙太郎(いくのけんたろう)です。

(前振りから…、これが冗談になるのかわかりませんが、)前職時代の上司であり、現・リクパー社長の坂元さんから、「生野は呼びにくいから、今日から『なまけん』な!」と言われたおよそ15年前からそう呼ばれ始め、ずっと変わることもなく、「いじめられてるんじゃないか」と心配されそうで未だに家族にも言えずにいます…。後輩から「なまけんサン」なんて呼ばれた日には、個人的には「なまけん」に「さん」まで付くのか…と衝撃でした。

さて、本題ですが、20年ほど前の大学生時代に、サイバーエージェントの藤田社長が同じ大学の偉大な先輩にあたることを知り、タイトルにある彼が執筆した「渋谷で働く社長の告白」という本を読みました。

そこには、今の藤田社長からは考えられないような、それまでに経験してこられた数々の挫折と失敗、それでも志をもってチャレンジを続ける姿が描かれていて、少し青臭いですが、学生ながら熱く感じるものが詰まっていました。学生時代に就活をやっても、社会人というものがあまりリアルに感じられずにいましたが、それでも、この物語にあるような世界で、仲間とともに冒険するような生き方をした方が、人生は豊かなものになるのかもしれない…と、漠然とそう感じていました。

新卒では鉄鋼メーカーに就職しました。私立文系だったこともあり、東京でそのまま営業するものだと思っていましたが、配属されたのは兵庫県の決して都会とは言えない工場でした。そこで3年間、原価計算を担当して退職することになりましたが、今でも良い先輩や同僚に恵まれて、とても良い会社だったと心からそう思っています。その反面(今思うと若かっただけだと思いますが…(笑))、ずっとこの会社にいるとすれば、出世できたらこうなって、出世できなくてもこれくらいで、●歳くらいで家を買って…というように、自分の人生の振れ幅がすでに決まっている様な感覚をもった時、退職を決意しました。将来は不確定で見えないからこそドキドキ・ワクワクできるし、もっとも、一度の人生なので藤田社長みたいに冒険しないとダメだな…と感じた瞬間でもありました。(決して、鉄鋼メーカーではそんな生き方ができないと言っているわけではありません、若気の至りです…)

福岡県出身の私は、Uターンするかたちで前職の人材会社にお世話になりました。前職時代、1年間は営業としてダメダメ過ぎて全く売れませんでしたが、ようやく2年目に、先輩やお客さんのおかげで社内表彰してもらうことができました。そんな時に、出張で兵庫県に行く機会がありました。鉄鋼メーカー時代の上司が入院していることを知っていたので、連絡してお見舞いにいくつもりでいましたが、お電話したところ、「たまには病院から出たいから」と、癌を患う元上司と近くの居酒屋に入りました。私は、「鉄鋼メーカーで新人時代にみなさんに育ててもらったおかげで、今こうして仕事させてもらってます」とご報告をしましたが、それはそれは喜んでくれて、「今日はとても良い日になった。医者からは止められてるけど、今日だけは一緒に飲もう」と、病状が優れないにも関わらずビールで乾杯させていただきました。その後、しばらくして元上司は他界されましたが、その時の一杯は、自分の人生の中でも鮮明に記憶に残るシーンの1つです。

リクパーに入社してから、もう少しでまる13年が経とうとしています。リクパーにおいても数々の記憶に残るシーンがありますが、それはまた次回にでも話せたら嬉しいです。

つづく…

それでは、今日はここまでとさせていただきまして、次回は、リクパーナンバー1の余興芸人、しげちゃんこと、重松さんです!張り切って、よろしくお願いします!!

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